6-2.
夏休みに入った。
毎年例年の気温を更新する、例年なんてものは存在しない日差しの中
私は76期生寮の玄関前に立っていた。
「お待たせ♪」
不意にドアを開けたのは、
「どう、似合う?」
「えぇ、何をお召しになっても」
「あっ、モテないタイプの褒め方だー」
白い半袖の、左胸に小さく『Heart beat』と書かれたTシャツに、レンガ色のキュロットパンツ。
上体を折り曲げ顔を覗き込んでくる、
紀平吉良だった。
今日は、今日も、いつだって。
私が彼女を外出に誘ったのだ。
「あっ! 二人で来るの久しぶりだねー!」
たどり着いたのは小ぢんまりとした南欧風の建物
『
二人の思い出の、
思い出となってしまった場所。
「あと数週間もしないうちに、一年になるところでしたか」
スラッと出てくる私に紀平吉良は目を丸くしていたが、
当然である。忘れもしない。
あれは夏休み、二年生の二学期
「では入りましょうか」
初めて来た時とは逆、今度は私が先導して店へと足を踏み入れる。
記憶にあるとおりのドアベルが鳴ると、
「いらっしゃいませー!」
あの日のバイトの女の人も、変わらずそこにいた。
どうやら向こうもこちらを覚えていたらしい。
かつては定期的に見かけた組み合わせに、『あっ』という顔をした。
「透子ちゃん、何食べるー?」
「お任せします。きっとあなたの食べたいものが食べたい」
「何それぇ。オッケー」
いつもそうだったように。
私は紀平吉良に注文を任せ、イートインの窓際席へ。
今日も交通量の多い四車線を眺める。
走り去る車の色を頭の中で読み上げ、心を落ち着かせる。
落ち着かせる必要があった。
なぜなら、私は何も昔を懐かしんで彼女を『
話があって呼んだのだ。
それは、
『もう一度、舞台に戻ってきませんか?』
そう説得するため。
いつまで経ってもテーブルに来ない紀平吉良を探すと。
カウンターでバイトの女性と話し込んでいた。
漏れ聞こえる内容から、どうやら学期末公演の話をしているようだ。
どうやら彼女は観にきてくれたらしい。
コーヒーを淹れる傍ら感想を述べては、紀平吉良を照れさせている。
そう、もっと言ってあげて。
私は心の中でそう呟く。
彼女も思い出したはずなのだ。
舞台に立つ、あの感動と興奮を。
全身から湧き上がる、私たちにはこれしかないという悦びを。
だから今一度、思い出の店で
全てを演劇に捧げた、二人の満ち足りた日々を思い出せば。
私も勝算をもってここに来ている。
なのであのお姉さんにはもっと、彼女の喜びを掻き立ててほしい。
ややあって、紀平吉良がこちらへやってくる。
手にはトレー。どうやら直接ケーキを受け取ったらしい。
私はあえてそちらを見ず、背筋を伸ばして彼女を待つ。
さて、どのタイミングで、なんと言って切り出そうか。
そう、心の中で計っていると、
「えっ」
「さ、食べようか!」
目の前に置かれたトレーには、
ケーキが3つ、載っていた。
「はい、ザッハトルテが透子ちゃんのね」
「えっ、あっ」
「ん? 違うのがよかった? モンブランとマンゴープリンがあるけど」
「い、え……。そうではなく」
呆然とする私に、紀平吉良はむふーっと笑う。
「もちろん女の子だから太ったらイヤだけどさ。もう昔ほど体重気にしなくていいから、好きなだけ食べちゃう」
座っている椅子と手を置いているテーブル。
それ以外の全てがこの世から消え去ったような、そんな錯覚に襲われる。
「いや、でもホントーに久しぶりに来た」
そんな私を放置して、彼女はコーヒーの湯気を吹く。
二人の、演劇に情熱を注いだ思い出の場所を、感慨深くもなさそうに流しながら
『台詞を言うとき口臭が気になるから』と避けていた、コーヒーの湯気に顔を寄せる。
「うーん、いい匂い」
彼女は熱いはずのカップを両手で包む。
手から視線をたどらせていくと、白い素肌が多く露出している。
そういえば今日は、半袖Tシャツに丈の短いキュロットパンツ。
もう日焼けしてしまうのも気にしないような。
「食べないの?」
「あ、や」
全ては私の思い込みだった。
紀平吉良に中には、何も燃えてはいなかった。
結局私は、またしても何も言えず、
演劇など微塵も関係ない、当たり障りのない世間話に終始し
ケーキはまったく喉を通らず、彼女が全て食べてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます