第2話 出会ったら10秒で殺されかけた。まじかよ

運命の相手と出会った日。


ケンジは仕事の交渉で、とある人を訪ねていた。

仕える第二騎士団団長のイーゴリ。彼の功績をたたえ、この度王宮に肖像画をかけることがきまったのである。


けんじは、ファーストコンタクトのために一人王宮お抱え画家のアトリエへ住所を頼りに向かっていた。


森の奥のような荒れ果てた小道を抜けると、半壊した一軒家が現れた。

壁は崩れ、屋根は苔むし、煙突からは煙一つ上がっていない。


ケンジは門の前で立ち止まり、冷や汗をかいた。


(……ここ、ホントに宮廷お抱えの画家が住んでんのか?

 いや、これ廃墟だろ……?ていうか、死人でも転がってないよな?)


嫌な予感しかしない。

とはいえ、団長イーゴリの肖像画の依頼を伝えるという重要任務だ。

仕方なく、ぎこちなく呼び鈴を叩いた。


「ごめんくださーい……第二騎士団の者ですが……?」


返事は、ない。

風に揺れる板がギィィと悲鳴を上げただけ。


ケンジはごくりと唾を飲み、恐る恐る玄関を開けた。

中は暗く、灯り一つない。

壁にはカビが這い、家具は布に覆われている。


(……いやこれ、絶対人住んでないって……!

 画家じゃなくて、幽霊に会う仕事か俺!?)


心臓が早鐘を打つ。

それでも勇気を振り絞って、もう一度声をかけた。


「すみませーん!あの、肖像画をお願いしに……どなたか――」


その瞬間。


背後で床板がミシリと鳴った。


反射的に振り返ったケンジの目に映ったのは――


白い仮面。

ボロボロのローブ。

そして、手に光る鋭いナイフ。


間合いは――殺せる距離。


「…………ッッ!!?」

ケンジの顔が真っ青に凍り付く。


仮面の下から、狂気じみた声が響いた。


「ここに入ってくるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぉーーーーーーーっっ!!!!!」


「ぎゃあああああああああああーーーーーーーーーー!!?!?!?」


絶叫が森に響き渡り、鳥が一斉に飛び立った。



ナイフが、白い光を反射して迫った。


「ひぃぃぃぃっ……!お母さぁぁぁぁーーーーん!!」


ケンジは情けない悲鳴を上げ、涙を飛ばしながらも――両手を突き出した。

刃が食い込む寸前、必死の真剣白刃取り。

ぎりぎりのところでナイフを挟み込み、震える腕に全力を込めた。


仮面の穴から、血走った双眸が覗く。

息が荒く、ローブが上下に揺れる。

その手はなおも押し込み、ケンジの胸板を貫こうとしていた。


(殺される! 殺される!!)


戦場をくぐり抜けた男の勇気を総動員し、ケンジは絶叫しながら必死に押し返した。


「やめろおぉぉぉーーーー!!」


「貴様っ!! 何しに来たぁぁぁ!? ここは聖域だ!! 許さんっっ!!」

仮面の奥から、雷鳴のような怒声。


「ま、まぢで!? いや、あのっ! 画家の方に肖像画を頼みに来た者なんですけどっ!! 聖域犯した罪で殺されかけてますか!?」


「どのみち殺すっっ!!」


「話を聞いてくださいーーーーー!!!」


ケンジの悲鳴が森の奥深くまで木霊し、鳥たちが再び一斉に飛び立った。



涙をぼたぼた垂らしながら、ケンジは必死で胸ポケットをまさぐった。

「お、俺は……っ! 聖域を侵した者じゃないですからっ!!」

震える手で取り出したのは、きちんと封蝋された身分証明。


――第二騎士団 団長付き上級書記官兼参謀。

堂々たる肩書きを掲げるが、仮面の眼孔から覗く血走った瞳は、まるでそれを読もうともしなかった。


「……っ」

押し殺された息。


「あの……っ、あの……っ! 聖域から出ますから! 命だけは……!!」


仮面の人物は無言のまま、じりじりと近づく。

――いや、近づきすぎだ。

ほとんど身分証に仮面がくっつくほど、鼻先まで寄せられた。


「いやっ!? 近すぎて逆に見えてます!? 見えてますよね!? 聞こえてますか!? 近いってばぁぁ!!」


「……五月っっっ蝿い!!」


ごんっ。

ナイフではなく、柄の部分で頭上を殴られた。


「ぐわああああああ!? 理不尽ーーーー!!?」

ケンジの体は腐った床板に思い切り叩きつけられ、埃を巻き上げた。


「私は近眼なんだ!! なんだこの細々した肩書はぁぁぁ!!」


叫びながら仮面を持ち上げたその人物から、ふわりと長い金の髪がこぼれ落ちた。

波打つウェーブが乱れ、青い瞳がぎらつく。


若い。美しい。

だが、同時に怒りと狂気を宿したその表情に、ケンジは衝撃を受けた。


(びっ……美人!! 俺の好みドンピシャ!!)


――が、それよりも恐怖の方が勝った。

のけぞり、後退りしながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をさらに歪める。


「……いやいやいや! やっぱ殺される流れじゃんこれぇぇぇ!!!」




ナイフを構えていた女は、ようやく肩で荒くしていた息を落ち着け、仮面を机の上へ放り投げた。


「……前にね。ここをからかい半分で覗いた馬鹿がいたんだ。泥棒みたいに笑ってね」


淡々とした声には、刺すような怒気がまだ残っている。

金髪を指でかき上げ、青い瞳でケンジを射抜く。


「私は特殊な塗料を使うから。混ぜるときに毒気が立つから、こういう格好になる」


ボロ布のようなローブも、白い仮面も――生活のためではなく仕事のため。


「……」

ケンジはまだ尻餅をついたまま固まっていた。


「立ってなさいよ。座布団くらいあるから」

不機嫌そうに言い放つと、彼女は乱雑に茶器を用意し、湯気の立つ茶を差し出した。


「は……はぁ……」


顔をひきつらせながら、ケンジはアトリエの片隅に腰を下ろす。


外観からは想像もつかないが、中は意外にも整理されていた。

壁際には完成しかけの大作が立てかけられ、机の上には筆と塗料がきちんと並んでいる。

人が住める――いや、仕事に没頭するには十分な環境だった。


だがケンジの心の声は違った。

(ここは……人間が住む場所じゃない!)


荒れ果てた外観、暗い照明、毒々しい塗料の匂い。

独身生活が長いせいで、彼の家は整理整頓され、掃除も行き届いている。

生活感と衛生感が整っていなければ落ち着けない彼にとって、このアトリエはただただ恐怖の巣窟にしか見えなかった。


ケンジは別れた彼女達からも、ちょっと潔癖くさいと言われてきたが、それでも汚いのは嫌だった。


――38歳。

酸いも甘いも経験してきた男は、長年の本能で確信した。

「ここは一刻も早く出た方がいい……!」


しかし、目の前の青い瞳の画家は、すでに次の言葉を口にしていた。


「で? その立派な肩書きの男が、私に何を描かせたいわけ?」


ケンジはゴクリと唾を飲んだ。


肖像画の依頼についてようやく話す。

アトリエの中、埃と古紙の匂いに包まれながら。


画家は「ああー」と鼻を鳴らし、机の上に積まれていた汚れた紙束を漁りはじめた。

やがてリストを引っ張り出すと、ばさっと灰色の埃が舞い上がる。


けんじは思わず身を引き、紅茶のカップを手で庇った。


(危ない……っ! ホコリが紅茶にダイブするところだった……!)


青ざめた顔のまま一口飲み、彼は心の中で毒づく。


あまりに汚い。

若い女性が住む家とは思えなかった。


(……この人、本当に女か? いや、美人は美人なんだけど……残念すぎる……)


