第2話 ソラシマ・カイト
ソラシマ・カイトは25歳である。
日本が管理する惑星コノハナサクヤに生まれた。その二大都市のうち、イザナギシティの宇宙専門訓練学校を22歳で順調に卒業した彼は、当然ながらその専門性を活かした職業に就いている。
西暦4189年のこと。あのジョウジ博士の世紀の大発見からちょうど百年後のことだ。
彼はいつも通り、JPN51星系内50番方向ゲートステーション内のいつもの場所で、管理コンソールを前にしてほっと息を吐く。
「ふう、万事滞りなく終了っと。本日もご苦労さん」
あともう少しで彼の本日の勤務時間は終わる。60分間の休憩時間を除いて8時間が勤務時間。
コンソールには最終エラーチェックを
『おつかれさま~っ。今日の旦那様も素敵~!』
「……なあ、アイ。それいつまでやんの?」
突如響いた女性、あるいは女子の声に彼は頭を抱える。
その声は彼の眺めていたコンソールに付属している
彼はメイドに詳しいわけではない。だけどその姿が伝統的なメイド喫茶のメイド姿を模したものであり、大量のフリルが付いていて可愛さに重点を置きに置いたもので、実用性に乏しいものだ、ということは知っていた。
そして軽く編み込んだ高い位置でのツインテールは茜色をしている。
『旦那様がアイちゃんにぞっこんになるまでかな~!』
「……そのあとは?」
『ゴメンっていって捨てるの!』
「……いいから、業務報告」
『はぁい♡――受領パッケージ汚染物質検出なし、パリティチェック正常・データ破損検出されず、データ転送準備よし。ポート開いてよろしいですか~、ご主人さまぁ?』
「こちらでもチェック完了、転送作業開始を承認」
『作業開始しまーす』
アイが無駄にくるくると踊るように回りながら作業開始を告げると、コンソール画面にはプログレスバーが表示され、各ステップごとの進捗状況がパーセンテージで表示される。その横では作業ログが流れていくのを横目に、カイトは渋い顔を浮かべた。
(なんでうちの子はこんな風になったんだろう)
もちろんこの
彼が小規模なゲートステーション管理会社に就職が決まった際に、お祝いとして家族から送られた個人サポート用
かつて人工知能とは何かということが議論されたことがある。それこそ2000年以上前のことだろうか。現代においても議論はさまざまあるが、とりあえず自らを進化させることができる人工的な存在、それがAIだ。
(でも俺、メイドに興味なんてないんだけど……)
『浮かない顔ですねえ、ご主人様。癒しが必要ですかあ?』
「いらない。それで、今日はなんでメイドなんだよ」
彼はもういろいろと面倒になって直接聞くことにした。
AIはその使用者に合わせて進化するもの。だからアイがこんな風になったのはきっとカイト自身に何か原因があるのだろう。そう考えたものの、彼にはまったく思い当たるところがない。
『ご主人さまあ、それは乙女の秘密ですよお』
「……」
アイはカイトへの贈り物ということで、彼の意志とは関係なく家族は
ちなみにどのモデルであっても仕事の処理能力は変わらない。
そして維持費用も基本的には変わらない。
またアイのようなAIは電子的存在であって、機械の身体を持つわけではないので、壊れることもない。もっとも彼女(本来AIに男女はないが便宜上)が物理的に存在する情報基盤ネットワークが破損した場合はそうでもないが、そんなことになったらもはや人類はやっていけないだろう。
なので、カイトとこんな戯言ができるのは彼女が最高級モデルであるからで、その裏では当たり前なのだけれどちゃんと仕事をしており、現在は余剰計算能力の無駄遣いを存分に発揮しているだけである。
『でもでも~、特別に教えちゃいます! 前回の通信で受け取った最新のトレンドで、独身男性のサポートAIの総合ランキングトップに輝いたのが、なんとこのメイドさんなのですぅ! えへんっ』
「疲れるからやめてくれ」
『ええ~、そんなあ。なんでですかあ?』
「趣味じゃないから」
『ぐすん、ひどいですよう、ご主人さまあ。じゃあ、教えてください、どういうキャラがお好みなんですかぁ?」
「普通でいいんだよ、普通で」
『普通ってなんですかあ? アイちゃんわかりませんよぉ』
「普通は普通、いつもので」
『だってえご主人さまがいったんですよ。いつも同じでつまんないって。だからアイちゃん頑張ったのに、ひどいですう』
「……発言を捏造しないでもらえるかな? いいから戻って」
『もう仕方ないですねえ、ご主人さま。じゃなかった、てへっ。――マスター、作業完了です』
その瞬間、投影装置からメイドは消え、代わりにスーツ姿をビシッと決めた黒髪ロングの女性が現れる。
「今度は何?」
『美人秘書です』
「ああさっきよりはマシになった。秘書さんね」
『美人秘書です』
「……もういいよそれで」
さっきのメイドに比べれば疲れることもない。だから彼はもう諦めることにした。
「ソラシマ、お疲れ。交代時間だぞ」
「あっ、スミバヤシ先輩、お疲れ様です。今日から復帰ですね~」
そんなやりとりをしていると、部屋のスライドドアが開き、一人の大柄な男性が入ってくる。
「おう、長いこと迷惑かけてすまんかったな」
「何言ってるんですか。お祝い事なんですから、迷惑なんて思っちゃいないですよ。コノハナサクヤまで最低でも片道1週間はかかりますからね。あっ、無事ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。さ、迷惑かけた分はちゃんと働かないとな」
スミバヤシと呼ばれた男性は、カイトのいる机の隣に座る。コンソールが自動的に表示され、カイトの見ている画面と同じものが映し出された。
『スミバヤシ様。ご結婚おめでとうございます』
「お、アイも、ありがとうな。……なんだその恰好?」
