其の四 呼び名の柵③

 屋号とは、家の営みと過去をそのまま名に封じたものだと前回書いたが、この土地で屋号を口にすることは、相手の由来に触れる行為であり、その家の“背骨”をなぞるようなイメージだ。


 そんな文化で育ったものだから、関西に移り住んでも、ふとした拍子に他人の名の扱いに身構えてしまうことがある。名は軽々しく呼ぶものではない——その感覚が、どうにも抜けないのだ。


 さて、そろそろ故郷の風習についてまとめ直しておこうか、と重い腰を上げはじめた矢先のことである。

 大学時代の恩師である蘆名教授から、実に久しぶりに大学時代から使っているアドレスにメールが届いた。


 教授が私の現在の活動——創作も何もかも——をご存じないのは分かっている。


 ただ、学生時代の私は、郷里の屋号や葬礼習俗について随分熱心に調べていたし教授も私のレポートはよく書けていると高い評価をくださっていたので、芸大に来てまで民俗学を選択する変わった生徒という、その記憶だけは鮮明に残っていたのだろう。


 件名は素っ気なく、本文はもっと素っ気なかった。いきなり本題のメール文は相変わらずだった。


> 乃東 かるる殿

> 前略

> 「乃東くんの地元の屋号文化について調査したいと言う教え子がいる。

>  可能であれば、話を聞かせてやれないか。」


 文章そのものには、何の含みも脅しもない。学者らしい、用件だけのそっけない文である。


 ——しかし、読んだ瞬間、胸の奥に冷たいものが一筋落ちていった。


 私自身、故郷とは距離を取って暮らしているつもりだった。


 地元の風習を再び調べようと思ったのも、あくまで自分の大学時代の手元の資料整理と、旅先で聞いた話の共通点を自己満足で編集していたのであって、今頃わざわざ踏み込むつもりはなかったのだ。


 ところが、よりによって“屋号の話を聞きたい”という学生が現れ、その相談が私へ向けて回ってきた。


 偶然と言えばそれまでだ。

 ただ、あの町を出て久しくなるのに、こうして折に触れて呼び戻されるような感覚は、どう言えばいいのか——

 

 どこか、嫌にあの土地らしい。


 あの町では、名を呼ぶというのは、引き寄せる行為だった。


 呼ばれた側は、応じずにはいられない。



 生者でも死者でも、だ。



 教授のメールを改めて読み直す。

 そこには確かに、“私の名”が記されていた。


 屋号でも、家でもない。

 地元でもない。

 京都での生活にも慣れきった私の名前だ。


 だがふいに、幼いころに教わった言葉が胸を掠める。


 ——「名は魂。呼ばれたら、応えるほかあらへんのやで」


 教授が悪いわけではない。郷の歴史に興味を持った後輩が不気味なわけでもない。


 それでも、こうも都合よく話が転がると、

 何かに“呼ばれた”ような気がしてならないのだ。


 故郷は、そう易々と手を離してくれない。

 境界の向こうから、何かがこちらを見ている——


 そんな妄想すら、頭の片隅に浮かんでしまう。


 教授の依頼を断ることもできたはずだ。

 だが私は、少し考えた末、


「ご連絡ありがとうございます。

 ご依頼、承知いたしました。日程等、詳細をお知らせください。連絡先メールアドレスは其の学生さんに伝えていただいても構いません」

 

 送信ボタンを押した瞬間、少し後悔したところもあった、何やら他の土地の人をでしまったのではないか?と。


 呼ばれた名に応えるのは、あの土地の摂理である。


 ——私もまた、その摂理に縛られた一人なのかもしれない。

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