女盗賊ギンの不本意な世直し〜私、義賊じゃなくてパン屋になりたいのに〜
奥野細道
第1話 血よりもチーズとパンを愛する盗賊
薄暗い酒場の片隅で、一人の女盗賊が頭を抱えていた。目の前には、琥珀色のエールと、山盛りの薫製チーズがある。エールは苦いが、チーズの塩気がそれを打ち消す。この一日の憂鬱を紛らわすためのささやかな喜びだ。
「……なんで、こうなるかなぁ」
女盗賊が呟く。彼女は今、「影の牙」と呼ばれる盗賊団の五代目お頭に就任したばかりだ。
「影の牙」は代々、この地方を恐怖で支配してきた名門(悪い意味での名門だが)の盗賊団である。先代たち、特に父である四代目のお頭は、冷酷非道で知られ、略奪はもちろん、邪魔な人間は平気でその場で切り捨てるような男だった。
そんな父が率いた影の牙の盗賊たちも、冷酷非道な父に負けず劣らずの者たちばかりだ。
しかし、当代のこの女盗賊は、父たちとは似ても似つかない。
彼女は人の血を見るのが大の苦手で、小さな切り傷でさえ青ざめてしまい、略奪品を「金目の物」ではなく、「人が丹精込めて作った物」として見てしまうような、およそ盗賊には向いていない性格をしていた。
この間など、盗賊団の頭である父の命で押し入った悪徳貴族の屋敷で、家主である貴族を守る護衛たちに大きな声で怒鳴られた際、反射的に「ごめんなさい!」などと謝りそうになったくらいだ。
この女盗賊、背が高く引き締まった体つきはしているが、その目元は優しげで、盗賊団の荒くれ者たちが身に着ける派手な装飾品も彼女の細い首には似合わない。
そんな彼女の夢は、静かな街でパン屋を営みながら、昼下がりには大好物の焼きたてチーズパンとハーブティーを楽しむことだった。
しかし、これまで盗賊団を率いていた父が何の前触れもなく引退を宣言すると、父は引退式に集まった盗賊団の団員に向けとんでもない事を言い放った。
「今日からは我が娘『ギン』が五代目だ。ギンを頭にこの『影の牙』を頼むぞ、お前ら!」
頭の命令を断ることは死を意味する。盗賊団の絶対の掟だ。こうして、パン屋を営むというギンの夢は儚く散り、不本意ながら盗賊団の頭になってしまい今に至る。
お頭就任から三日後。新生『影の牙』に初めての仕事が舞い込んだ。
「お嬢。税金を徴収した役人の馬車が西の街道を通るみたいですぜ!」
新たに影の牙の副頭領となったゴウが不敵な笑みを浮かべながらギンに報告する。
「影の牙」の副頭領ゴウは、五代目お頭であるギンとは幼い頃から共に育った幼なじみでもある。
幼い頃のギンは、父である四代目お頭の冷酷なやり方や、盗賊団の血生臭い日常に馴染めず、いつも盗賊団の隅っこで静かに街のパン屋を夢見ていた。そんなギンを、ゴウは影ながら見守ってきた。
ゴウは、顔の大きな傷跡と、人を威圧する太い声が特徴で、盗賊団の荒くれ者たちの中では「筋金入りの悪」として通っている。
彼は四代目お頭であるギンの父に可愛がられていた事もあり四代目の信奉者で、盗賊団絶対の掟と冷酷非道な「影の牙」の伝統を守ることに誰よりも忠実だった。それは四代目への忠義と同時に、ゴウにとって盗賊団という厳しい世界で、ギンの居場所を守る唯一の方法だと信じていたからだ。
彼が「お嬢」と呼ぶギンに厳しい言葉を投げかけるのも、彼女が優しすぎるが故に、いつか裏切り者に斬り捨てられるのではないかという幼なじみとしての心配からくるものだ。
「税金徴収の馬車かぁ……。もうそんな時期なんだね」
ギンは遠く見つめ、ゴウが淹れてくれたお茶を飲みながらこの後聞かされるであろう現実から目を背けるようにとぼけた。
「何をのんきなこと言ってるんですか!領主の手下どもは斬って捨てて、馬車から奴らが徴収した税金をごっそりいただくチャンスじゃないですか!」
