その言葉を

 朝に散歩をした日の夜。

 昨夜と同じように、白龍は書類仕事をしていた。

 そんな彼の姿を観察していると、やっと終わったのか顔を上げた。


「すまない。暇だろう?」


「いえ。殿下が普段なにをしているか理解することも、解決の糸口につながりますので」


「そうかい? ならいいけれど」


 疲れたのだろう。

 白龍は腕を上げて背伸びをした後、目頭を押さえた。


「頭痛はいかがですか?」


「朝は調子がよかったんだけどね。やはりこの時間になると痛みがある」


 頭をさする姿に、香華は瞳を伏せた。

 痛みを抱え続けるというのはつらいものがある。

 体の不調から気分が滅入りやすくなったりもするのだ。

 なるべく早くその苦痛を取り除いてあげたい。

 ならば香華がやるべきことは一つだけ。


「殿下。本日も推拿をさせていただきたく思います」


「もちろん。こちらこそお願いしたい。少しでも眠れるのなら寝たいからね」


 こくりと頷いた香華は、ベッドに横たわり視界を遮った白龍の頭を昨日と同じようにマッサージしながらいくつか質問を投げかけた。


「殿下、少しだけよろしいでしょうか?」


「どうかしたかい?」


「まずは昨夜の推拿ですか、揉み返し……痛みはあらわれませんでしたか?」


「大丈夫だったよ」


 力加減は間違っていないようだ。

 なら同じような力で続けていける。


「では次ですが……。昨日の推拿をへて、痛みは楽になりましたか?」


 その質問には、白龍は少しだけ考えるように黙った。


「…………そう、だね。やってもらったばかりの時は楽になったけど……。すぐに痛みがぶり返してきた気がする」


「なるほど……」


「でも少し眠れたし、このまま続ければ……」


「それでは根本の解決になりませんので」


 白龍が気を遣ってくれていることはわかっているが、だからといってそれに甘んじるわけにもいかない。

 香華には香華の、アロマテラピストとしての誇りがあるのだ。

 この頑固な凝りを、絶対にほぐしてみせる。

 一人静かに闘志を燃やす香華に、白龍はぽつりとつぶやいた。


「君の手は不思議だね。優しくて、あたたかい……」


「……ありがとうございます。そう言っていただけますと、とても嬉しいです」


「不思議といえば、君は医師ではないんだよね?」


「はい。違います」


 アロマテラピストは医師ではない。

 医療行為をすることはできないのだ。

 だが白龍はそれが不思議らしい。


「君は医師では治せなかった僕の不調の原因を探ってる。……人を治すのは医者じゃないのかい?」


「……私は自分のことを医者だなんて思っていません。私がしているのは、ほんの少し体を楽にしてあげることですから。……ですがありがとうございます。とても嬉しいです」


 白龍に認めてもらえているということだろう。

 それは素直に嬉しいことだ。

 だからこそ礼を言えば、白龍は笑う。


「礼を言うのはこっちだよ。……無理難題を任せているのだから」


「……しょうじき、最初はなんでこんなことに、って思いました」


「だろうね」


 皇太子の不調を治す。

 そんなこと言われても、できるかわからない。

 だができませんでしたではすまないのが、この世界の怖いところだ。

 前世なら、クレームを食らったり嫌味な口コミをされたりはあるが、死ぬことはない。

 だがこの世界ではそれがある。


「ですが殿下のおかげで……。久しぶりにマッサージができました」


「……楽しい?」


「とても! 私にはやはり、これが天職なんだと思いました」


 人の体に触れてこそ、アロマテラピストは輝ける。


『楽になったよ! ありがとう!』


『体が軽い! すごいわ、薬を飲んでも治らなかったのに!』


 そんな言葉をもらえるだけで、またがんばろうと思える。

 ああ、思い出すだけで胸がときめく。


「ですから必ず、殿下の不調を治してみせます。――しばし、お待ちください」


 あと少しな気がするのだ。

 白龍の体の不調の原因が見つかるのは。

 今日頭をやってみて改善されなければ、きっと他の場所だ。

 そこも必ず捉えてみせる、と意気込んでいると、白龍はくすくすと笑いながら目元の布をとった。


「君という人がどんな子か、少しわかった気がするよ」


 白龍は寝たまま、自らの頭をマッサージする香華の手をとると、そっとその手の甲に唇を当てた。


「君の手は素晴らしい力を持っている。……僕はきっとその力に助けられるんだろうね」


「――で、殿下!?」


 慌てて手を引っ込めれば、白龍は何事もなかったかのようにベッドへと寝転んだ。

 ついでに目元に布を置き、寝る体勢に入る。


「さあ、続きを頼むよ」


「…………」


 しょうじきそれどころではないのだが。

 香華の手には、柔らかくもあたたかな白龍の唇の感触が残っている。

 一体なにが起こったのだと顔を赤くさせつつも、香華はしぶしぶマッサージを続けた。


「――お戯れにしてはいかがかと思いますが……!」


「お戯れ? 本気だよ。――やっぱり僕の妃になる?」


「なりません!」

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