17話【事務局騒動】

~王来王家燕到着から1時間前~


イノベーション事務局の入り口前には、不穏な空気が漂っていた。大勢の人々の怒声とざわめきが響き渡る。


「愚行者達よ、返しなさい。」


フード付きの黒いローブをまとった1人の男が、一歩前に進み出る。その声は冷たく、威圧感を帯びていた。


「なんの話だ…!」


事務局の警備員が銃を構えながら問い返す。その声には動揺がにじみ出ていた。


「この牢には我らが同胞達の亡骸が多く囚われている。その魂を、その御身を我らに返しなさい。」


「同胞? 魂? 何の話だ!ここから早く出るんだ!」


警備員は声を張り上げて警告するが、ローブの男は微動だにせず、ただ冷ややかに言葉を続けた。


「我らは決して許さぬ。”御使いみつかい”様の罰が降る前に我らに屈せよ!」


男の声が響き渡るたび、周囲のローブをまとった集団から低いうなり声が漏れ始める。


「仕方ない……魏藍室長から借り受けたこれを使うしかないか……!擬似能力、解放!」


警備員は緊張した面持ちで、手にした銃のスライド部分を引き、構え直した。そして、力強く叫びながら引き金を引く。


銃口から放たれた弾丸は、氷の結晶をまとった冷気の塊だった。それはローブの男の足元に着弾すると、瞬く間に地面を凍結させ、足元に完全な氷の床を作り上げる。


「次は当てる……!」


警備員が凛々しく銃を構えるが、ローブの男は依然として微動だにしなかった。その姿は、不気味なほど静かだった。


「それが、我らが同胞の血肉を用いて作った旧人類の異物か。なんて残忍な物を“創り”あげたものだ。」


ローブの男は足元の氷を冷笑で見下ろすと、背後に控えていた同じローブ姿の者たちに目配せを送る。


「同胞達よ!この愚者に裁きを降せ!!」


男の叫びが合図となり、ローブをまとった者たちは一斉に前へ出た。その動きは統制されており、まるで1つの巨大な生物が蠢くかのようだった。


「「オォーーーー!!!!」」


ローブをまとった者たちが咆哮を上げながら駆け出す。地面が揺れるほどの勢いに、警備員たちの表情が一瞬硬直する。


「誰か、魏藍室長達に報告してくれ!その間、事務員総出でこいつらを止めるぞ!!!」


1人の事務員が咄嗟に号令をかけると、周囲にいた他の事務員たちもすぐさま銃を構えた。


氷の弾丸が次々と放たれる。その冷気の嵐は、ローブの者たちを包み込むかのように舞い散った。




ーーイノベーション事務局内、研究室。


すでに内部では、擬似能力の開発実験が粛々と進められていた。


「さて、すぐにこの被検者No.109のS細胞の結晶化を始める。」


魏藍の冷静な声が響く。彼の言葉に応じて、周囲にいた財前と複数人の研究員たちが一斉に頷き、動き出した。

その様子を黙って見守るのは、後方で佇む天城天だった。彼の鋭い眼差しは、魏藍の一挙手一投足を見逃すまいとするかのようだ。


しかし、今にも実験が始まろうとしたその時、実験室の扉が勢いよく開かれた。


「大変です!魏藍室長!」


飛び込んできた1人の事務員は、息を切らしながら必死の表情で叫ぶ。その様子に、室内の空気が一瞬で張り詰めた。


「なんだ?こんな時に。」


魏藍は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに問い返す。その声には苛立ちが滲んでいた。


「異能者です…!入り口前に大量の異能者です!!」


「大量の異能者ってどういうことですか?!」


財前が動揺を隠せない様子で声を上げる。


「分かりません…!!すでに事務員の数名が迎撃体制を整えていますが…とりあえず来てください!」


魏藍は一瞬だけ考え込むように視線を落とした後、決断したように近くの壁に飾られていた2本の鉈を手に取り、財前と天城を連れ研究室を出た。




外に出た瞬間、魏藍の目に飛び込んできたのは、血の匂いと悲惨な光景だった。

