第3話 領主の怒りと賞金首
「な、何だと!またしても『影の牙』だと申すのか!?」
領主邸の豪華な応接室で、領主アルベルトは椅子を蹴倒し、激昂していた。彼は、先日の税金強奪事件に加え、今度は北の商人の積荷まで奪われたことに、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。
「しかもだ!怪我人どころか、抵抗した者すら一人もいないだと!?護衛の奴らは、ただ居眠りでもしていたのか!」
北の山脈を越える商人の馬車と、それを守る護衛たちは、何事もなく街道を通り過ぎた。しかし、彼らが目的地に着いたとき、積荷の金貨袋だけが忽然と消えていた。馬車はもちろん商人たちや護衛の者たちに傷一つ付けることなく奪って行ったのだ。
町では、この一件がすぐに噂になった。汚いやり方で金を集める商人や、理不尽な税を課す特権階級からのみ金品を盗み、貧しい人々に分け与える。しかも、誰も傷つけない。
「影の牙の五代目!やはり彼女は、真の義賊だ!」
こうした町の人々の熱狂は、領主の屋敷にまで届いていた。
アルベルト・ドラルド。彼は代々領主を務めているドラルド家に、いろいろあって町の孤児院から養子として迎え入れられた養子上がりの成り上がり悪徳領主だ。
アルベルトは、その権力を笠に着て理不尽な税をいくつも作り、民から重税を絞り取っていた。そんなアルベルトの容姿は、町の人たちや農村の人たちから、「あの豚領主の腹には金と油が詰っている」などと陰口を叩かれるくらい肥え太っており、まさに『私腹を肥やす』という言葉がぴったりの人物だった。
彼は「影の牙」の悪名を利用し、自分の強奪行為や暗殺を彼らの仕業に見せかけることもあったため、今回の義賊的な行動は、彼の悪行の隠蔽を妨げる許しがたい背信行為に思えた。
「奴らが義賊などと広まるのはマズいな……。ええい忌々しい。『影の牙』を皆殺しにしろ!すぐに冒険者ギルドに依頼を出せ!お頭の首を獲った冒険者には金貨百枚をくれてやる」
金貨百枚。それは、庶民が数十年暮らせるほどの大金だ。領主は、この破格の賞金で、冒険者たちが血眼になって「影の牙」を潰しにかかるだろうと確信していた。
────しかし、領主の目論見はすぐに外れる。
冒険者ギルドの掲示板に、金貨百枚という輝かしい依頼が貼り出されると、確かに冒険者たちはざわめいた。しかし、誰も領主の依頼を受ける冒険者はいない。欲望よりも恐怖が勝ったのだ。
「おい、見たか。『影の牙』の討伐依頼だぜ。賞金、金貨百枚だぞ!」
「馬鹿を言え。影の牙と事を構えたりなんかしたら命がいくつあっても足りねぇ。しかも、新たに影の牙を率いることとなった五代目は、どうやらただの冷酷な盗賊じゃない。義賊的な動きで民衆の支持を集めているって話だ。そんな奴らを討伐しちまったら、今度は俺たちが町の奴らから狙われちまう」
「影の牙」は、血に塗れた歴史を持つ盗賊団であり、そのアジトである崖の上の要塞は、難攻不落として知られていた。過去に討伐隊が送られたこともあったが、戻ってきた者はほとんどいなかった。
さらに、五代目お頭の「誰も傷つけずに金だけを奪う」という奇妙な手口は、彼らの実力の底知れなさを物語っていた。血の匂いはしないが、その技は神業の領域に達している。そんな相手に、金貨百枚のために命を懸ける冒険者はおらず、ギルドのマスターは領主からの催促に困り果てていた。
「領主様。申し訳ありません。この依頼、誰も引き受ける者がおりません。何せ相手は『影の牙』……。それに、最近の五代目は、悪税を奪い返す『義賊』として民衆に人気が高く、討伐すれば逆に街の怒りを買うことを恐れております」
領主アルベルトは、ギルドマスターの報告に、応接室の豪華な調度品を叩き壊した。
「ふざけるな!わしはこの地の領主だぞ!民衆など、わしが一喝すれば黙るわ!『影の牙』のコソ泥共め……わしをナメおって!」
領主の怒りは頂点に達し、彼は最後の手段に出ることを決意した。
