第10話 カラオケ
湊と美羽が声をかけると、葵を囲んでいた女子たちがこちらを振り向いた。
その輪の中から、ハイテンションの舞が勢いよく駆け寄ってくる。
「白石さんの私服、かわいい!」
その一言を合図に、今度は湊が女子部員たちに取り囲まれた。
それぞれがしっかりメイクをしていて、普段の部活姿とはまるで印象が違う。大人びた子、逆に可愛さを強調した子。
変化の幅が大きいぶん、湊の視界はいつもより華やかだった。
紗耶の言う通り、メイクをしてきて良かった。すっぴんだったら浮くところだった。
褒め言葉の波が一段落し、話題が別の方向へ移ったころ、ようやく湊は葵と向き合えた。
葵はいつもは黒いゴムで結んでいる髪を、今日は白のシュシュでまとめていた。
「葵、そのシュシュかわいいね」
「ありがとう。湊も、そのアイシャドウ、ラメがきれい」
女子ばかりの環境に身を置いて二週間。
彼女たちの言動を観察するうちに、褒めあうことが会話の入口になっていると気づいた。
髪型のわずかな変化、かばんに付いた新しいマスコット。そうした細部を拾い上げることで、会話は自然と続いていく。
だからこそ、互いの小さな変化にも敏感になるのだろう。
メンバーがほぼ揃い、待ち合わせの時間が迫ったころ、最後に紗耶が姿を現した。
チェック柄のパンツに白のニット、黒のカーディガンという控えめなコーデ。しかし無駄のないその組み合わせが、紗耶の持つ端整さを際立たせていた。
薄く施されたメイクは彼女の凛とした表情を一層引き締め、通りがかった男性グループが思わずそちらへ視線を送るほどだった。
紗耶が合流し全員揃ったところで、受付を済ませて部屋へ向かった。
最後尾を葵と並んで歩きながら、湊はふと周囲を見渡す。女子全員がパンツスタイルなのに気づく。
その変化に気づいたのは葵も同じで、そっとつぶやく。
「……スカートなの、私たちだけみたいね」
二人の会話が耳に入ったのか、前を歩いていた舞が振り返った。
「気づいた? 昨日のグループラインで、女子はパンツにしようって私が言ったの。面白いでしょ?」
悪戯を成功させた子どものような無邪気な笑み。
湊と葵は視線を合わせ、小さく口角を上げて返した。
大人数でも余裕のある大部屋に入るなり、舞は当然のようにマイクとリモコンを手にした。
みんながまだ座りきらないうちに、イントロが流れ始め、舞はステージに立って歌い出す。
舞の声が響く中、各自が次々に曲を入れ、回ってきたリモコンが湊の手元に置かれた。
誘われて来たとはいえ、湊はカラオケが得意ではない。
歌が上手いわけでも、場を盛り上げる振り付けができるわけでもない。
湊はそっとスルーして、隣の美羽にリモコンを渡した。
「お兄様、一緒に歌いません?」
「……ええ、いいよ。音痴だけど」
「大丈夫ですわ。私にお任せください」
美羽は迷いなく「これ知ってるでしょ」と微笑んで、女子アイドルグループの曲を入れる。
数人が歌い続け、場が温まってきた頃、葵が遠慮がちにマイクを持ってステージに立った。
流れ始めたのはバラード。
葵のしっとりとした声が部屋に広がると、自然と誰もが口を閉ざし、その歌に耳を奪われた。
歌い終わった瞬間、割れんばかりの拍手が起きる。
葵は小さくお辞儀し、次の人へマイクを渡してから湊の隣に戻ってきた。
「歌、上手いんだね」
「この曲だけよ。……女子グループでカラオケに来るの、夢だったの。場の雰囲気壊したくなくて、一人で練習したの」
隠れた努力に触れ、湊はあらためて葵を見つめた。
その横顔は、いつもより少し大人びて見えた。
その後、数曲をはさんで湊と美羽の番が回ってきた。
二人でステージに立つと、初参加の湊の歌声を確かめようとする視線が一斉に向けられる。
不安になった湊は隣の美羽に「頼んだ」と目線で合図すると、美羽は小さく頷いた。
イントロが流れ出すと同時に、美羽は迷いなくポーズを取り、そのまま振り付きで歌い始めた。
キレのある振付で場の空気を支配し、湊が多少音を外しても目立たない。
一曲歌い切ると、再び大きな拍手が起きた。
これで「まだ歌ってないよね」の流れは回避できたと胸をなで下ろし、席に戻る。
そこへ紗耶が腰を下ろした。
「次は私と歌うわよ」
「もう一曲歌ったし」
「さっきのは美羽ちゃんのダンスがすごかっただけで、湊のこと誰も覚えてないから」
「……それでいいんだけど」
「ともかく、行くわよ」
湊の返事を待つことなく、紗耶は選曲して送信ボタンを押した。
数曲後、舞の盛り上げをはさんで順番が回ってきた。
紗耶に手を引かれ、ステージへ上がる。流れ始めたのは、中学の卒業式で歌った定番の曲。
何度も練習させられた記憶があり、湊も下手なりに歌えないことはない。
しかし、歌い出してすぐ、違和感に気づいた。いつも通り下手なはずなのに、それらしく聞こえる。
その証拠に視線がこちらに向き、リズムに合わせて手を振ってくれる女子たち。
場の空気は穏やかにまとまっていた。
歌い終えたところで、舞が紗耶に声をかけていた。
「紗耶、ハモりめっちゃ上手。今度私と一緒に歌おう」
ようやく理由がわかった。
紗耶がさりげなくハモりを入れ、湊のブレを包み隠してくれていたのだ。
場の空気を壊さないようにしてくれた紗耶に、席に戻る前に声をかけた。
「ありがとう、紗耶」
「湊も、私の引き立て役ありがと」
素直に礼を言ったのに、返ってきたのはいつもの調子だった。
紗耶は何事もなかったように女子グループの輪へと戻っていった。
二曲も歌えば十分だろうと気が緩んだところで、尿意を覚えた。湊は男子トイレに向かう。
用を済ませ、そのままの流れでポーチを取り出し、メイク直しを始めた。
あぶらとり紙で皮脂を押さえ、パウダーファンデを薄く重ねる。
リップを手に取ったところで、葵がポーチを握って入ってきた。
「葵もメイク直し?」
「うん」
洗面台に並び、二人で淡々と化粧を整える。
ふと、葵が小さく笑った。
「男子二人でメイク直しって、変な光景ね」
「男子だけスカートだしね」
奇妙さにまた笑みが漏れた瞬間、ドアが開き、男性客が入ってきた。
こちらを見て目を丸くする。
「大丈夫ですよ。ここ男子トイレです」
葵は慣れた口調でそう告げ、リップをしまって軽く会釈すると、そのまま男性客と入れ違いに出ていった。
湊も続き、二人で小さく笑いながら部屋へ戻った。
その後も、美羽がサビでマイクを客席に向けて煽ったり、紗耶がメドレーを入れて一人ずつデュエットに引っ張ったりと、場は終始明るく盛り上がった。
三時間が過ぎるころには、軽い疲労と心地よい充実感だけが残っていた。
三人で歩く帰り道、湊は隣の紗耶に声をかけた。
「紗耶、今日はありがとう。メイク教えてくれなかったら一人だけすっぴんで浮いてたし、カラオケでも気を使ってくれただろ」
「誤解しないでね。一人だけつまらなそうだと場が白けるでしょ」
いつもの調子だ。
「それより湊。メイクした自分が可愛いからって、自撮り撮りまくるのはどうなの」
「えっ、なんでそれを……?」
「美羽ちゃんが言ってたよ。出かける前、ずっと写真撮ってたって」
紗耶は肩をすくめ、横の美羽と目を合わせて笑った。
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