地面には赤黒い血溜まりが広がり、その上に横たわる事務員たちの姿。彼らの制服は裂け、ところどころに深い傷が刻まれていた。


「ッ!?…お前ら!!生きてるのか!?」


魏藍が駆け寄ると、倒れていた1人の事務員が微かに顔を上げた。


「魏藍…室長…ッ!すいません、こいつら…全員異能者で…」


「事情は聞いてる!喋るな!」


魏藍は短く言い放つと、すぐに後ろを振り返り、鋭い声で命じた。


「財前!!」


「は、はい!!」


「みんなを医務室に連れて行け!」


「室長は!?どうするんですか、この人数…!」


「俺がやる…!天城、財前のフォローを頼む。」


「わ、分かりました…!気をつけてください室長!」


財前と天城はすぐに動き出し、血塗れになった事務員たちを慎重に抱え上げると建物内へと運び込んでいった。


魏藍は彼らを見送ると、再び前方を見据える。その視線の先には、ローブをまとった異能者たちが静かに立ち並んでいた。


「何の集団なのか知らねぇが、返り討ちにしてやる…!」


魏藍は両手に握った2本の鉈を構え、じりじりと間合いを詰める。


「貴方がこの牢の番人、魏藍衝平だな。同胞達の御身返してもらう!」


ローブの者が前に進み出ると、手を掲げて号令を下した。


「行け!」


その合図とともに、4人のローブ姿の者たちが一斉に突撃してきた。


「何が番人だ…!俺はただの研究者だ!」


魏藍は鉈を十字に重ね、冷静に呟いた。


「擬似能力解放!”風火二燐ふうかにりん”!」


次の瞬間、鉈の刃が燃え上がる。まるで炎そのものを纏ったような刃は、迫り来る敵の姿を照らし出す。


「ズバッ!」


魏藍は鋭い動きで鉈を振り下ろし、突撃してきた4人のローブの者たちを一閃する。


斬られた者たちは地面に崩れ落ち、傷口を押さえながら呻き声を上げた。その傷口からは、焼けた肉の匂いが漂ってくる。


「斬られた部分が火傷になるのはさぞ辛えだろ。」


魏藍が嘲笑するように呟くと、ローブのリーダーがゆっくりと前に進み出た。


「紛いなる異能に我が同胞達を傷つけられるのは、些か不服だな。」


ローブの男が魏藍の隣の空間に手を翳すと、その空間が奇妙に捩れ始めた。


「なんだ…!?」


「”真の念道サイコブレイク”」


翳した手を握りしめた瞬間、捻れた空間が元に戻る様に弾け、その衝撃で魏藍が吹き飛ばされる。


「ぐはッ…!?…異能者だったな、そういや…念力か…?古典的だな。」


魏藍は地面に叩きつけられながらも、余裕を見せるように口元を歪めた。


「念力とは遥か昔から存在する最古なる力。人類に与えられた原初の可能性であり、異能における初歩である。異能が知れ渡るよりも前から認知されていた力である!」


ローブの男は地面に手を翳し、再び空間を歪ませる。それに伴い、地盤がゴゴゴと音を立てながら浮き上がった。


「紛い物の異能では真の異能には遠く及ばない。同胞達を返してもらう。」


浮き上がった地盤を、ローブの男は念力で魏藍に向けて投げ飛ばす。


「受け止めてやる…!」


魏藍は燃え盛る鉈を構え、迎撃しようとするが、その瞬間、複数のローブの者たちが後方から彼の腕を押さえ込んだ。


「何ッ!?…ッくそ…」


次の瞬間――


ズドォン!!!


地盤が魏藍を直撃し、瓦礫と土煙が舞い上がった。その衝撃音は、周囲の静寂を一瞬で飲み込むほどだった。



土煙が舞う中から、冷気がゆっくりと流れ出してくる。だが、それは通常の冷気とは明らかに異質だった。目に見えるほど濃密で、肌に刺さるような冷たさを持ちながら、どこか不気味さを伴っていた。


「なんだ…?」


ローブの者は土煙に目を向けた。


「地面を投げ飛ばすなんて野蛮なお方ね。」


冷たくも艶やかな声が響く。土煙がゆっくりと晴れると、そこには着物姿の女が立っていた。艶やかな黒髪を肩に流し、鮮やかな着物がその場にそぐわないほどの存在感を放っている。そして、その横には、投げ飛ばされた地盤が真っ黒な氷に覆われ、静止していた。