その夜遅く、領主邸の裏門から黒いマントを纏った男が滑り込んできた。彼は、領主が秘密裏に利用してきた、この国の裏社会を牛耳る「無貌の執行者(エンフォーサー)」と呼ばれる暗殺者ギルドの幹部だった。
「……影の牙の討伐だと?金貨百枚。冒険者がビビって手を出さないのは当然だ。彼らは『影の牙』の牙の鋭さを知っている」
「黙れ!お前たちは、わしが今まで何度、邪魔な人間を消すために利用してきたと思っている!金はくれてやる。あの五代目を、団員もろとも、徹底的に消し去れ!」
領主は、自分の手が血に塗れることを厭わない暗殺ギルドならば、確実に任務を遂行すると信じていた。何せ彼らは、アルベルトの依頼を受け過去に幾人もの有力貴族や反逆者、果ては義理の兄弟たちまで痕跡一つ残さず闇に葬ってきたプロの暗殺集団なのだから。
裏ギルドの幹部は、領主から受け取った報酬を冷たい手で弄びながら、不敵に笑った。
「承知した。明日の夜には、『影の牙』の名は、この世から消えているだろう」
その日の深夜、暗殺ギルドから選りすぐられた数十人の暗殺者たちが、「影の牙」のアジトがある切り立った崖へと忍び寄った。彼らは闇に紛れる訓練を受け、無音で行動するプロ中のプロだ。
しかし、彼らがアジトにたどり着く前に、異変が起こる。
「……何か、粘つくような匂いがしないか?」
「気のせいだ。急げ!」
先頭を歩いていた暗殺者が、足元に仕掛けられた何かに気づくことなく、一歩踏み出した瞬間。
ベチャッ!
彼の足は、特殊な油と樹脂が混ぜられた強力な粘着トラップに捕らえられた。
「な、何だ!?」
次の瞬間、崖の上の暗闇から、無数の硬い塊が降り注いだ。
ドスッ!ドスッ!
それは、ギンが幼い頃、地獄のような修行で使われていた『あの大岩』だった。──今度のは避けることができないよう十分計算し尽くして設置された大岩だ。
「うわあぁ!」
悲鳴と共に、数人の暗殺者が崖から転落した。さらに、彼らの足元を粘着トラップで固定した上で、上空から次々と「ねばねば」が降り注ぐ。それは、あの燻製チーズ作戦で使われた特製の粘液を強化したものだった。
そして、闇の中から、太い声が響いた。
「てめぇら、四代目お頭の時代から、アジトにちょっかい出そうとした馬鹿は全部谷底に叩き落とされてきたんだ。五代目お頭が優しいからって、舐めてんじゃねぇぞ!」
黒装束を纏い武装した副頭領のゴウと「影の牙」の団員たちが、崖の上から弓と投石で暗殺者たちを迎え撃っていた。
「影の牙」の荒くれ者たちは、五代目であるギンには頭が上がらず手を焼いていたが、彼らの間に流れるのは、血と暴力の歴史。彼らの戦闘スキルは、冷酷非道な四代目によって徹底的に磨き上げられたものだった。彼らはギンが仕掛けたトラップで動きを封じられた暗殺者たちに対し、一切の躊躇なく、最小限の労力で無力化していく。
アジトの作戦室で、ギンは耳を塞いでいた。遠くから聞こえる叫び声と、硬いものが砕ける音。
「……ゴウ、誰も斬っていないわよね?斬ってないって言ったわよね?」
目の前で油を磨いているゴウが、冷たく言い放つ。
「お嬢。我々を侮辱しアジトに踏み入った奴らを殺すなとは、やはりお嬢は甘すぎます。 ですが、ご安心を。全員、致命傷は避けています。骨を数本折った程度で死んではおりませんから」
暗殺ギルドの暗殺者たちは、まさに「返り討ち」にあったのだ。彼らの持つ暗殺術よりも、ギンが編み出した迎撃トラップの方が、遥かに優れていた。
夜が明ける頃、暗殺者数十人は、全員が身ぐるみを剥ぎ取られて全裸で、尚且つ、手足の骨を折られた状態で、領主邸の裏門に繋がれたまま放置されていた。
「ひ、ひぃぃ」
無貌の執行者率いる暗殺者ギルドの精鋭たちが返り討ちにあった姿を見てアルベルトは悲鳴を上げる。アルベルトの悲鳴で意識が戻った暗殺者の一人が血を吐きながら呟く。
「……五代目は……殺さない。でも……あいつが一番恐ろしい……」
屈辱と、それ以上に恐怖が刻まれ戦意を失った暗殺者たちを見たアルベルトは、恐ろしさのあまりその場に尻もちを搗き失禁してしまった。
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