青年の翼:0(ZERO)

一ノ瀬

第1話『静かなる観測者』

〜『1. 知識の防御壁』〜


 ロサンゼルス。俺のいるこの部屋は、遮光カーテンと青白いモニターの光だけで構成されている。地球の裏側で、俺は『情熱』を排除した『知識の観測所』を築いている。


 モニターには、日本の『熱』がデータとなって流れ込む。高校バレー界の戦術分析。次世代プレイヤーの能力評価。そして――羽立 翔斗、十五歳、高校一年生の『情熱の汚染(エラー)』の最新レポート。


(情熱は、一度失うとすべてを道連れにする猛毒だ。だが、知識は計算で残る。翔斗を二度とあの底なしの『絶望』で失わせないため、俺は己の『痛み』と『感情』を削ぎ、知識の防御壁を築いた。)


 病で身体を動かすことを制限されて以来、俺の才能は熱量から論理へとベクトルを変えた。かつてスポーツのすべてで輝いた『羽立 絢斗あやと』は、あのコートに焼き付けてきた。今はただのゼロとして、世界を分析する機械マシーンだ。


 祖父からの情報によれば、翔斗は今、「無気力」という名の絶望の中にいるらしい。


(それでいい。情熱は、それを失った時の絶望が深すぎる。俺のように、ゼロになればいい。何も求めなければ、何も失わない。)


 そう冷徹に考える一方で、俺の心臓の奥底にある「絢斗」だった部分が、チクリと痛む。


〜『2. 才能のインパクト』〜


 日本時間の放課後。祖父からの定例報告と同時に、一本の動画ファイルが届いた。差出人は鶫高校のバレーボール部顧問を経由したものだろう。


 『羽立翔斗:初打』


 モニターに映るのは、体育館の隅で退屈そうに立つ、覇気のない弟の姿。監督に促され、仕方なくボールを受け取る。


 ――どんよりとした無気力な表情で、ボールを打ち返す翔斗。腕は惰性で振られた。


 だが、その瞬間。

 肉体は完璧な円を描き、指先は空気の薄い一点を正確に捉える。無感情な少年の肉体が、一瞬だけ、かつての狂気を宿した猛獣のようになった。


 翔斗の打ったボールは、空気を切り裂くような鋭い音を立ててネットを越え、相手コートの隅に突き刺さる。その一撃に、体育館の部員たちは息をのむ。


(それは、俺が何度も夢で見た、『羽立翔斗という名の才能の覚醒』の瞬間だった。)


〜『3. 観測者の決意』〜


 俺は、その映像を何度も巻き戻して分析した。

データ1: 破壊力。以前よりもパワーは落ちているが、それでも高校レベルを逸脱した天性のバネ。

データ2: フォーム。体幹のブレのなさ、打点の高さ、指先の微細な角度……完璧だ。俺の知識(論理)でも再現できない、天性の才能。

データ3: 感情。一撃を決めた後の表情は、無。喜びも、達成感も、一切含まれていない。


「面白い。情熱はゼロだが、才能は無限大。だが、それでいい。お前がまた熱を持てば、また絶望が待つだけだ。」


 俺の仕事は、翔斗のバレーボールへの復帰を「観察」し、彼が再び絶望に飲み込まれないように、「知識」という名の防御壁を築くことだ。そして、もし必要とあらば、俺自身の「知識の優位性」で、翔斗の未熟な「情熱の翼」を叩き折ることも辞さない。


 俺は解析を終えたレポートを印刷し、一冊のファイルに綴じた。


 決して会うことのない兄弟の物語は、ここ、ロサンゼルスから始まった。

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