「何が起きてるんだ…?」


魏藍は目の前の光景に困惑し、周囲を見回す。


「何者だ…そこな愚行者のともがらか?」


ローブの者が威圧的に問いかけるが、着物の女は気にも留めず、冷たい笑みを浮かべるだけだった。


「…アタイの事なんかどうでもいいのよ。それよりも…」


女はゆっくりと視線をローブの者たちに向けた。その動作ひとつひとつが、異様なまでに冷ややかで、威圧感を伴っている。


「ねえ~?十倉とくら、この人達かしら?」


その声に応じるように、ローブの者たちの後方から、大人数の兵士のような姿をした者たちが現れた。彼らを先導するように歩いてきたのは、スーツ姿の男だった。


「それを今から確認するんですよ、宮代隊長。」


「あら、そうなの?でもアタイは何もしないわよ?」


宮代と呼ばれた着物の女は、あっけらかんと答えると、氷でできた地盤の上に寝そべった。その様子に、男はため息をつきながら頭を掻く。


「はぁ…またですか…。井土いづちさんに怒られますよ?職務怠慢だって。」


「はぁ~、うるさいわねぇ…。」


宮代は気怠そうに目を閉じたまま呟いた。その間も冷気は彼女を中心に漂い続けている。


ーーさらにその背後から、別の声が響く。


「ありゃ?被っちゃったか。」


新たに現れたのは天パの男と、その隣でドーナツを頬張りながら歩く小柄な女性だった。


「感だとここが怪しいと思ったんだけど、まさか他の小隊と被るとはついてないね~。」


男は軽い調子で話しながら周囲を見渡し、ローブの者たちに視線を向ける。


海上うなかみ隊長…第11小隊が来るなんて、ここはよっぽどなんですかね?」


十倉は宮代に問いかけたが、彼女は相変わらず氷の上で寝転んでいるだけだった。


「はぁ…寝てますし…」


その状況に魏藍は完全に困惑していた。


「なんなんだ…お前らは…」


状況を飲み込めないままの魏藍に構わず、ローブの者たちは怒りをあらわにした。


「愚行者達がゾロゾロと!!!我らの邪魔をするとは!」


ローブの者は念力を使い、複数の瓦礫を浮かび上がらせると、十倉に向けて一気に放った。


「ッ!おい、お前ら!!何者だか知らねえが、避けろ!!」


魏藍はとっさに叫ぶが、十倉はその場から一歩も動かず、冷静に状況を見据えていた。


「はぁ…これは面倒ですね。」


十倉は静かに身構えた。だが、その瞬間、天パの男が軽い調子で声を上げる。


「あー、いいよいいよ、十倉副隊長。こっちに任せな。うゆ。」


彼の言葉に、うゆと呼ばれた小柄な女性が頷き、一歩前に出ると、口を大きく開けた。

その口は徐々に巨大化し、彼女の身長を超えるほどの大きさになる。


「“大喰らいの口グラトニー・イーター”」


巨大な口が飛んできた瓦礫を次々と飲み込み、完全に消し去った。


「……不味い……」


呟くように言ったうゆの表情は淡々としているが、その異能の光景に周囲は息を呑む。


「さすが、大喰らいの円角えんかくうゆ副隊長……」


十倉が感嘆の声を漏らす。


一方、魏藍はその光景を目の当たりにし、思わず呟いた。

「その……異能者、なのか……?」


ローブの者は異能を目の前にして動揺を隠せない様子だった。

「異能なる力を持ってして我らを阻むのか!貴様ら!なんたる愚行だ……その力をなぜ……なぜ!!」


激昂した声が響き渡り、それに呼応するように周囲のローブの者たちが次々と武器を構える。


「はぁ……うるさいですね。」


十倉は冷めた目でローブの者たちを見つめながら言った。


「大事な任務中ですので、結果報告のためにも……貴方たちの素性を調べさせてもらいますよ。」


そう言うと、十倉の体が突然異変を起こした。

四つん這いになると、骨格が音を立てながら変化し始める。


「お、おいおい……なんだよそれ……何が起きてんだ……!」


魏藍は異様な光景に後ずさりしながら叫んだ。


「貴方たちは特別です。」


十倉は笑みを浮かべると、骨がゴキゴキと痛々しい音を立てながら変化していく。

腕と足には鋭い爪が現れ、体中を覆うように毛が生え、顔つきも徐々に狼のような形状へと変わっていった。


「この姿を…!この異能を見れるのですから!!」


変貌した十倉――今や巨大な狼のような姿となった彼が吠えた。


「“月下狼げっかろう”!!」


その異様な姿にローブの者は驚愕する。


「ぐ、愚行者め……なんという異質な異能を……いや、それは本当に異能なのか……!そんな異能、我ですらこの目で見るのはーー」


動揺しつつも言葉を発するローブの者だったが、次の瞬間、彼の心臓に鋭い衝撃が走った。


「がふっ…」


