第2話 暴走する善意、行政書士の絶叫
― 恩義の主張と事務所への移動
警察署を出ると、シグルド=アガートは晴れ晴れとした顔で八木沢 楓に深々と頭を下げた。
「楓殿。重ねて感謝する。まさか、この世界の『秩序の守護者』から逃れられるとはな。お前の知恵は、我が想像を遥かに超える『力』だ。」
「逃れたわけではありません。温情的な起訴猶予という形で、一旦保留になっただけです。」
楓は疲れた顔で、腕時計を見た。彼女はシグルドを、ただの『日本のルールを知らない不法滞在の外国人』だと思っている。このまま放置すれば、またどこかでトラブルを起こし、身元引受人である自分まで迷惑を被る。
「いいですか、シグルドさん。あなたは今、刑事事件の容疑者になる一歩手前でした。まずはあなたの今後の活動について話さなければ、私も安心できません。私の事務所へ来てください。」
「承知した! 我の命を救ってくれた恩義がある。今後、我の力で楓殿の役に立とう!」
シグルドはそう言って、楓の荷物を勝手に掴み、スタスタと歩き出した。楓は彼の強引さに辟易しながらも、雑居ビルの中にある自身の事務所へと彼を案内した。
― 楓の弱点と善意の暴走
「どうぞ、座って—…って、あ、ちょっと!」
楓が案内した事務所は、書類の山と、コーヒーの空きカップ、そして事務用品が所狭しと散乱していた。新米行政書士として忙殺されている楓は、几帳面な性格に反して片付けが苦手という、致命的な弱点を抱えていた。
シグルドは、その光景を見て眉をひそめた。
「楓殿。我がギルドの『法律の師』の事務所が、これではいけない。秩序を司る者の空間が乱れていては、知識も力も半減するだろう。」
「あ、すみませんシグルドさん! 本当は片付けたいんですけど、行政手続きが立て込んでいて……。でも、書類は個人情報もあるので触らないでくださいね。」
「個人情報? わからぬが安心してくれ、触りはしない。助けられた恩義は、役務で返そう!」
シグルドはそう言うと、楓が制止する間もなく、散乱した書類と物を指差した。
「我がギルドの第一任務、事務所の整理整頓、開始!」
楓が「何をするの!」と叫ぼうとした瞬間、シグルドは異世界で修得した『配置魔法』《鑑定》の応用スキルを発動した。
一瞬の光とともに、散乱していた書類や事務用品は、あるべき場所へと完璧に収納された。
「えっ…噓、一瞬で…? 何これ……?」
楓は目を丸くした。書類は棚へ、ペンはペン立てへ。確かに事務所は整理された。
しかし、シグルドの能力は「不要なものをゴミ箱に入れる」という分別を無視したため、机の隅には、大量の紙くず、空き容器、そしてシュレッダーにかける前の機密書類が詰まった箱が、一つの巨大な山として積み上げられた。
シグルドは得意げに笑った。
「フン。これは我の『力』の一部だ。だが、まだ汚物が残っている。このゴミは燃やして消滅させるよう!」
楓は青ざめた。ゴミ山の中には、個人情報が含まれた書類や、燃やしてはいけないプラスチック類も混じっている!
「ま、待ってください、シグルドさん! ゴミは分別して自治体のルールに従って出さなきゃ! あと、ここでは燃やしちゃダメです!」
―火災報知器と消防車
楓が制止よりもシグルドの魔法が発動するほうが一歩早かった。彼の純粋な善意と日本での常識の無さが、最悪の形で結びついた。
シグルドはゴミの山に魔力を集中させ、『燃却(バーン)』魔法を発動させていたのだ。
ボッ!
ゴミは一瞬で高温の炎に包まれた。ゴミは塵一つ残さず燃却され、炎は消えていった。確かにゴミは消滅した。だが、その一瞬の炎は天井に届いいた。
「火災が発生しました」
ピィーーーーーー!
けたたましい火災報知器の警報音が鳴り響き、直後にスプリンクラーが作動、事務所中に水が降り注いだ。
「ええええええええええっ!!!」
楓は大切な書類を抱えて絶叫。シグルドは「燃却は終わったのに……」と水を浴びながら首を傾げる。
ウー!ウー!ウー!
近隣の通報で、すぐに消防車のサイレンが近づいてきた。
びしょ濡れになった楓は、水浸しの床に崩れ落ち、シグルドを指差して、半狂乱の形相で叫んだ。
「シグルドさあああああああん!! あなた、冗談じゃなくて本当に異世界人なのォォォォ!? ゴミを燃やしたら『廃棄物処理法』違反! 建物内で火気を使用し、消防設備を作動させたら『消防法』上の管理責任を問われるし、この水浸しは『民法』上の損害賠償請求の対象になり得ます! このままじゃ事務所、潰れるゥゥゥ!!!」
楓の絶叫は、彼女が抱えていた行政書士としての秩序と常識が、シグルドの常軌を逸した『力』によって、完全に崩壊した瞬間だった。
シグルドは、消防隊員が事務所になだれ込んでくる中、びしょ濡れになりながらも、悟ったような顔で楓に言った。
「…楓殿。わかったぞ。この世界では、困り事の解決よりも、『法律を守ること』の方が、遥かに難しい難関クエストなのだな。」
楓は涙と水でぐしゃぐしゃになりながら、シグルドを睨みつけた。
「難関クエストなんかじゃない! 犯罪案件です! もういい、あなたを野放しにしたら、この国が滅びる! 私が厳しく管理します!」
こうして、楓はシグルドが「異世界の常軌を逸した力を持つ存在」であることを認識し、彼のビジネスパートナーとして、命懸けの使命感を抱いたのだった。
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