それから五日後のこと。

 香華はいつも通りの日常を送っていた。

 艶虎の機嫌をとりつつ、皇帝のお渡りがあるように願う日々。

 だが残念ながら、この五日皇帝は姿を現していない。

 どうやら蘭妃の元に通っているらしく、艶虎の怒りは凄まじい。

 昨日も女官の一人が引っ叩かれていた。

 ここ最近は艶虎のせいで怪我をする人も増えているため、一秒でも早く皇帝にはお越しいただきたい。

 そんなことを願っていた香華の元に、一人の年老いた女性がやってきた。


「皇太子殿下がお呼びです」


「………………へ?」


「今すぐにお越しになるように、とのことです」


「……な、なぜでしょうか?」


「わたくしめには存じ上げません。ただお越しになるように、と」


 皇太子の命令もまた、否を口にすることはできない。

 香華は青ざめながらも年老いた女官について、白龍の部屋まで向かう。

 その間も色々考えた。

 なにか粗相をしてしまったのだろうかとか、この首は繋がったまま明日を迎えることができるのだろうかと怯えながら足を進める。

 そして白龍の部屋に入った香華は、彼のあまりの顔色の悪さにその考えは一瞬で消え失せた。


「――殿下、いかがなさいましたか……?」


「きたんだね。……実はあれからまた眠れていなくて。ひどい顔だろう」


「……目の下のくまがあまりにも濃いです」


「だろう? 自分でも驚いている」


 自虐的に笑った白龍は、椅子に深く腰掛けると天を仰いだ。


「一度よくなってしまうと、今までよりもつらく感じるんだ。……我慢できずに君を呼んでしまった」


「…………医師には?」


「医者に治せなかったものを君がよくした。……それが答えだろう」


 それはつまり……と、香華はまたしても顔を青ざめさせた。


「香華。僕の体の不調を治してくれ。――できなければ……わかっているね?」


(どうしてこうなるの――!?)


 と、心の中で叫ばずにはいられない。

 あれで終わりだと思ったのに、全然そんなことなかった。

 むしろ白龍との繋がりが、強くなってしまったように思うのは気のせいだろうか?

 気のせいであってくれと、香華は慌てて首を振った。


「わ、私は医師ではありません。前回のように香蝶をお使いすることはできますがそれでは……」


「推拿を受けてみるようにと言っていただろう?」


「あ、なるほど! ではマッサージの仕方をお教えしますのでぜひご自分で……」


「君がやってくれ」


 それこそ無理だと何度も頭を振った。


「私のようなものが玉体に触れることなどできません!」


「僕は気にしない」


「私が気にします!」


 無理だとなんども首を振る香華に、白龍はふむと顎に手を当てた。

 なにやら考えているようだ。

 どうかこのまま名案が浮かばず諦めてくれと神に祈っていた時、白龍が香華に向けて有無を言わさぬ笑みを浮かべた。


「僕はもう君を手放す気はない。だがそこまで拒否されると少し考えてしまうね」


「――か、過剰評価かと思います。前回のはたまたまで……」


 本当にたまたまの可能性がある。

 アロマテラピーは医療行為ではないのだ。

 だからそこまで期待されても困る。

 そう言いたいのだが、口を開いた香華よりも先に白龍がとんでもないことを言ってきた。


「なら君が僕に触れられるようにしようか」


「触れられる……?」


「うん。――君を僕の妃にする。……それなら、体に触れることもできるだろう?」


「――」


 なんてことを言うのだと、香華は口端をひくつかせた。

 そんなことのために皇太子の妃になる?

 絶対にありえない。


「無理です! 見てください、このあざ! こんな傷ものが皇太子殿下の妃になんてなれるはずがありません!」


「僕は気にしない」


「他の人が気にします!」


「黙らせればいい」


「――…………っ」


 さすがは鋼鉄の皇太子。

 意思すら鋼かと、香華は唇を噛み締める。

 だがこんなところで諦めるわけにはいかない。


「ですが――!」


「まあ君が気にするのなら……治せるよ。そのあざ」


「……え?」


 顔の半分近くあるあざを治すなんて難しいはずだ。

 だというのに白龍はなんてことないかのように口を開く。


「守護獣にいるんだ。治癒に長けたものが。それにまかせればあざなんてすぐに治る。……これでどうだい?」


「どうって……」


 あざが治るのはありがたい。

 ありがたいけれど……でも、それじゃあ。


「――治ったら困るかい? ……君が幻煌国の生きる宝石だと知られたら、姉君の立場がないからね」


 ひゅっと、香華の喉がなった。

 なぜそのことを知っているのだと驚愕の視線を向ければ、白龍は静かに話し始める。


「昔見たことがあった。生きる宝石と呼ばれるに相応しい、美しくも愛らしい少女。……少なくとも、あんなふうに厚化粧しなければならないような少女じゃなかった」


「――それだけで……?」


「認めるんだね。――君が、そう呼ばれていたことを」


「………………っ」


 しくじった。

 言い訳すればよかったのに、素直に反応してしまった。

 そのせいでまさか墓場まで持っていくべき嘘を、よりにもよって皇太子にバレてしまうなんて。

 香華は額を押さえると、深く息を吐いた。


「……誰にも言わないと約束してください」


「……つくづく縁があるようだね。……ならこの体の不調、君の全てをかけて治してくれ。君がつく嘘と――その命をかけて」


 こうなっては仕方がない。

 どちらにしろここで拒否したところで、皇族の命令は絶対だ。

 なら頷くしかないだろう。

 ただ――。


「妃にだけはしないでください!」


「いい案だと思ったんだけどな」

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