10
電柱や塀を見て番地を確認していたが、遠目にも目的地ははっきりとしていた。崩れかけた家屋だったものがぽつんと建っている。背の低い家やアパート、古びたコインランドリーやシャッターの下りた店が点在する町の、寂れた一角だった。とてもじゃないが、裕福な地域には思えない。道の脇にある用水路には、空き缶や雑誌、煙草の吸殻が投げ捨てられ、濁った水がちょろちょろと流れている。行き交う人の姿はなく、真夏の昼下がりには猫の子一匹歩いていない。
両隣は空き地になっており、はす向かいに一軒家が建っているだけだが、そこもひと気がなく、空き家のようだった。
半壊した家屋は、動物の死骸のようだった。火葬され骨だけになった巨大な生物の骸がしんと横たわっている。一階に崩れた二階が覆いかぶさり、一部だけ焼け残っている。あの管理人はここに入って写真を撮ったのかと、その危険性を思いぞっとした。
「確認してきてよ」
「え、僕が」
「あんたなら怪我しても誰にも見えないし」
「僕だってこんな所で怪我したくないよ」
周囲を見渡しながら、皐は早くいけとトワをせっつく。「私が不法侵入してるの見られたら、通報されちゃうじゃん」
渋々、トワは伸びた草や木くずをまたいで敷地に入っていった。玄関部分は完全に倒壊しているので、裏に回って入れる場所を探しに行く。それを見送り、皐は帽子を深く被り直して、敷地の隅に詰まれた柱の上にハンカチを敷きそっと腰掛けた。帽子以外に日差しを遮るものは何もなく、じりじりと肌が焼けていくのを感じる。日焼け止めはたっぷり塗ったが、この汗で流れ落ちていると思うとげんなりする。真っ青な空に大きな入道雲が緩慢に流れるのを見上げ、折角の夏休みに何をしているんだろうと、何回目かも覚えていない自問を繰り返した。
焼け跡の瓦礫の隙間から、時たまトワが動き回るのが見える。しかし半壊した家の中を探って、白浜雪の生死に関わるものが見つかるかは甚だ疑問だ。誰かに聞いた方がいい、例えば、そこで様子をうかがっているおじさんとか。
夫婦らしき二人連れが、道の端からこちらを見て何かを話しているのが気になって仕方がない。事件のあった炎天下の焼け跡に女子高生が一人で座ってぼんやりしているのだ。怪しまれて一つも不思議なことはない。自分の姿を頭に思い描き、恥ずかしくなって皐は帽子を深く被り直した。向こうが応援を呼ぶ前に、こちらから近づいて安全性を示した方が得策かもしれない。
頭の中で会話をシミュレーションし、それを繰り返して腹を括ってから、皐は腰を上げた。
「あの、すみません」
五十代半ばほどの夫婦は怪訝そうな表情を見せ、旦那とおぼしき男性が「はい?」と語尾を上げて返事をした。
「ここは、白浜さんのお宅であってますか」
昔から度胸はある方だと自負しているが、流石に緊張しながら問いかける。夫婦は顔を見合わせ、はあ、と疑心を露わに慎重に頷いた。
「そうだけど、白浜さんが何か」
「お知り合いですか?」
「まあ、近所付き合い程度だったけどね。うちは昔からいるから」
思わず指を鳴らしたくなるのを堪える皐に、奥さんが眉間に皺を寄せて口を開く。
「あなた、肝試しなんかに来たんじゃないですよね」
「まさか、こんな昼間に肝試しなんてしませんよ。私は、十和くんの知り合いで……」用意していた台詞を皐は声に乗せた。いつの間にか家から出てきたトワがやって来て、幽霊のように横に立っている。「十和くんのことは、残念でした。ただ、妹さん、雪ちゃんがどうなったかが気になって」
二人の子どもの名前に、夫婦は明らかに顔を曇らせた。彼らにも子どもがいるのかもしれない。焼け跡を心痛な表情で眺め、奥さんがため息を吐いた。
「可哀想にね。十和くん、まだ小学生だったのに」
「きみは十和くんの知り合いなら、この辺の子かい」
旦那の問いかけに、皐は自然な風を装って首を振る。彼の言う通り、小学生だった白浜十和の知人であれば、同じ小学校区に住んでいると考えるのが普通だろう。長年住んでいる割には、やけに見かけない顔だと思っているに違いない。
「私も、小学生の時に引っ越したんです。だから、十和くんの事件も後から知りました」
わざとらしい悲痛な声に、次第に罪悪感が募ってくる。まさにここで命を落とした十和と自分は、顔を合わせたことさえない。自分の大嘘に憤る少年の姿が焼け跡に立っている気がして、皐は心の中で謝罪した。きみをだしに使って、妹まで巻き込んでごめんなさい。でも、放っておくわけにはいかないんだ。
「妹さんは、無事なんでしょうか。お母さんとかに聞いても、詳しくは知らないって言うし」
「雪ちゃんは無事だよ。少なくとも、引っ越すまでは大きな怪我もしていなかったはずだ」
「引っ越したんですか」
「そりゃあね」
ぼろぼろの焼け跡に視線を送り、やり切れないという風に首を振る。
「市内の養護施設に引き取られたそうだけど。事件から一度も姿を見てないなあ。もう中学二年になる歳か」
「それって何ていう施設ですか」
思わず身を乗り出す皐に、奥さんは咎めるような目を向ける。
「あなた、十和くんの知り合いよね。雪ちゃんに用があるの?」
「用といえば、まあ……」
「会ってどうするつもり? 一生懸命立ち直ろうとしてる子に、余計なことじゃないの」
正論を突きつけられ、ぐっと言葉に詰まる。亡くなった十和の知人が妹の雪の居所に興味を抱くのはそう不思議ではないと思う。しかし今の皐は、面白半分に詮索し、雪の心を乱そうとする野次馬にしか見えないだろう。雪や十和と本当に親しければ、親が話を隠そうと、その顛末ぐらいどこかで耳にするはずだ。
「最近ねえ、遊び混じりで敷地に入る子が増えて、本当に白浜さん、可哀想」
自分はそうした輩とは違う。だが、言い訳は逆効果だと悟り、皐は反論を喉元で食い止めた。
「それより、十和くんの知り合いなら、お墓の場所を聞いて手を合わせるのが先でしょう。いたずらに遺族を詮索して、ただ雪ちゃんが傷つくだけって分からないの」
不快感を隠さない妻を、旦那も止めようとはしない。同じように思っているからだ。もし彼らが雪の連絡先を知っていて、怪しい人物がいるから近づいてはいけないと忠告されれば本末転倒だ。
遊びのつもりなんて毛頭ないのにと心の中でむくれつつ、ごめんなさいと素直に頭を下げて謝った。これ以上ここにいてもリスクしかない。そばでぼけっと突っ立っているトワの足を踵で踏みつけ、すごすごと焼け跡から立ち去った。
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