第四話 半仮面とアルミバット

会社から定時ダッシュでアパートに帰り着くと、

昨日ネット通販でポチったブツが届いていた。


薄っぺらいダンボール。

中身は——『白い半仮面』。


鏡の前に立つ。

ゆっくりと、顔の右半分を隠すように装着する。


……。


鏡に映っているのは、知らない男だ。


いや、半分は知っている。

左半分は、いつもの「空気」な黒江直也。


だが、仮面で隠された右半分は、得体が知れない。


……悪くない。

むしろ、スイッチが入る感覚だ。


クローゼットの奥から、ホコリをかぶったアルミバットを取り出す。

学生時代、護身用という名目で買ったが、一度も使わなかったやつ。


この前の配信、ブーストしていない素手の俺は、

ザコ相手に逃げ回るのが精一杯だった。


戦闘評価D(ゴミ)。


D評価のままじゃ、あのクソAI(E.C.O.)に「気休め」と笑われるだろうが、

それでも——


素手よりはマシだ。


スマホを起動し、ECHOアプリを開く。

マイページに表示される、俺の新しい名前。


HN:『HYAPA』(ヒャパ)


転移ボタンを、強く押した。


——行こうぜ、E.C.O.。二度目の観測だ。



視界がブラックアウトし、次の瞬間、俺は鏡界に立っていた。


だが、そこはいつもの駅前じゃない。


……ここ、俺の部屋か。


セピア色になった、俺のボロアパートの一室。


そうか。

転移って、押した場所に出るのか。

前回は駅前で押したから、駅前だったんだ。


E.C.O.! いるんだろ!


ウィィン、と静かな起動音。

観測ドローンがどこからともなく出現した。


観測を開始します。……ふむ。


E.C.O.のレンズが、俺の顔(仮面)にグイッと寄る。

次に、手の中のバットをスキャン。


分析:顔面隠蔽。現実での顔バレを恐れた行動ですね。合理的ですが、半分見えてます。


うるせえ! これでいいんだよ!

HNも変えたぞ! 『ヒャパ』だ!


HN:『ヒャパ』。自身の奇声を登録。……理解不能です。


クソ、この前は「壊れてて良いですね」って言ってたクセに。


武器を携帯。素材:アルミニウム。

……確かに、ブースト無しのあなたの素手では、ザコ相手でも危険ですからね。

気休めですが合理的です。


いちいちムカつくな、お前!

それより『いいね』だ!


E.C.O.に要求する。


この前稼いだ『いいね:3』、今すぐお前に捧げる!

機能を解放しろ!


了解。アンロック可能な機能リストを表示します。


視界にウィンドウが開く。


《BGM追加:消費 3》

《簡易エフェクト機能:消費 5》

《カメラワーク(強):消費 10》


……足りねえ!


3じゃ“強カメラ”は無理。


BGMだ!

戦闘(C評価)がダサくても、音で盛り上げりゃHYPEは稼げるんだろ!


《いいね:3》を消費。BGM追加をアンロックしました。


よし。残り『いいね:0』だが、

いかしたBGMでぶち上げよう。


よし、外に出るぞ!

レブナントは駅前が多いんだろ!


セピア色の自室のドアを開け、灰色の街へ駆け出す。



鏡界の駅前。


ここが一番、レブナントの“溜まり場”らしい。


アルミバットを肩に担ぎ、E.C.O.に告げる。


E.C.O.! 配信開始だ!


《LIVE:ON AIR》


ウィンドウが開く。

すぐに数字が動く。


《視聴者:5》


俺の数少ないフォロワー5人が全員来てくれた。

ありがたい。


コメントが、早速ポツポツ流れる。


『お、おとといの変態だw』

変態言うな!

『仮面www』『顔半分出てるぞw』『隠す気ねぇだろw』『承認欲求の固まりだな』


グッ……!


うるせえ! 見てろよお前ら!


前方のビルの影から、カクカクと3体のレブナントが出現。

パーカー姿のバグ人型。


だが今日はハッキリ見えた。

顔は「いいねマーク」が逆さになったのっぺらぼう。


来たな! E.C.O.! BGM! 一番アガるやつ流せ!


