第2章 翡翠の瞳の少女

「……どれか気になる武器でもあったの?」


背後から聞こえた声に、思わず身体が固まった。

その声はオズウィンのものではない。

あまりに柔らかく、若々しく、どこか楽しげで──老人の声とは到底思えなかった。


もし彼でないのなら、これはまさか──。


「まったく失礼な人ね。勝手に家に入って、棚まで漁っておきながら、わたしの顔すら見ないなんて」


声はさらに近づき、怒っているようでいて、どこか戯れるような色が混じっていた。


ごくりと唾を飲み込み、ゆっくり振り向く。


そこにいたのは──写真の中の少女。


しかし写真の面影など比べものにならないほど、彼女は生き生きとしていて、眩しいほど美しかった。


白地に紺の縁取りが施されたワンピース。

黒のロングブーツ。

淡い金髪は緑のリボンでまとめられ、肩へと柔らかな線を描いて流れている。

翡翠色の瞳が光を受けてきらりと輝き、半ば吊り上がった口元は危うさと魅力を同時に孕んでいた。


「ちょっと! 返事くらいしたらどうなの!?」


ぷいっとそっぽを向き、腕を組む仕草すら愛らしい。


(……怒ってるのに可愛いって、どういうことだ。)


邪な思考を振り払い、深く息をつく。


「先ほどは……勝手に棚を開けてしまい、失礼した。それで答えだが──あの刀が気になっただけだ」


少女はまだ怒りを完全には解いていないが、じっとこちらを見据えていた。

その瞳には、何かを試すような光が宿っている。


そのとき──


「ほう、もう仲良くなったようじゃな」


気づけば、オズウィンが扉の枠に寄りかかり、穏やかな笑みを浮かべていた。


「続きはあとでよい。朝飯が冷めてしまうぞ」


そう言って老人は台所へ戻っていく。

少女もその後に続き、すれ違いざまに鋭い視線をこちらへ刺してきた。


「あなたの無礼、忘れないからね」


(……なかなか強烈な挨拶だな。)


苦笑しながら、俺も後を追った。


* * *


台所は朝の柔らかな光に包まれ、温もりに満ちていた。

中央のオーク材のテーブルには三つの皿と、牛乳の入ったコップ。

焼きたてのパンの香りが、張り詰めた心をゆっくりほぐしていく。


少女──あとでリアリスと知る──は、ちらちらとこちらを盗み見ながら、何か言いたげに眉を寄せていた。

気まずいのに、妙に緊張させられる視線だ。


パンをひと口かじった瞬間──


(……! うまい……!)


思わず表情が緩んだのだろう。リアリスが鼻を鳴らした。


「そんなにがっつかなくてもいいでしょ。何日も食べてない人みたいじゃない」


反論できる余裕などない。

それほど、このパンは旨かった。


オズウィンが椅子に腰を下ろし、ふうと息を吐く。


「ゆっくり食え、リアリス。また昔みたいになるぞ」


その一言で、リアリスの肩がビクリと震えた。


「そ、それを今言う必要はないでしょ……! しかも見知らぬ人の前で……!」


「昔も今も、頑固なところは変わらんの」


老人は優しく笑い、パンをちぎって口へ運ぶ。


リアリスはむすっとしながらも、ちらちらとこちらへ鋭い視線を向けてくる。


(リアリス……可愛い名前だな)


そう思った瞬間、ふと庭の奥で見た武器だらけの小屋が脳裏をよぎった。

普通の老人が持つ量ではない。


「なあ、オズウィン。一つ聞きたいことがある」


「うむ、言ってみよ」


「さっき庭で小屋を見つけたんだが……開けてみたら、武器が山ほどあった。あれはどういうことだ?」


オズウィンはゆっくり咀嚼し、飲み込み、俺を見る。


「まずは……身を守るためじゃな」


軽く笑ってはいるが、何かを隠しているのは明らかだった。


「いや、それにしても種類が多すぎるだろ……。まさか──元傭兵とかか!?

 いや、その身体じゃ無理そうだが……!」


得意げに言うと、リアリスが即座に鼻で笑った。


「想像力があるのは悪くないけど……残念ながら違うわね。勇気なのか、ただの阿呆なのか……判断に困るところね」


(また挑発してきた……!)


「合理的な推測だと思うぞ!?」


「はいはい、“合理的”ね」


リアリスは牛乳を飲みながら、冷たい視線を寄こしてくる。


オズウィンが皿を片付けながら言った。


「武器のことは……あとで庭で説明しよう」


リアリスも立ち上がり、こちらを見ずに吐き捨てる。


「期待しないでよ」


(……それでも可愛いと思ってしまう俺って、終わってるよな)

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