第2話―8

 子どもらしき影――そう、まどかはずっと不思議に思っていたのだ。なぜかこの場所の幽霊目撃談のほとんどが子どもの霊であることに。建設中不幸にして亡くなった労働者ならわかるが、なぜ子どもなのだろう。トンネルである以上、事故などがあったのかもしれないが、具体的な記事などは見つからなかった。


「これは⋯⋯子ども、でしょうか?」やはり省吾しょうごにもそう映っているようだ。


 弥幸みゆきは背後を振り返ってキョロキョロと周囲を見回す。


「ほんとに?いるの?えっ⋯⋯ぜんぜん見えないんだけど」


「先輩、あの、これを」円は撮影しているスマホを示す。


 実際に録画できているかは定かではないが、そこには黒く、モヤモヤとした空間のひずみのようなものが映っている。弥幸は急いで円の後ろに回り込み、映像を確認すると感嘆の声をあげた。


「ほんとだ。なんか映ってる。でもなんで、なんで見えないんだろう。みんな見えてるんだよね?」


 そう、円の目にも、省吾の目にもこの存在は見えていた。この場の空気だって先ほどまでとは明らかに違っている。これを感じないだなんて⋯⋯。


 円は理解した。この人は、この超常現象研究会会長・三浦弥幸は、霊的なものを感じとる能力が徹底的に欠如しているのだということを。


 なんと気の毒な。もし自分がそうだったらと思うと、円は同情を禁じえなかった。あんなに見たがっていて、たったひとりでも心霊スポットを探索して巡っているのに。おそらくこれまでだって幽霊と遭遇してはいたのだろう。ただ弥幸が認識できなかっただけで。


 3人はしばらくの間、その場を動かずに観察した。その黒い塊は消えるでもなく、動くでもなく、ただそこにあり続けた。


「えーと、それで、どうする?有明くん」痺れを切らした円が問いかける。「またこの前みたいに、やる?」


「いいえ」省吾は首を振る「空手に先手なしです。攻撃されないならこちらからは手を出しませんよ」


「あー、だよね」


「それに、幽霊といっても元は私たちと同じ人間でしょう?それもこの世にとどまってしまうほどの無念を残した。無闇矢鱈と攻撃していいはずがないでしょう」


 こ、こいつ、たまにまともな事を、と円は思った。たしかにそのとおりだ。円自身も、霊をまるでただの怪物のごとく扱う物語や配信者などには、ずっと違和感を抱いてきたのだ。なにもされないのならこちらから手を出すべきではない。


 ふたりがそんな話を交わしている間も、弥幸は円のスマホに映るモヤモヤを食い入るように見ていた。そしてなにかに気づいたのか「あっ」と声を漏らした。


「この映像のここさ、なんかモヤモヤしている塊とは違う、別のモヤモヤが繋がってない?ほら、なんか紐?みたいな」


 省吾も寄ってきて、3人で映像を確認する。言われてみれば、なにか別のものに結びつけられているように見えた。円と省吾は肉眼でも確認するが、そちらでは黒い塊のあいまいな輪郭と混ざりあっていて、よく確認できなかった。


「なんだろう?」円は首をかしげる。「なんかわかんないんだけど、嫌な感じするね」


「そうですね、嫌な感じです」省吾も同意する。


 そして、おもむろにこう提案した。


「切ってみましょうか」


「えっ、切るって、切るの?あのモヤモヤを?」円は驚いて省吾を見る。「どうやって?」


「まあ、できるかはわかりませんが、試しに」と言いながら黒い塊に近づいていった。


 省吾は映像で見た大体のところで、指を差し、正確な場所を確認する。円もハンドサインで指示を出した。そして省吾はピッタリその場を定めると、姿勢を正す。


 鼻で深く息を吸いながら顔の前で交差した両腕を、口からゆっくり息を吐きながら腰の位置まで下ろす。円は周囲の空気が震えたような気がした。


 省吾は静かに腰を落とすと、右手を持ち上げ、左手を右脇の下まで持ってきて、上体をひねった。そして、一瞬静止したかと円が思ったその瞬間に、右の手刀を一気に振り下ろす。


 静かなトンネル内の空気を鋭く切り裂く、ビュッという音が響いた。円は反射的に首をすくめる。


 目の前の黒い塊は、周囲の闇に溶け込むようにゆっくりと霧散していった。そして廃ホテルの時と同じように、辺りの雰囲気がどこか清浄なものに変わったように、円には感じられた。


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