水没都市
舟から上陸して、ベルを先導に私とトリスは初めて見る外の世界を踏み締めていた。
私たちが上陸した島は水竜族の聖地──水上都市ニュムパエアと違って、整備された道なんてなくて、でもかと言ってどう見ても全く手が入ってない道というわけでもなくて、ひび割れた平らに均された道が続いていた。ベルが言うにはアスファルトの道だと言う。
どうやらアスファルトっていう岩があるのらしい。
アスファルトの道はボロボロに所々崩れたり苔むしていたりして、ちょっと歩きにくかった。
他にも物珍しいものはたくさんあった。その一つ一つをベルは歩きながら説明してくれる。
窓がたくさんあるすごい高い灰色の四角い塔は高層ビルって言って、あちこちに立っていたり、倒壊して道を塞いでいたり。
すごく大きな金属の蛇がいると思ったら、伝車と言うのらしい。線路って道の上を走ってたくさんの人を運んでいたんだとか。
他にもニュムパエアにはないようなすごい幅広の道や、道の途中なのに湖のように水没しているところがあったり、どれもこれも古くなって寂れてしまっていたけれど、なにかしらの文明の営みが確かにあったことを感じさせた。
中でも、あるものが特に私の目を引いた。
「ねぇ、ベル」
「ん?」
私は、それを指差してベルに尋ねた。
「あの、所々にある、黒い紐の垂れ下がった柱はなあに?」
私の言葉通り、点々と同じような石の柱が立っていて、それを紐が繋いでいる。
あんなもの、ニュムパエアにはなかった。
「ああ、あれは伝柱だ」
「でんちゅう?」
私は聞き馴染みのない言葉に首を傾げてしまう。
トリスの方を見れば、僕も知らないよ、と首を振っている。
「あちこちにあるだろう? あの黒い紐を通して、街のあちこちに魔力を伝わらせているんだ。正式名称は魔力伝導柱だったか」
そんな私たちにベルは簡潔に答えてくれるけど、よく分からない。
「なんでそんなことする必要があるの?」
「街のいろんな機械や設備を動かすために、だな」
「きかいって?」
「人間が作った決まった仕事をする道具のことだ」
なるほど。この島では私が自分の魔力を使って魔法で色んなことができるように、魔力で色んな物を動かしてたりするのね。言うなれば、伝柱の黒い紐は体の中の血管みたいなものと考えればいいのかな。
私とトリスは頷きながらベルから教わったことを噛み締めていく。
ロマの授業じゃ絶対にやらないけれど、念願の人間を探す旅に出れたこともあって私は意欲的に疑問をぶつけていく。
「例えば、伝柱にくっついてるああいうの?」
私が指差した先には四角い箱がくっついていた。箱は、ガラスでできた透明な板が嵌め込まれているところが二つあって、そこに黒い何かが透けている。
「ああ、あれは信号機だ」
「しんごーき?」
知らない単語が続いて、私はさっきからついついカタコトになってしまう。
私がよく分かっていないことを察したベルは頷いて説明しようとして、ちょっと動きが止まった。
「なんて言えばいいか」
そう一度言葉を区切って、ベルは顎に手を当てて考え込んだ。
「街の往来を整理する機械と言えばいいのかな」
ベルは説明するのが難しいのか、少し首を捻りながら言葉を絞り出してるみたい。
ちょっと歯切れが悪い。
「あそこのガラスが嵌め込まれてるところが光って、赤の光だと止まれ、青の光だと進め、と言う風に歩いていい道が数分おきに変わるんだ」
ああ、だからガラスの何かが二つくっついてるんだと思いつつ、
「え? なんでそんなことするの!? 無駄じゃない」
私はびっくりして声を上げてしまう。
だって、そんなのわざわざ魔力を使ってまですることじゃないもの。
ニュムパエアでも荷車を引く車夫さんがいて、道が狭くて道を譲り合うこともあるけれど、そんなことにわざわざ魔法を使ったりなんてしない。
変なの。わざわざあんな機械を作らなくたって、声を掛ければいいのに。
私の言葉にベルは渋い顔をした。
「昔は……この街にはそうやって機械を使って整理しないといけないほど、夥しい数の人間が住んでいたんだ」
「そうなの!?」
私は、驚いて辺りを見渡してしまう。
窓が割れた、荒れた廃墟ばかりが目に映る。
ここに、そんなに昔は人間がいたんだ……。
「でも、今は私たち以外いない……」
勿論、辺りを見渡しても人の姿は見る影もない。他に生きているものも水没してるところで魚が泳いでるのを見かけたぐらい。
そんなに人間がいたっていうのなら、どこに人間たちは行ってしまったのだろう。
せっかくベルに色んなことを教えてもらっていたというのに、私は結局一番知りたいことを知れていなかった。それにしばらく歩き回った感じ、どうにもこの島には人間はいそうにない。
私は自分で口にした言葉に肩をかっくり落として意気消沈してしまう。
島に上陸した時のワクワクドキドキは収まりつつあった。
「……シャスカやトリスは、大人たちからこの世界の歴史を学んだりはしていないのか?」
私が落ち込んでいたのをじっと見ていたベルは、ふと気になったように私とトリスに尋ねた。
私はトリスと顔を見合わせる。
「ニュムパエアの歴史や水の巫女についてはちゃんと全部誦じれるわ、授業でやったもの。ね、トリス」
「うん」
トリスに確認するように同意を求めると、トリスは素直に頷いてくれる。
トリスはさっきからダンマリだったけど、私がベルに疑問をぶつけ続けているので遠慮して静かにしてくれていたの。トリスは三人で歩く時とかはいつも後ろに一人下がって歩いてくれたり、そういう気を回してくれるいい子なのだ。
トリスも私も、火の氾濫を昔の水の巫女が鎮めて、そのおかげで今の世界になったことは知っている。
でも──。
私の頭の中の言葉にベルの言葉が重なった。
「でも、ニュムパエア以外のことは知らない」
「うん……」
私とトリスは力無く頷いた。
本当に私たちは何も知らないのだ。
なんで火の氾濫を鎮めて世界は救われたはずなのに、人間が住んでいただろう場所がこんなに荒れ果てているのか。その答えを私とトリスは持ち合わせていなかった。
頷きながら、私はふと思い出す。
『……お前はどうせ何も知らねえくせに、一丁前な口を叩くものだなぁ』
私とベルで倒したあの巨漢の火竜族の心底呆れたような私を蔑む目。
水竜族が火竜族になにをしたっていうのと私が尋ねた時の、あの眼差しの真意はどこにあったのだろう。
「そうか」
ベルは私たちの頷きに一度顔を伏せた後、天を仰ぎ見ていた。
晴天だった式日の昨日とは違って、曇天の灰色の空を。
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