第8話 裏切り者の「精算」と義賊の牙
夜明け前の闇が薄れ、切り立った崖の上の盗賊団「影の牙」のアジトにも、わずかに朝の光が差し込み始めていた。
集会所は昨夜の血生臭い戦闘の痕跡がきれいに片付けられており、血の匂いは、湿った岩と獣の臭いに混ざって薄れていた。
副頭領のゴウは、岩盤の上に散らばったバルカス一派の武器を拾い集めながら、深い違和感に苛まれていた。
「……なぜだ」
ゴウはバルカスたちの遺体を処理した。お頭のギンが剣で彼らを断罪し、血を流したのは間違いない。しかし、血を極度に嫌うギンが、あそこまで迷いなく剣を振るったこと。そして、バルカスたちを打ち倒した後、彼女の表情に、いつもの「血を見てしまった」後の青ざめた様子がなかったことが、ゴウの頭を混乱させていた。
「お嬢は、本物の冷酷さを手に入れたのか……?」
ゴウは、ギンが冷酷非道な四代目お頭の娘として、否、影の牙五代目お頭として組織を守るために自覚と責任が芽生えたのだと思った。だが同時に、彼女がパン屋になることを夢見る優しい人間であることを誰よりも知っているのもゴウ自身だ。
『汚れた手で美味しいパンは焼けない』
そう言って嬉しそうに微笑んだギンの顔が頭から離れない。
ゴウが重い足取りで集会所を出ると、通路の前にギンが立っていた。ゴウを真っ直ぐに見る彼女の瞳は、夜明け前の空のように澄んでいたが、どこか深い決意の色を帯びているように感じられた。
いつもの頼りない、およそ盗賊団のお頭とは思えないような普段のギンはそこにはいない。ゴウはギンの初めて見る表情に困惑しながらも何を話していいかわからず言葉に詰まっているとギンが静かに、ゆっくりと口を開いた。
「ゴウ。彼らを運び込んだ地下牢へ来てくれる? あなたに話があるわ」
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地下牢は、アジトの最も深い場所にあり、冷たい空気が肌を刺した。そこには、バルカスとその一派十数名が、縄で厳重に拘束された状態で横たわっていた。極度の疲労と三日薬( エデン)の反動で、全員が意識を失っている。
ギンは、ゴウを振り返り、静かに、しかし、明確な声で真実を告げた。
「バルカスたちは、生かしておくわけにはいかない。でも、殺す必要もない」
ゴウは目を見開いた。
「お嬢……いや、お頭。では、昨夜のあの血は?」
「剣についた血は、動物の血よ。そして、剣の刃には、魔女から買った特殊な麻痺毒を塗って使った。人を『斬れば』剣の血はすぐに固まってしまう。でも、血でなければ、そうはならない」
ギンは懐から、その剣を取り出した。剣先には、染料の跡が残っている。
「バルカスは胸を切られたと思ったでしょうね。でも剣を突き刺したのはバルカスの胸ではなく腕と胸の間、脇だったのよ。剣先を脇に刺した勢いで斬り、そこから麻痺毒が流れ込んだから気絶したの」
ゴウは、その事実を理解すると同時に、背筋が凍りついた。ギンは、血が苦手で見ると取り乱してしまう自分を隠し通しながら自分の夢を守り、また、組織の秩序と、五代目お頭の威厳までも守ってみせたのだ。彼女の恐ろしいほどの周到さ。これこそが、冷酷非道な四代目も持たなかった、五代目お頭が隠し持つ「牙」だった。
「お頭……あなたは……」ゴウは言葉を失った。
「ゴウ、彼らが目を覚ます前に最後の命令を出すわ」
そう言ったギンの表情は暗く、彼女はバルカスたちに背を向けたまま、冷徹な声で言った。
「彼らを衛兵詰所に突き出してきなさい」
ゴウは驚き、思わず声を荒げた。「お頭!? それは……衛兵なんかに突き出したら間違いなくバルカスたちは死罪になりますよ!?」
ゴウは慌ててギンに考え直すように言った。ギンはきっと彼らを衛兵に突き出しても殺されることはないと考えたのだろう。だが、バルカスたちはすでに何人もの罪のない村人たちを手にかけてしまった。捕まれば間違いなく死罪となるだろう。
「だから何? バルカスは裏切り者なのよ? そんな奴らの生き死により国に『影の牙は血に飢えた殺人集団だ』と誤解されている方が大問題だわ。このままでは、影の牙全体が討伐対象になる。そうなれば、影の牙は間違いなく崩壊する」
ギンの瞳に、一点の迷いもなかった。
「彼らは手柄をあげることに固執し、五代目の命令を無視した裏切り者よ。そんな彼らが死のうがどうなろうが興味ないわ。衛兵に引き渡すことで、世間に対して『やっぱり影の牙は今までとは違う』という事を明確に示し仲間を守る責任が私にはある」
これは、組織全体を守るための、戦略的な犠牲であり、「義賊」としての活動を正当化するための非情な決断だ。ギンは、パン屋の夢を捨て、組織のトップとして生きる道を選んだのだろうかとゴウ思った。
「ゴウ。彼らを連行し、バルカスたちに……」
そこまで言うと、ギンは言葉は止めた。ゴウはギンの言おうとしたことはわかっていたが、優しいギンは『それ』をゴウに命令できなかったのだ。ゴウは全てを察し、ギンの命令を聞くと深く頭を下げる。「御意。お頭の命令は絶対です」
その日、町は異様な熱気に包まれていた。
衛兵詰所の前に、全身を縛られたバルカス一派十数名が、意識が朦朧とする中、連行されてきたのだ。彼らは、極度の疲労と薬の副作用によって、時折呻き声を上げている。