選曲します。


静寂がひび割れ、空気が膨らむ。——が、次の瞬間。


シーン……。


……ピロピロピロ……♪


ダセェ! なんだこの音!


ファミコンの8bitみたいな、気の抜けるテクノが鏡界に鳴り響く。

なんだこれ!


あなたの累計『いいね』総数『3』では、これが限界性能です。


クソが!


コメント欄が「www」で埋まる。


『BGMダサすぎwww』『変態仮面にダサBGM、完璧かよ』


——胸骨の裏で鼓動がカチ上がる。

ダサ音でも、リズムは刃になる。


ああもう、うるせえ! オラァ!


クソダサBGMに合わせて、アルミバットをフルスイング。

ザコの頭(逆さGoodマーク)を狙う。


ヒュン——ガギン!


鈍い手応え。

骨ではない、金属と砂利の中間みたいな嫌な抵抗。


前回の素手じゃ避けるだけで精一杯だったが、

バットのリーチと硬さがレブナントを確実に削る!


(いける!)


オラオラオラァ!


足裏で路面を刻み、肩から腰へと捻りを通す。

ブン、ブン、ブン!


無心で振り回す。

ザコ・レブナントは数発でノイズになって崩壊。


『おお、倒した』『バットwww 普通に物理w』『C評価なりに考えてきたなw』


どうだ! あと二体!


残りのザコに突撃。


仮面のおかげで「顔バレ」の恐怖がない。

現実の「空気」の殻が、いつもより早く割れる。


——そうだ、俺はもう黒江直也じゃない。


『ヒャパ』だ!


動きも、ほんの少しだけマシ。

B評価くらいはあるはず!


オラァ!


ダサBGMの中、バットを振り回し、残りも殲滅。


はぁ……はぁ……どうだ!


『おおー』『まあ、うん』『ザコ相手だしな』


コメントが微妙。HYPEも伸びない。


HYPE低下中。戦闘評価:C(まあまあ)。

バットはザコには有効ですが、ダサいです。


クソっ、前回と同じかよ! 快感が……『いいね』が欲しい!


E.C.O.に「スベってます」と分析されるのが怖くて、前みたいな要求ができない。


俺が焦った、その時——


……警告。前方より高HYPE反応。

中型レブナントを検知。


え?


駅前ロータリー。


中心から、アスファルトが「黒いコメント」をブワッと噴き出しながら盛り上がる。


それが集まり、人型へ。体長3メートル。


ザコとは違う。


そいつの体はバグったノイズではなく、

黒い『返せ』『クソ』『なんで』などの怨嗟テキストで構成されている。


なんだ……こいつ!? 密度が違う!


……ゴーストノイズ。炎上し理性を失った元配信者の成れの果て。

危険度が違います。


元配信者!? Wikiで見たやつ……!


『うわ、デカいの来た』『C評価が勝てる相手じゃねえだろw』『逃げろ変態仮面』


C評価だ! バットがあればイケる!


アルミバットを構え直し、突っ込む。


おおおおおお!!


渾身のフルスイングを、どてっ腹へ——


カァン!


甲高い金属音。

だが、ゴーストノイズはビクともしない。


なっ!?


ビクともしないどころか、

ゴーストノイズのノイズまみれの手が、

腹にめり込んだままのバットを掴んだ。


しまっ——


ミシミシ……嫌な音。


ブチッ!


アルミバットが、紙粘土みたいに握り潰され、へし折れた。


ぐ……!


腕に伝わった衝撃で、安物の半仮面にもピシッとヒビが入る。


物理的衝撃、無効。……だから言いました。気休めだと。


ヤベェ、死ぬ! クソ! 見てるんだろ!


絶望のまま、視聴者(カメラ)に向かって叫ぶ。


『いいね』じゃねえ! 何か——武器を! 助けろ! 俺に武器をよこせ!


『は?』『こいつ、ついに視聴者に武器要求しだしたぞwww』


……要求を検知。

しかし武器エコーアームズの生成条件は視聴者からの応援と願い、

あなたの状況では——


クソAIの無機質な声。


霞む視界の中、ゴーストノイズの拳が、

無防備な俺へ、ゆっくりと——


(ここまで、か……)


——落ちてくる。

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