第11話 五代目、犬耳少年を拾う
道化師は、派手なストライプの衣装と白い仮面の下で、甲高く笑った。
「ヒヒヒ、これは驚いた。貴様、本当に新人冒険者か?随分と粋な登場をするじゃないか。だがそのおせっかい、高くつくぞ?」
「うるさいわね。私だって好きでやってるわけじゃないんだから!」
ギンは剣先を下げ、道化師を威圧するように一歩踏み出した。道化師の隣に立つ二人の護衛が、警戒の色を強める。彼らの動きには、ただの用心棒ではない、訓練された暗殺者のような鋭さがあった。
「その手にある薬について、いろいろ話を聞かせてもらえるかしら?」ギンは問いかけた。
道化師は、手に持っていた琥珀色の小瓶を放り投げ、護衛にキャッチさせた。
「話?話など私の可愛いペットの腹の中で、そのガキとでもすればいい。お前のような美しい者は本来、我が芸術の材料になってもらうところだが、私の可愛いペットたちが腹を減らしているのでね」
道化師は両手を広げ、舞台俳優のように大袈裟なジェスチャーをした。
「こんな小汚いガキのために⋯⋯実に滑稽な正義だな。ヒヒヒ、だが、貴様が持つその細身の剣…どこかで見たような気がする」
道化師が視線をギンの剣に集中させたその瞬間を、ギンは見逃さなかった。
ギンは道化師の軽薄な態度を逆手に取った。会話で相手の注意を逸らしている間に、彼女の頭の中では、父の過酷な修行で培った回避術と潜入術が、最高の戦略を構築していた。
(殺傷は避ける。無力化と情報収集。そして何よりも、血を流さない!)
タタンッ
ギンは地面を強く蹴った。その加速が、道化師たちに一瞬の隙を生み出す。
狙いは道化師ではない。その両脇に控える護衛だ。
道化師の護衛の一人が、ギンの動きに反応して攻撃しようとするが、すでに遅い。
キン!
短く、乾いた金属音が響いた。ギンの細身の剣が、まるで鞭のようにしなり、護衛の右腕に一閃。
護衛は、腕を切られたと錯覚したが、痛みはすぐに痺れへと変わった。
「ぐっ……」
痺れは腕から肩へ、そして胸へと、氷の川が急流となるように瞬時に広がっていく。体中の筋肉が、まるで砂で作られたかのように急速に力を失い、剣を手から滑り落とした。
「な、なんだこの痺れは……体が、動かん!」
護衛は絶望的な麻痺に襲われ、その場に崩れ落ちる。しかし、訓練された暗殺者の本能か、倒れ際に残った左手を伸ばし、ギンの足首を掴もうと必死に地面を掻いた。
「一人目!」
ギンはその執念を読み切っていたかのように、護衛の手が届く寸前、紙一重で身をひるがえし、その手を躱す。
残る護衛が懐から取り出した毒針を投擲——ギンは紙一重でそれをかわすと、針は石畳に突き刺さる。だが、護衛の本当の狙いはギンではなく、ギンの後で気を失い倒れている少年だった。
毒針をかわしたギンの一瞬隙をついた護衛は、「死ねぇ」と叫びながら少年を狙って剣を突き出して襲いかかる。
「⋯⋯まぁ、そう来るでしょうね」
ギンは素早く体を捻り、体勢を低くすると、少年に襲いかかる護衛に追いつき足を払った。護衛はバランスを崩すと、その場に前のめりに倒れ込む。
ギンは、倒れた護衛の首筋に剣を静かに突きつける。護衛は、その冷たい鋼の感触に動きを止めた。
「二人目。これで終わりよ」
道化師が琥珀色の小瓶を弄んでいた手を下ろし、小瓶を懐にしまう。ギンは内心、パン屋の夢のために磨き上げた回避と体幹が役に立ったと誇らしげに胸を張った。
道化師は、無言で、白い仮面の目を細めた。その仮面の下から、冷たい、感情のない声が響いた。
「面白い。まさか、一瞬で私の『犬たち』を無力化するとは。貴様、本当に一体何者だ?」
「しがない新人冒険者よ」ギンは剣を引かず、冷たく答えた。
背後の少年は、ギンの一連の動きに、もはや彼女を姉と錯覚するほどの畏怖と感動を覚えているようだった。
「…姉さん……強い……」
「だから、違うって言ってるでしょ!」
ギンは小声で、しかし強く否定した。
「道化師。二度目の警告よ。エデンについて全て話せ。そうすれば、血は流さない。全員無力化して、衛兵に引き渡すだけで済ませるわ」
道化師は、顔の仮面をピクリとも動かさず、静かに笑った。
「ヒヒヒ……正義の味方はお人好しだな。貴様が私を無力化できたとして、私がエデンの供給源だと、誰が証明できる?」
道化師は、ギンの一瞬の迷いを見逃さなかった。
「ヒヒヒ……どうやら君の剣は『血を拒む刃』のようだ。まるでそう、影の牙の五代目、あの義賊を気取ったいけ好かない娘が振るう剣にそっくりだねぇ」
(そっくりも何も、本人だしね。でも義賊を気取ってなんかいないわよ)
道化師は一瞬躊躇したギンの隙をつき、懐から取り出した煙玉を地面に叩きつけた。
シュウウウ!
一瞬で、橋の上は目眩がするほどの濃い煙に包まれた。
「煙玉!?」
ギンは即座に口元を覆い、少年を抱え上げた。道化師の狙いは、情報漏洩を避けるための逃走だ。この濃度の煙では、視界も音も遮断されてしまう。
煙の中から「ヒャハハ……また会おうね、五代目ちゃん」という道化師の声と護衛たちの呻き声だけが聞こえた。どうやらギンの正体は完全にバレたようだ。
「逃げるわよ、少年!」
道化師が立ち去る前に、ギンは少年に確認するべきことが一つだけあった。
「あなたの名前は?」
煙幕の中で、少年は咳き込みながら答えた。
「……クルト、だ」
ギンは、クルトを抱え、町の裏道へと駆け込む。クルトを抱き上げたとき、彼の体温が妙に高く、微かな獣の匂いがした。
(また逃げられた。だけど、クルトを助けることができたわけだし、良しとしましょう。それにしてもあの道化師、私の正体に気づいたわね……)
元々、ターゲットと対峙した際、自分が影の牙の五代目だとバレるのは問題なかった。だが、敵である道化師からいろいろと情報を引き出すはずが、逆に自分の情報を与えてしまったことが少し悔しかったのだ。
ギンは気を失ったクルトを自分が宿泊している宿屋に連れ帰り自分の部屋のベッドで寝かせ傷の手当てをする。
クルトの服を脱がし、傷だらけの体を濡れたタオルで拭き薬を塗る。それから、熱を出していたクルトの額に冷たい布を当てた。
安堵からか、クルトの全身を覆っていた薄い膜が現れ、すぐにフッと消えた。それは認識阻害のスキルを使うとできる膜だった。
――次の瞬間、銀の月明かりの下で、クルトの黒髪の中から、ピンと立った一対の犬の耳が現れた。ブランケットの下からは、短く可愛らしい尾が静かに揺れた。
(あの時の、獣の匂い……! そういうことだったの!)
どうやら、クルトは獣人族だったようだ。
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