第5話 閉架書庫の番人

「そういえば……、家田さんとこのおじいちゃん、体調崩してしばらく入院してたけど、ちょっと危ないらしいよ」

 ある日、僕が帰り支度をしていると、休憩室の奥にあるロッカーから馬場さんと日下部さんの話が聞こえてきた。

「――それ本当ですか?」

「う、うん……そうみたいですよ」

 僕が事務室から突然声を上げると、少し戸惑いながら馬場さんは答えた。

「家田さんは、どこに入院してるんですか?」

「確か……、玉井病院かな」


 家田さんは、この図書館が出来た当初から司書として勤務していた言わば、初めての鳴滝町立図書館の図書館司書である。僕と入れ替わりで定年となり、職員としては退職したが、その後3年間は嘱託職員として僕を教育してくれた。厳しい人であったが、本に対する愛着はひとしおで、僕も尊敬していた。


 家田さんは他の職員から『閉架書庫の番人』と言われていた。

 ――閉架書庫とは、貴重な本や古い本などあまり使われていない本が置かれている場所で、基本的には図書館職員しか入らない。その為、一般の利用者がこの書庫にある本を読むにはカウンターで申請をする。逆に、一般の利用者が直接書架から本を探して手に取ることができる場所は開架という。鳴滝町立図書館では、利用者が見れる開架に8万冊、閉架に12万冊の本があり、実際は直接見れない本の方が多い。これは、この図書館に限った事ではない。


 家田さんは開架に限らず、閉架書庫の本まで1冊1冊どこにあって、どんな内容なのか分かっていたほどであった。

 彼は、鳴滝町に初めての図書館が出来る2年前に図書館司書として鳴滝町の職員になり、設立準備から関わっていた。

 開館当時は、10万冊であった鳴滝町の収蔵図書の管理も、当時はまだ行っていた図書原簿や資料台帳の手書きによる作成もほぼ一人でやっていた。図書館システムを導入した今でも、その図書原簿と資料台帳はテープで何度も補修されながらまだ残っている。

 家田さんは寡黙な人で、司書として本の説明や、資料の提供と言った利用者に対するレファレンス業務的な仕事はほとんどしなかったが、本の管理や整理等の裏方的な仕事では、本当に頼りになった。


 そして、実は家田さんとの出会いは、僕が子供の頃まで遡る。

 僕は本が好きだったので、学校が終わると、この鳴滝町の図書館に来て本を読んでいた。

 そんな夏休み中のある日、僕は朝の開館と同時に図書館にやってきた。小学校の夏休みの課題で、48都道府県の昔話を1話ずつ調べようと考えていたからだった。

 前々から、母親を通じて図書館にはお願いしていたので、家田さんが対応してくれる事になっていた。正直、初めて家田さんに会った時は子供心に怖い感じがして、僕はずっと緊張して黙っていた。

 すると、この時は家田さんの方から僕に話しかけてくれた。

「君、名前は?」

「長谷川洋介です」

「ふむ、どんな昔話が知りたいんだい?」

 僕と目を合わせようとはしなかったが、口調は穏やかだった。

「は、はい。48都道府県で一つずつその地域の昔話を知りたくて……」

「ふむ」

 家田さんは、少し考え込んでいるようだった。

「よし、じゃあ作業室でやろうか。一緒についてきて」

 そう言うと、家田さんは階段を下りていった。何度も来ている図書館だったが、職員の事務スペースである地下1階には、この時まで行ったことが無かったので、未知の世界に踏み込む感じがして、僕は内心わくわくしていた。


 家田さんは、地下1階にある作業室の扉を開けて僕を手招いた。

「そこに鞄を置いて」

 僕にそう指示すると、何も言わずに地下1階の奥にある薄暗い閉架書庫に一緒に入っていき、家田さんは大きな書架がたくさん密集して並んでいる場所の書架の一つの前に立った。そして、慣れた手つきで書架の前面についている丸いボタンを押すと、その書架と隣の書架が左と右に動きだして真ん中に通路が出来た。そして、その通路の奥にある壁の上部の小さな窓から洩れる光りが、通路を照らしていた。

 僕はそれを見た時、以前読んだ「アリババと40人の盗賊」で、アリババが「開けゴマ」と唱えると、岩の扉が開き、中から盗賊の隠した宝物が出てくるシーンを思い出していた。

「ここで待ってろな」

 家田さんは、僕にそう言うと、通路の奥にブックトラックを押して入っていった。

「凄いなあ、これ」

 僕は、初めてみる書架の形をした電動式の機械に驚いて、思わずつぶやいた。

 その通路を家田さんが歩いて一番奥まで行くと、書架に並んでいる本の内、20冊くらいをブックトラックに載せて戻ってきた。

「よし、行こうか」

 家田さんはそう言うと、ブックトラックを押して作業室へと戻った。僕はこの時、普段のんびりした様子の家田さんが、書架から本を探しだす時の手際の良さにとても格好良く感じていた。

 そして、作業室のテーブルに1冊ずつ本を取りだし、内容を詳しく説明してくれた。

「じゃあ、長谷川君」

「はい」

「2階の学習コーナーにこの本を運んどいてあげるから、そこでこれを読みなさい」

「分かりました、ありがとございます」

「ふむ」

 この時、家田さんは優しく笑っていた。僕は、初めて家田さんの笑っている顔を見て、なんだかとても嬉しかった。


 数日後、僕の夏休みの課題は無事に終わり、完成した物を図書館に来て家田さんに見せた。

「うん、良く出来てるね。君は、図書館は好きかい?」

 家田さんはじっくりと僕の課題を見てから、初めて僕の目を見てそう言った。

「はい、大好きです」

 僕は、にっこりと笑って家田さんにそう答えた。

「そうか大好きか。それは良かった」

 家田さんは嬉しそうにそう言うと、背を向けて事務室に戻っていった。


 カウンターには、ほとんど入らない家田さんとはその時以来、あまり会う事はなかったが、たまに図書館内ですれ違って僕が挨拶をすると右手を軽くあげてくれた。

 僕は子供心に、この時の家田さんはとても輝いて見えた。そして、僕が図書館司書を目指すきっかけになった人だった。

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