2日目 “鋒矢突破”について
せっかくなので、今日は現在開催中のイベント“鋒矢突破”に関する話をします。
“鋒矢突破”は高難易度コンテンツです。
日々強大になる敵の脅威に備えて、身内のオペレーターたちの戦闘データをモデルに作った訓練官と、仮想空間で戦闘訓練をする、といった内容だそう。
もう一度言います、高難易度コンテンツです!! 試行錯誤とトライアンドエラーは必至、アークナイツというゲーム性を端的に表した面白いイベントです!
そう、面白い……ことに変わりはないんですが、同時にストレスもかかります。一筋縄でクリアさせてくれないので、フラストレーションが溜まるのです。
所詮は遊びなんだから、嫌ならやらなければいいのでは? と、一瞬自分で思ったりもしてしまいます。
でも、やめられません。
なんでそんな過酷なゲームを続けるのだろう? なんで自ら困難に飛び込むのだろう? と、考えてみます。
当然、ステージをクリアすればお金やオペレーターの強化素材が報酬として手に入ります。
人によっては、それが目的(モチベーション)という場合もあると思います。けど、自分は違うような気がしました。
おそらく、自分の根底に流れるのは、ある種の“自己表現”や“自己満足”なのです。
好きなキャラたちの潜在能力を引き出して、勝負に勝たせてあげたい。物事を深く理解し、知識を身につけたい。攻略動画は見ずに自己流でクリアを目指したい。
そして何より、クリアを目指して試行錯誤している瞬間そのものがとても楽しいのです。
自分は要領が悪い人間です。ですが、そんな劣った人間でも、ゆっくりと時間をかければ“できる”のだという確かな自信を得られる、その感覚が心地よいのかもしれません。
強いストレスがあったとしても、それより大きな魅力がそこにはある。
目に見える成果や形ある報酬、称賛は、どうやらあまり魅力的とは思わない性分らしいです。
逆に“自己満足”や“自己表現”には、自ら進んで行動を起こそうと思える魅力(理由)が存在します。
なんだか現実世界の自分ともリンクしている部分があるなぁ……と、いま書いてて思いました。
“やりたい理由”がないとやる気が起きない自分は、なんとも難儀な生き物です……。
自分にとってゲームとは、アークナイツに限らず、自己分析のツールでもあると思います。ゲームをプレイするおかげで自己理解が深められる。そのおかげで、物事の枠組みを俯瞰して見られるようになってきた気がするし、日常生活でもその経験が活かされているんじゃないかなぁ、と思ったりもします。
どんなステージでも、攻略不可能でしょ、こんなの! と思うような理不尽が待ち受けていても、攻略の糸口を見つけて戦略を構築していけば、初見時の困惑が嘘のように簡単にクリアできてしまう!
これはアークナイツあるあるです!
ただし“論争頻発”あなたは絶対許さない!
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