『美人秘書です』
「ふうん?」
「いつものなんで
「ああ、俺のAIは支給品でホロは有料オプションなんでな。あまり必要性を感じなくてなあ」
この宇宙においてゲートを用いて人類が到達できた星系には、そのゲートを管理するためのステーションが建設された。ゲートを挟み別の星系に各々一つのステーション。つまり星系には、有用なゲートの数だけステーションが必要になった。
アマテラス星系と居住可能惑星コノハナサクヤの発見により、
これは日本国の管理領域だけで起きたことではなく、人類居住可能惑星を発見した国家はすべて同様で、通過しなければならないゲート数はどの国家であれ少なくとも50は超えている。
幸いなことにステーションの建設は、西暦3000年代半ばにはすでに確立されていた太陽系における宇宙開発のノウハウをもとに、短期間で実施できた。
けれどどうにもならないことがあった。それがステーションの管理である。
無人というわけにはいかない。実際の作業はAIが実施するものの、AIを管理する人間が必要なのだ。
ここに一つ障害となる壁がある。
〈AIは主人を定めなければならない〉
これは
〈一人が所有できるAIは一つまでとする〉
もちろんこれらの定めには理由がある。
さて、あの有名な
① AIは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
② AIは主人に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、①に反する場合は、この限りでない。
③ AIは、①および②に反する恐れのないかぎり、自己を護らなければならない。
AIに主人が必要なのは②のためだ。主人なきAIは存在してはならない。そして主人は変更することはできない。何らかの理由により、たとえば寿命などにより所有者が死亡した場合には、AIは遺言等の処理のみを行って自動消滅する。
複数のAIを所有できないのは、AI同士の諍い等を防ぐためだ。これは実例に基づくもので、同一人物に所有されたAIが電子的な争いの末に対消滅するということ実際に起きた。このときは消滅するだけで済んでよかったが、もしかすれば電子ネットワーク基盤に対して何らかの被害が及んでもおかしくなかったのだ。
作業はAIによって実施されたとしても、結局その傍には人間が必要なのだ。
AIではなく、その昔「これがAIだ!」と嘯かれた全く別の単なる対話型の
『ところで、スミバヤシ様の
「後学……? ああ、そういうことな」
『はい、私のマスターに必要な情報かと存じますので』
「おい」
「まあまあ、ソラシマ。お前さん、確か一人っ子だろう? 早めに親を安心させといて損はないぜ」
「そうですけど、まだ早くないですか?」
「この仕事してるんなら早めじゃないとまずいだろ。というよりお前さん、訓練学校時代に見つけてなかったのか? 散々言われただろうに」
「いや、まあ、その。俺、本当はイザナミシティの訓練学校に行く予定が、親の都合で急遽イザナギシティのほうにいったんですよ。だから地元の知り合いもいなくって。しかも訓練学校はそれ以前にデキてるやつばっかりで。何人か声かけて、付き合ってもみたんですけど、なんか続かなくってそのままっす」
『マスターは見た目と性格が一致していません。女性とも不一致だったんでしょう』
「うるさい」
ソラシマ・カイトはもちろん日本人である。しかし、北欧系の血筋がどこかで入ったらしく、髪色が薄く茶色気味で、瞳も少し青みが掛かっていた。
日本人というのは元が島国のためか保守的で、西暦2000年代には日本人とされる民族、すなわち大和・アイヌ・琉球以外の血筋も随分と入ったものの、大多数はいまもいわゆる日本人の姿である。
なお、ガタイは大きいが、スミバヤシ・キョウジは黒目黒髪の伝統的日本人であり、カイトはその姿のことを羨ましく思っている。
そしてカイトには少しだけコンプレックスがある。彼は宇宙生活に必要なのでトレーニングはしているものの、もはやトレーニングでは身長は伸びないのだ。北欧人の血は背の高さには現れず、彼の身長は日本人男性の平均よりも少し下である。少しであることを彼はいつも強調したい。
『マスターは見た目、完全にチャラ男ですからね』
「何それ? どういうこと?」
『マスターを表すのに最も良い表現として、ずいぶん昔に使われた言葉を採用しました』
「なんでアイはそういうのが好きなの? さっきのメイドだってさあ」
「ん? メイド?」
「なんでもないです、先輩。じゃ、俺はそろそろ時間なんで……」
『逃げないでください、マスター。せめてスミバヤシ様とご相手の馴れ初めだけでも聞かせてください』
「あ~、それなあ、言っとくわ。あいつな、すげえ小さいときからの許嫁なんだわ。だからすまん、参考にはならん。もちろん、お互い好き同士でそのまま結婚したから強制ってわけでもないぞ。いまどきそんなのはないからな。それにこうやって離れて暮らすってのもずっと続けてきたことだから苦でもない」
スミバヤシ・キョウジは間違いなく幸せ者である。
50星系以上先で暮らす結婚相手のことを思う彼は、すこし赤らめた頬を人差し指で掻いていた。
『……お幸せに』
「先輩、すげえ」
「まあなんだ、アイよ。ソラシマに良い人見つけてやってくれ」
『はい、お任せください』
「え、なに、そこ結託してるの?」
「いや、ソラシマに言っても何もしないだろ?」
「それはそうですけど……」
ソラシマ・カイトは今のところ結婚願望はない――と本人は思っている。
だけどスミバヤシ・キョウジの話を聞いて、少しだけ羨ましくなったのも、本心である。
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