目の前に突如現れた十倉が、鋭い爪でローブの者の胸を貫いていたのだ。


「しまった……致命傷は避けたつもりでしたが……まだ“克服”できていないのか。どうしても勢いがつきすぎる……」


十倉が手を引き抜くと、ローブの者は力尽きて地面に崩れ落ちた。


「導師様が……!?し、死んでしまーー」


周囲のローブの者たちが狼狽する中、再び巨大な口が開かれる。


「ガブッ」


円角が首をまとめて丸呑みにした。


「……人の頭、不味い……ぺっぺっ」


円角は吐き出された首を見つめながらぼやいた。


「あ~あ……やりすぎだよ?うゆ。」


海上が苦笑しながら言う。


「……ごめん、海上。」


うゆは素直に謝罪するが、海上は肩をすくめて続けた。

「まぁいいよ。十倉副隊長も、もう少し加減してくれ。せめて一人ぐらいは話せる状態にしておきたかったな。」


「……申し訳ありません。」


十倉はその場で再び変化し、徐々に人の姿に戻っていく。


「……時間がかかっているな。やはりまだ“克服”には至っていないのか?」


海上が確認するように尋ねると、十倉は悔しげに頷いた。


「ええ、もう少しだと思うのですが、完全には克服できていません。」


「なら、あまり使いすぎないほうがいいぞ。獣化して野垂れ死ぬなんて、笑えない話だからな。」


「ご忠告、感謝します。」


そう言い終わると十倉の体は完全に人の形に戻った。


海上はローブの者のフードを外し、その素顔を確認する。


「……なるほど。こいつら、最近話題の宗教集団か。」


海上が納得したように頷いた。


「例のでは無さそうかしら?」


宮代の声が静寂を破った。いつの間にか、氷の上で寝ていたはずの彼女が立ち上がり、こちらを見ていた。


「起きてたんですか隊長。」


十倉が振り返ると、宮代は氷に触れながら薄く微笑んだ。触れた箇所から氷が溶け出し、滴となって地面に吸い込まれていく。


「起きてたわよ~ずっと。」


その気だるげな声色とは裏腹に、目は鋭い。氷を完全に溶かし終えると、宮代は歩き出した。


「さてと、収穫無しなら帰るわよ~十倉。」


軽い調子でそう言い放つが、その言葉には撤収の指示が含まれている。十倉は周囲を見渡し、苦い表情を浮かべた。


「はぁ…この死体の山どうするんですか?」


彼が指差した先には、ローブの者たちの無残な姿が横たわっている。


「海上隊長がなんとかしてくれるわよね?」


宮代は海上に視線を向ける。促されるように海上は肩をすくめた。


「あ~、まぁそうだな…この導師?とかいう奴は回収しとくか。いいよな?研究者。」


唐突に話を振られた魏藍は、一瞬戸惑ったものの、すぐに頷いた。


「…え?あ、あぁ…」


だが、魏藍の頭には疑問が渦巻いていた。自分たちの施設を荒らし、異能を駆使してローブの者たちを一掃した彼らは一体何者なのか。勢いのまま口を開く。


「いや、ちょっと待て…お前ら何なんだ…!急に現れて、異能者が異能者を殺して…」


その声に、宮代が振り返った。唇に薄く笑みを浮かべながら、彼女は答える。


「アタイ達のことはどーでもいいのよ。というか、アタイ達にはあまり触れちゃダメよ?」


「どういう意味だ?」


魏藍の問いに、十倉が間を埋めるように言葉を重ねた。


「そのまんまの意味ですよ。

ここで起きたことは大事にならないし、世の中に出る事も無い。安心していつも通り擬似能力を作り警察や”俺達”に渡してくれればいいんですよ。」


その言葉を残し、十倉は宮代と共に兵士たちを率いて施設の敷地を後にしようとする。


「”俺達”…?…ッ!?まさかお前らが!?」


魏藍の声が震える。その言葉に応えるように、海上が振り返り、軽く手を挙げた。


「あ~知ってたか俺達を。んじゃ、そんな所で俺達も失礼するよ。荒らして悪かったね。研究者。」


彼は担いでいたローブの者を軽々と持ち上げ、踵を返す。その後ろを円角が続きながら、短く一言呟いた。


「…ごち。」


魏藍はその光景を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。冷や汗が背を伝う。

自分たちが関わってしまった存在の重さに、ようやく気づいたのだ。


「あれが…【No Traceノー・トレス】…警察庁の特殊部隊…だとでも言うのかよ…?異能者達の化け物集団じゃねえか…」


絞り出すように呟きながら、魏藍は脇腹の痛みを押さえつつ、ふらつく足取りで医務室を目指して建物の中へと消えていった。

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