慰めと労い

【前回までのあらすじ】

 私たち夫婦が“それ”と呼ぶ、ひもでほどけるショーツは、私たち夫婦の営みの合図になっていた。しかし、私が“それ”を身に着けるのを静かに拒絶すると、夫が身に着けるようになった。

 けれども、夫の変化は、日常的に女性用の下着や服を身に着けることや、営みの中での姿勢にも表れる。夫の誕生日に私が夫へ贈った、女性向けの下着を身に着けた夫との営みが終わり――


―――


 やわらかな布が、夫の肌に落ち着くのを見届ける。


 短い時間に二度、力を使い果たした夫の中心は、さすがに静けさを帯びていた。

 さっきまであれほど、私の身体に翻弄ほんろうされていた名残なごりだけを残して、今はおとなしく、呼吸に合わせてわずかに沈んでいる。


 私はショーツ越しに、そこへ指先をそっと滑らせた。

 布一枚をへだてただけの、やわらかな感触。

 それは夫への労りのようでもあり、今夜、夫をここまで導いたのは私なのだと告げる“合図”のようでもあった。


 触れられた夫の身体は、かすかにふるえ、呼吸の端がふっとゆれる。

 抵抗するでも、求めるでもなく――ただ、私の手の動きにすべてを委ねるという、静かな従順さだけがそこにあった。


 指先でやさしく布地をなで続けると、夫の身体はゆるやかに反応を返した。

 勢いを取り戻した、というには程遠い。

 けれど、私の触れ方に呼応するように、わずかな生命の気配がそっと持ち上がる。


 それでもその変化は控えめなまま、私が許した範囲から外に出ようとはしない。

 まるで、“もう主導権はない”と自分でも理解しているかのようだった。


 私はその小さな反応を感じ取りながら、静かに指を滑らせ続けた。

 労りと支配、そのどちらの意味も含んだ、今夜の終わりにふさわしい仕草として。


 そうしてしばらくなでていると、夫の呼吸はゆるやかに沈み、まるで糸が切れたように静かな眠りへ落ちていった。


 私はその寝顔をしばらく眺め、そっと息を吐く。

 身体を整えたい衝動が胸の奥でふくらみ、夫を起こさぬよう気配を殺してベッドを抜け出す。

 夫がさっき、私からそっと脱がせ、軽くたたんでくれていた下着とパジャマを拾い上げ、腕にやさしく抱え込む。

 足音が床に吸い込まれるように気配を抑えながら、私は静かに浴室へと向かった。


 温かな湯に包まれると、身体を覆っていた緊張がほどけていく。

 その一方で、胸の奥にはまだ、消えきらない高揚の色が揺れていた。

 特に、自分の中心にともっていた気配は、洗う動きと湯の流れに合わせ、ゆっくりと静まっていく。

 それは、今夜の支配を名残なごり惜しむような、甘い下降の時間だった。


 湯から出て身体を拭き、用意していた下着とパジャマを身につけると、ようやく心が日常の温度に戻ってくる。

 リビングの灯りを落とし気味にしたまま、ソファに腰を下ろすと、自然と今夜の一連の光景が胸によみがえった。


 久しぶりに見た、夫のあの荒々しさ。

 一方で、その後に訪れた、私の手の中で静かに従順へと変わっていく姿。


 どちらが“本来の夫”なのだろう。

 問いかけは、まるで薄い霧のように胸の奥にただよっていく。

 その答えはまだ、どこにも形を持っていなかった。

 けれど、やわらかな灯りに包まれて、ぼんやりと自分の呼吸を眺めていると、ふっと、思いがけない影のような考えが浮かび上がった。


 ――あの荒々しさは、彼自身が選んだものではなく、どこかで“演じさせられた”姿だったのかもしれない。

 男はこうあるべき、夫はこう振る舞うべき、そんな見えない何かに、無意識の内に導かれていたのではないかと。


 でも、では今夜、私の身体の下で見せた、あの従順さが“本当の夫”なのかといえば……それにも確信は持てなかった。

 夫は今も、別の何か――私の影、あるいは彼自身の期待や遠い記憶のようなもの――に、そっと形づくられているだけなのかもしれない。


 そう思うと、胸の奥の霧はまたゆっくりと揺らぎ、答えはすぐにすくい取れそうで、しかし指のすき間から消えていく。

 けれど、完全な無とは違って、その霧の中にはうっすらと、まだ名のない灯りのようなものが潜んでいる気がした。


 ――どちらが本当なのか決める必要は、今はないのかもしれない。

 そのあいまいな気配だけが、静かに私の中へ沈んでいった。

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