転生症候群
aiko3
第1話 チートの墓場
夜の街を、青白い閃光が裂いた。
魔導灯の明かりが断続的に明滅し、濃紺の煙が大気を満たす。
ビルの屋上に立つ男が、両手に黒い鉄塊を握っていた。
――拳銃。
この世界に存在するはずのない、異界の武器。
それを手にした彼は、笑っていた。
「これでまた、“地球の勝ち”だ」
弾丸が放たれた。
警備隊の魔術障壁が砕け、光の粒が宙に散る。
“現実”と“想像”の境界がゆがみ、風が一瞬止んだ。
通報を受けた異界対策庁の機動班が現場を包囲する。
その中央に、ひとりの男が歩み出た。
灰色の外套、冷たい目。
――リオン・グレイ。
異界対策庁・転生者監察官。
彼の耳には、魔力測定機の低い警告音が鳴っていた。
「異常転生波、第二域……地球記憶の発露確認」
助手のオペレーターが無線で報告する。
リオンは短く応えた。
「封印銃、使用許可を」
「上層部確認中。……発令、許可します」
封印銃――転生者の魂に直接干渉し、再輪廻を阻む装置。
使用すれば、対象の魂は“地球との接続”を完全に断たれる。
つまり、この世界では二度と生まれ変われない。
リオンはゆっくりと銃を抜いた。
黒鉄の表面に刻まれた術式が、青白く光を帯びる。
標的の男が気づき、嗤った。
「お前もだろ、監察官。
その目――地球の夜を知ってるやつの目だ」
リオンの足が一瞬止まる。
それは、よくある挑発の一つだ。
転生者の多くは、取締官が“自分たちと同じ”だと信じている。
だが彼は否定しない。
ただ、銃口を上げるだけだった。
「この世界での名を、まだ覚えているか」
「そんなもん、どうでもいい。こっちの方が本物だ」
男は拳銃を構え、引き金を引いた。
空気が爆ぜ、光弾がリオンの肩をかすめる。
痛みはない。ただ、光の残滓が皮膚の下で脈動する。
封印銃の引き金が、静かに落ちた。
――音はなかった。
光が男の胸を貫き、魂の形を溶かしていく。
男の瞳から色が抜け落ち、微笑だけが残る。
「……これで、ようやく死ねる」
彼の体は塵となり、風に散った。
リオンは一歩、近づいて跪いた。
残滓に埋もれるようにして、古びた写真が落ちていた。
少女と笑う青年。地球の街並みを背景に。
裏には文字があった。
「2019年 東京」
リオンは無言で写真を拾い、封印袋に収めた。
記録上、この事件は「転生者暴走・第1727号」として処理される。
そのすべてが数字に還元され、翌日には忘れられる。
だがリオンの胸の奥では、何かが微かに鳴った。
胸骨の裏で、低く震えるような感覚。
地球という言葉を、誰も口にしないこの世界で――
彼だけが、その響きに懐かしさを覚えた。
***
異界対策庁第三区、地下十二階。
厚い鋼扉の向こうに、魂封印室がある。
リオンは報告書を提出し、同僚の監察官から淡々と署名を受けた。
「また“チート汚染”か」
「いいえ、“転生症候群”です」
「最近そればかりだな。まるで伝染病みたいだ」
リオンは答えない。
転生症候群――正式には「異界適応不全症候群」。
前世の記憶が制御を失い、現実認識を侵す精神的崩壊現象。
発症者の九割が暴走、もしくは自殺に至る。
そして残りの一割は、世界に“地球の断片”をばら撒く。
封印処理の後、魂のデータは「輪廻監査局」に送られる。
だが最近、その輪廻システム自体に“エラー”が出始めていた。
転生者が増えすぎ、魂の循環が詰まり始めているのだ。
上司のバルド老が現れた。
「よくやった、リオン。……奴は即死だったか?」
「はい、苦しまずに終わりました」
「それがせめてもの慈悲だ。転生とは、もはや救いではない」
老監察官は短くため息をついた。
封印室の奥で、魂の残響が微かに響いていた。
その音は心臓の鼓動に似ていた。
リオンは知らず、左胸に手を当てる。
「リオン、報告書にはこう書け。
“転生症候群・再発例。地球由来記憶の暴走。即時処理。”」
「了解しました」
「……それと。例の夢は、まだ見るか?」
「……たまに、です」
バルドの目が光を帯びた。
「夢の中の風景。あれはこの世界ではないな?」
リオンは沈黙で答えた。
老監察官は静かにうなずく。
「お前も、いずれ“発症”するかもしれん」
言葉の意味を、リオンは理解していた。
――転生症候群。
それは“前世を忘れられない魂”がかかる病。
だがリオンの場合、それだけではなかった。
封印銃を握る手のひらが、かすかに震えている。
掌の奥から、何かが囁いた。
また、誰かを殺したね。
その声が、確かに地球の言葉で響いた。
リオンは息を吸い込み、握りしめた拳を静かに下ろす。
冷えた空気が肺を刺すように透き通る。
夜がまた、やって来る。
転生者がひとり死んでも、明日も同じ報告書が積み重ねられる。
まるでそれが、世界そのものの治療であるかのように。
だがリオンは、まだ知らなかった。
その「治療」こそが――
世界を、ゆっくりと殺し続けているということを。
翌朝、都市の空に霞がかった陽が昇った。
昨日の封印現場は、すでに再構築魔術によって舗装し直され、通勤者が何事もなかったかのように行き交っている。
「異界は自動修復する」――それがこの世界の仕組みであり、呪いでもあった。
リオンは庁舎の廊下を歩く。
壁際のスクリーンには最新の「転生波観測報告」が流れていた。
「観測件数:過去最高。地球記憶混入率、上昇中」