画家は全く気にすることなく、無造作に紙束を広げて目を走らせる。


「えーと……あったあった。イーゴリ・メドベージェフ。これか」


「はぁ、そうです。じゃあ……とりあえず日時を決めて、ここに来たらいいですか? あ、描く人はもう適当でいいんで」


――その一言で、空気が凍った。


「…………適当?」


画家の目がぎらりと光る。

次の瞬間、びきり、とこめかみに青筋が走り、無言の怒気がアトリエを満たした。

筆をナイフのように構え、刺されんばかりの迫力である。


紅茶を持つけんじの指が小刻みに震える。

「え、え? あの……いまのは……冗談……」


「適当!? 依頼人の顔を適当に!? 私に対して!? この私に対してぇぇぇっ!!」


机が蹴り上げられ、ぐらぐらと揺れる。

仮面を外した美貌の顔が、烈火のごとく怒りに染まり、真っ青なけんじを射抜いた。


「絵画を愚弄するなら殺す!!逃げても殺す!!お前の腸を引きずり出し絵の具にしてやろうかぁぁぁぁーーーー!!!」


「いやっなんかっごめんなさいっ!!!適当なんて言ったのはっ団長の顔のことでっぎゃああああああああーーーーー!?」


絵の具の束で殴られ髪の毛を引っ張られて馬乗りにされ、やっぱり泣いて謝った。


(ひぃぃぃ……! なんだこの人、スイッチ入りすぎだろ!!)


「依頼人の人となりを知りたい!!どんな男だ!!!」


画家の青い瞳が鋭く細められる。

話を続けることになり、震えながら座り直した。



けんじは一瞬ためらった。

だが、胸の奥に溜まりに溜まった鬱憤が堰を切る。

(どうせこの人、団長に会ったら絶対騙される。先に現実を伝えておいてやる……!)


「そうですね……第二騎士団の団長で、現在41歳。素敵な奥様と子宝に恵まれた幸せな家庭を築いています」


そこで一呼吸。声が低くなる。


「……が、病的なまでに助平で下品で、毎日よどみなく下ネタとセクハラ発言を繰り出します。俺の自尊心を傷つけて大笑いするんです。この前なんてお昼ご飯のカツカレーのカツを奪われて、殺そうと思いましたが返り討ちに遭いました。腕っぷしがいいので……最近は頭脳で復讐してやることが増えましたね。あのクソ野郎」


ストレスをすべてぶちまけた。

肩で息をしながら、けんじはぐっと拳を握る。


画家は一瞬黙って彼を見つめ――仮面もローブもない美貌を歪め、冷たく言い放った。


「……クズではないか」


「やっぱりそう思いますよね!?!?」


机に身を乗り出し、涙目で全力同意を求めるけんじ。

アトリエの中には、彼の哀れな声が響き渡った。



「なんでそんなクズを宮廷に絵画として飾るんだ?恥だろ」


画家の切り捨てた言葉に、一瞬ケンジの眉がピクリと反応し微かにつりあがった。


確かにクズだし、最低だ。


だが、あれでなかなか優秀な男でもある。

数々の戦争での歴戦の功績は、王国史上でも群を抜き、最も勝利を納めてきた一人だ。


国への貢献度で言えば、間違いなく騎士団の中でも随一だろう。


ケンジは紅茶を一口飲み、深いため息をついた。


「はぁ……まぁ……クズでも、あれで結構すごい人なんですよ? なんか銅像と肖像画のどちらがいいかとか、王宮で話も出たとか……」


「…………」


画家は腕を組み、じっとケンジを見ていた。

その視線に気圧され、ケンジは慌てて言葉を継ぐ。


「仕事は出来ますし……うざいですけど仲間からも慕われてますから。クズだけじゃないっていうか……え? な、なんですか?」


ふと顔を上げると、画家の青い瞳がきらきらと光り、口元がにやりと歪んでいた。

からかうような、獲物を見つけた時のような、底知れない笑み。


「なるほど。あなたみたいに慕う奴が多い……そんな男なのか」

椅子から身を乗り出し、画家は片手を机に叩きつけた。

「面白そうな題材だ!!」


「……いや、慕ってない。全然っっ、1ミリも!!」


ケンジの必死の否定などどこ吹く風。

画家は目を輝かせ、大げさに立ち上がる。


「よしっっ! 一度会ってみたい! さっそくここに来てもらうか、私がそっちに行こう!!」

「えぇぇ!? なんでそうなるんですか!? いやいやいや、団長とあなたが対面したら絶対大惨事……!」


「ゆっくり話をして、描く相手を知るのが絵画の第一歩だ!」


けんじは頭を抱え、心の中で叫ぶ。

(なんだこの人……っ! 話、全然聞いてねぇ!!)


豪快に笑う美人を前に、三十八歳独身参謀の心はひたすらに削られていった。




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