ギンは胃がキリキリと痛むのを感じた。
「あのね、ゴウ。斬るなんて、そんなことしなくていいじゃない。血は汚れるし、後始末も大変だし、何より斬られたら痛いじゃない」
「…お嬢、冗談でしょう?」
「冗談じゃないわ。いい?作戦変更よ。誰も傷つけない、スマートな強奪を目指すわ」
その夜、領主の馬車襲撃を決行した「影の牙」の面々は、奇妙な光景を目にすることになった。
ギンが編み出した作戦はこうだ。
『馬車が通る街道の地面に、特製ねばねばトラップを塗る』
『馬車が通りかかった瞬間、上空から大量の燻製チーズと高級ソーセージを投げつける』
『領主の手下たちがトラップの甘い匂いとねばねばに身動きが取れず混乱している隙に、馬車の中の金だけを完璧に抜き取る』
馬車の中の金を抜き取られている間も、領主の手下である役人たちは、ギンが燻製窯から取り出したチーズに、町で道具屋を営んでいる魔女から買った食欲を狂わせる秘草を擦り込んでおいた燻製チーズと高級ソーセージに夢中になっており、気づくこともなかった。
結果、ギンの作戦は大成功だ。
徴収した税金を失った馬車が朝方街に戻ると、人々は驚いた。領主の手下である役人たちは全員、ねばねばで身動きが取れず、高級なソーセージの油でベトベトになりながら、恍惚の表情で倒れていた。もちろん誰も死んでいないし、傷一つ負っていない。
また、馬車から盗まれた税金は、農村の人たちから絞り取った極めて悪質な「日照税」や「井戸税」などと呼ばれる何とも理不尽な税だったのだ。
ちなみに日照税とはこの領地特有の税であり、『地上を照らす太陽の光さえも国の物』とする領主が考えた税であり領地に住む民たちは皆、これを納めていた。
翌日、街はざわめき立った。
「聞いたか?昨日の夜、領主様の馬車が襲われたらしいぞ!」
「ああ、あの冷酷な『影の牙』がやったそうだが、今回はなんだか様子が違うらしい」
「怪我人は一人も出ていない。なのに、消えたのは悪税だけだ!」
「しかもだ。その領主の馬車から奪った金を農民たちの住む村の上空からバラ撒いたらしい」
それから数日後、町では号外が配られた。その号外にはこう書かれている。
『影の牙の五代目!彼女こそ、我らを救う真の義賊だ!』
それを見たギンは、居酒屋でエールを吹き出し、チーズを喉に詰まらせ盛大にむせた。
「義賊? 待って、私はただ、血を見るのが嫌で、後始末が楽な方法を選んだだけなのに!私、ただの盗賊なのよ!?」
「お嬢、あんたが屋根伝いに金運んでるところを農村の奴ら見られちまってたみたいですぜ。そのうえ役人からかっぱらった金を村の奴らにばら撒いちまったから……」とはゴウ。
「だってだって、まさかお金を入れてた袋が傷んでたなんて知らなかったんだよ」
「その傷んでた袋にパンパンに金入れて、人目を避けるように村の屋根から屋根へと飛び移りながら運んでれば破れもしますよ」
ギンは頭を抱えながら溜め息を吐く。
「私、義賊じゃなくて怖い怖い影の牙の盗賊、それもお頭なのに……」
その後、仕事の失敗を忘れようと夜遅くまでヤケ酒をした挙句、酒場で大泣きして寝てしまったギンを、ヤケ酒に付き合わされたゴウが影の牙のアジトにあるギンの部屋まで運んだ。
──翌朝、そんなギンの部屋のドアが乱暴に開けられ盗賊団の荒くれ者たちが血相を変え慌てた様子で飛び込んで来た。
「お頭、次の仕事が決まりましたぜ! 今度は北の商人を……」
次の標的が決まり興奮を抑えきれないといった盗賊団の荒くれ者たちとは対照的にギンはお腹を出しながら気持ちよさそうに寝息を立てていた。
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