数字だけが冷静に積み上がっていく。
その横を通りかかった新人監察官が小声で言った。
「いっそ“転生禁止令”でも出せばいいのに」
リオンは立ち止まらない。
それが実現不可能なことを知っている。
転生はもう、止められない。
人が死ねば、地球からもまた新たな魂が流れ着く。
この世界の空は、常にその“難民”で満ちていた。
***
午後、庁舎の屋上。
リオンは煙草を取り出し、火をつけようとしてやめた。
“地球”ではそれが癖だったが、この世界では煙草の成分が魂に悪影響を与える。
それでも指先には、いまだその感覚が残っている。
右手の震えを、火のせいにできた頃が懐かしい。
背後でドアの開く音がした。
「あなたが、監察官リオン・グレイですね?」
振り向くと、若い女性が立っていた。
黒いローブ、首元の銀章には《輪廻同盟》の紋章が刻まれている。
転生者擁護を掲げる、非合法組織。
庁舎の屋上に彼女が現れること自体、異常だった。
「許可区域ではない。侵入経路を答えろ」
「あなたが知りたいのは経路ではなく、“理由”でしょう?」
声は落ち着いていた。
目だけが、異様に透明で、まっすぐに彼を見つめていた。
「アイナ・ロウル。輪廻同盟、外部調査員。……あなたに用があります」
リオンの手が腰の封印銃に伸びる。
「犯罪組織の構成員が、官庁に立ち入る権利はない」
「それでも来たのは、あなたが“転生者”だから」
空気がわずかに動いた。
誰もいない屋上で、風が凪いだように止まる。
アイナは続けた。
「私たちは知っています。あなたが地球を見た人間だって」
リオンは目を細めた。
「根拠は」
「あなたの処理記録、百七十七件。そのうち三十四件で、“地球由来の品”が破壊されずに回収されている。普通の監察官なら即時焼却するはずです」
アイナは懐から一枚の古びた写真を取り出した。
――昨日、リオンが封印袋に入れたもの。
「なぜ、これを?」
「あなたが私に渡したのよ、未来で」
一瞬、世界が傾いた。
空の色が変わり、視界の端で街が歪む。
リオンは瞬時に封印銃を構えたが、アイナは微動だにしない。
「安心して。撃っても死なない。私はまだ“ここに来ていない”」
「……地球記憶か。発症者特有の妄言だ」
「違う。これは“再転生ループ”よ」
リオンは口の中で乾いた笑いを漏らした。
「ループだと?」
「あなたも気づいているでしょう。この世界が壊れ始めていることに。
転生者を殺しても、魂は浄化されず、また同じ時代に戻ってくる。
あなたが昨日封印した男、彼は三度目でした」
リオンの目がわずかに揺れた。
そんな情報、庁内データにはない。
「なぜお前たちがそれを知っている」
「私たちは“魂の記録”を追っている。転生を病ではなく、世界の自己修復反応と見ているの」
アイナの声は穏やかだった。
「この世界は死にかけている。
だから魂を、別の世界から輸血しているの。
あなたたちが“治療”と呼ぶ行為こそ、延命を妨げているのよ」
リオンは無言で銃を下ろした。
風が戻り、空が再び光を取り戻す。
アイナは歩み寄り、小さく言った。
「あなたの魂にも、地球の“残響”がある。
……思い出して。
なぜ、この世界に来たのかを」
その言葉が、胸の奥のどこかに触れた。
リオンは何も答えず、屋上を去った。
扉の向こうで、足音が遠ざかる。
アイナは残された風の中で、静かに呟いた。
「また、ここからやり直しね……リオン」
***
夜。
リオンの部屋の壁に、淡く光る紋が浮かんでいた。
転生者監察官に支給される封印徽章――魂の状態を自動監視する装置。
その紋の中央が、ゆっくりと赤く染まっていく。
異常反応。
転生波、微弱ながら上昇。
対象:監察官リオン・グレイ。
鏡の前に立ったリオンは、自分の目を見た。
その奥に、誰かがいた。
――青い空の下、金属と硝子の塔が並ぶ街。
聞こえる。車のクラクション。人のざわめき。
記憶の中の風景が、音ごと溢れ出す。
「これは……」
胸が焼けるように熱い。
封印銃を握る指先が震え、
再び、あの声が囁いた。
「おかえり、リオン。……いや、“玲音”」
視界が崩れ、床が落ちる。
彼は膝をつき、息を吸い込んだ。
遠くで警報が鳴っている。
庁舎の魂感知システムが、彼の発症を検知したのだ。
――転生症候群、発症確認。
リオンは立ち上がり、壁際の封印銃を手に取る。
銃口を胸に向ける。
「まだ……終わっていない」
その瞬間、部屋の外で誰かが叫んだ。
「リオン! やめて!」
扉が破られ、光が流れ込む。
アイナが飛び込んでくる。
彼女の手の中に、小さな金属の球――魂安定装置。
「もし撃てば、あなたは本当に消える!」
「俺はもう、監察官ではいられない」
「それでも、生きて。あなたは、まだ“物語の中”にいる」
リオンの手がわずかに揺れ、銃口が下を向いた。
アイナが駆け寄り、その手を包む。
指先の温度が、奇妙に懐かしかった。
「玲音……あなたを、また見つけられてよかった」
その瞬間、封印徽章が砕けた。
光が爆ぜ、世界が反転する。
リオンの意識が闇に沈みながら、彼は確かに感じた。
誰かの声。
――“転生症候群”は、ただの病ではない。
――それは、世界の記憶の目覚めだ。
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