連行してきたのは、全身を黒いマントと仮面で覆った盗賊らしき集団だった。その先頭に立つのは、人を威圧する太い声の男、仮面を被ったゴウだ。彼の持つ剣は、月の光を反射し冷たい光を放っていた。
ゴウは、衛兵たちに向かい、地響きのような大声で叫んだ。
「聞け!こいつらは影の牙の裏切り者だ!五代目お頭の『無用な殺生厳禁』の命令を破り、私利私欲と狂気に走った謀反人共だ!五代目お頭が、影の牙の規律を守るために、自ら断罪し、貴様らに引き渡す!」
衛兵たちは驚愕し言葉を失った。裏切り者とはいえ、影の牙が、自ら仲間を差し出すなど前代未聞の事態だったのだ。
ゴウは、衛兵たちが動揺している隙を突き、バルカスに近づき耳打ちする。
「バルカス。お頭の優しさを愚かさだと嘲笑した代償だ」
ゴウは、鋭い剣先で、バルカスたちの顔と両手両足に大きな×印の傷を刻みつけた。これは影の牙から裏切り者が出た際に付けられる『裏切り者の証』だ。今まで組織を裏切った者は全員このバツ印をつけられてきたのだが、ギンはゴウに命じることができなかったのだ。
(お嬢、アナタは優しすぎる。だから俺が……汚れ役になる)
バツ印を刻み終わるとゴウはバルカスたちにハッキリと告げる。
「これは、裏切り者の証だ。今、この時をもって影の牙はお前たちとの縁を切る!」
衛兵たちは、ゴウが突き出した証拠品(バルカスが村で略奪した金品など)と、バルカスの顔の傷、そして何よりも狂気に満ちたバルカスの目つきを見て、彼らが村を襲った犯人であると確信した。
集まっていた町人たちも、この光景を見て熱狂した。
「見たか!? 五代目お頭は、悪事を働く者は、仲間であっても許さない!」
「悪徳領主アルベルトとは大違いだ!五代目こそ、我らの救世主だ!」
ゴウたちは、衛兵への引き渡しを終えると、気づかれることなく再び闇夜へと消えていった。衛兵たちは、拘束されたバルカスたちと、ゴウが投げ渡した証拠品を前に、混乱しながらも、淡々と自分たちの仕事をこなしていった。
───翌日、町には新たな号外が配られた。
『五代目お頭、規律を乱した裏切り者を断罪!影の牙は真の義賊集団へ!』
記事は、五代目お頭が、団内の規律を守るために、冷酷非道な四代目の教えに固執した裏切り者たちを自ら断罪し、衛兵に引き渡したと報じていた。町人たちの五代目お頭への熱狂的な支持は、もはや止めようがなかった。
アジトの私室で、ギンは仮面を磨きながら、報告に戻ったゴウに尋ねた。
「バルカスたちは、どうなった?」
ゴウは静かに答えた。「衛兵に引き渡され、厳重に投獄されました。彼らの罪状は明確なので、おそらく死罪となるでしょう」
ギンは磨いていた仮面を静かにテーブルに置いた。
「そう。……衛兵に引き渡された彼らは、影の牙の掟を破った者として、国よって、裁かれるでしょう」
彼女は、殺生を避けたにも関わらず、結果的にバルカス一派を死地へ追いやったことに苦しんでいるようにゴウには見えた。パン屋の夢とは真逆の、組織のトップとしての冷酷な責任、その責任にギンはいつか押しつぶされてしまうのではないかと心配になる。
「私は、血を見るのは嫌い。でも、組織を守るためなら冷酷な決断だってするわ」
ギンの葛藤は、彼女の目を再び曇らせた。しかし、ゴウの言葉がその曇りを一掃する。
ゴウは、静かに、そして力強く言った。
「お頭の決断は、影の牙を救いました。お頭の命令は絶対です。お頭は、四代目とは違った形で影の牙を導いている。血と狂気に満ちた陰の道を歩むことが四代目のやり方なら、お頭は、さしずめ光が射す道を我々に歩ませようとしているんだと思います。血と鉄臭い道よりよっぽどマシだな。花の一つでも咲かせてくれりゃ俺たちも少しは人間らしい生き方ができるってもんです」
ゴウにそう言われると、ギンは少し困惑した顔をした。
「うぅ…… やっぱ盗賊団らしくないよね。父さんにもよく『お前は甘い』って言われてゲンコツ落とされてたのを思い出したよ」
「そうかもしれませんね。でも俺は、花も咲いていない光もない道を歩くよりずっと楽しそうだと思いますよ」
ギンは、テーブルの上の鉄の仮面に手を伸ばした。彼女の心の中に、パン屋の温かい香りと、組織を守るための鉄の意志が拮抗しながら存在している。
「パン屋の夢は逃げるためじゃない。夢のため、そして私を信じてついて来てくれる仲間たちのために、私はこの牙を振るうわ」
彼女の次の標的はもう決まっていた。仲間であったバルカスたちを狂わせ、影の牙を崩壊寸前まで追い込んだ三日薬(エデン)。その製造と流通を牛耳る黒幕こそ、今、彼女が断つべき根源的な悪だ。
ギンは、仮面を顔に被り直した。
「美味しいパンは、みんなで食べなきゃ意味がないのよね。だからゴウ、次の仕事は、この国を蝕んでいる毒片付けるわ。美味しいパンのためにね」
「わかりました。どこまでもついて行きますよ、お嬢!」
彼女は、単なる優しい少女から少し成長した。そんな彼女の背中には、パン屋の夢と五代目お頭としての使命が重くのしかかっていたが、ゴウには以前にも増して頼もしく見えていた。
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