第31話 危険地帯の退路(前)

 ライダージャケットの男がもがきながらポケットに手を入れた。


 この状況、助かりたいなら『殺す』か『何もしない』かの何れかを選択する。こいつは『殺す』方を躊躇なく選択してくるタイプ。



 岬 一燐 も咄嗟に拾い上げていた銃で一発放つと、銃弾は脇腹に命中する。腹を押さえるための手は、折り畳んだナイフと一緒にポケットから飛び出しフロアに転がった。


 とても握りやすく、湖凪 クレハ が持っていたリボルバーと似た大きさ。握ったグリップの底に紐を通すためのランヤードリングが取り付けられていた。



 フロアに落ちたナイフを取り上げて、腹を押さえる手の上から踏みつけるように何度も蹴った。



「右折するぞッ!」ワンジェンが大声を上げると右側のアシストグリップを握り、ストンピングを繰り返す。



 岬 一燐 は、谷山 国士 に電話をしながら、フロアに転がる男に定期的に蹴りを入れて、変な気を起こす芽を踏み潰しておく。



「岬ですッ、襲撃を受けて逃走中、現在、、、」ワンジェンを見た。

「環状線だッ 一ノ橋からループする!」

「環状線に向かい、一ノ橋からループしますッ」

『無事かッ?』

「ワンジェンもオレも無事ですッ、襲撃犯の一人を捕らえました」

『分かった。谷町方面に向かうんだ!』

「ワンジェン! 谷町方面だッ」


「二人乗りのバイクで、、、一人はバイクで逃げましたッ」

『追って来ているか?』

「雨で視界が悪く高速に上がらないと何ともッ」

『分かった。直ぐに応援を出す、止まんじゃねーぞ!』


「了解。 ワンジェン、止まんなって!」

「ガソリンは満タンだ、心配すんなッ」


 高速道路へ上がると首都高速道路C1を外回りにハンドルを切った。幸い車は流れていて、割れた窓からありったけの雨が吹き込んでくる。この雨で視界が悪くても急襲するのは至難だろう。


 雨のせいでタイヤのパターンノイズに濁音が混ざって、普段より音割れの酷いビートをかき鳴らす。バイクで襲撃するような馬鹿Bratは、ぶっ叩くように踏みつけろってことさ。もしバールがあるなら相手はフルフェイスなんだ、気にする必要なんてない。ぶっ叩けばいい。

 

 男が他に武器を隠し持っていないか確認し、結束バンドで手足を縛った。


 スマホが鳴り、仲間が環状線に入ったと連絡がくる。武装した構成員が4台に分譲してやって来るなんて、邪馬台区の住民ならネット内だけの別世界のニュースさ。


 適当な待避所に車を寄せて降りると、応援に来た連中には本部の怖いおっさん達も混ざっている。谷山 国士 はいなかったが、町山 キミコ が同行していた。


 本部の怖いおっさん達がライダージャケットの男を車から引き摺り下ろす間、町山 キミコ の乗る車に移って状況報告、連絡、そして帰りの足を相談する。


「銃を取り上げて一発撃ちました。後、これが予備の弾で」

「昔警官に支給されていた銃ね。予備の弾まで持ってきてるだなんて」


 金属製の弾薬は貴重だと聞かされていたので意外な手土産となった。谷山 国士 から渡されていたタマ無しになった トカレフ TT-33 を預かるというので返却した。


 町山 キミコ が言うには政府が回収した拳銃を持っているということは、政府関係者が横流ししている可能性が高いそうだ。スーチ・ルーチが勢力を伸ばしているのは政治的な理由もあるだろうし、買収されている者がいても不思議ではない。



 湖凪 クレハ が持っていた銃とロゴが同じだった事から想像してしまっていた。恐らくも警察官へ支給された拳銃。祖父が警官ではなく、ギャングと言っていたのに持っているということは、やはり本当はマフィアの構成員。


 それも敵対しているスーチ・ルーチの。



 邪馬台区の他人の墓から出てくる時点で奪ったものではない。どうすべきか? それは、もう一度会って話さなければいけないと頭をもたげる。


 その後、見張っていたアパートは他の若頭の部下達が襲撃するという。これで抗争は表面化する。今のままでは何れ消耗する。ギャングを束ねたような新興組織では海外にも拠点がある古くからあるマフィア組織に到底及ばない。



 ワンジェンと乗ってきた車は、本部の者に処理を任せた。町山 キミコ とは向かう先が違うため、他の車に乗せて貰い事務所に戻ることとなる。車中、区営住宅の隣人の言葉が雨音に混ざって 岬 一燐の耳の奥にノイズとなって障る。



 〝お前、死ぬか、殺すかしねーと、殺されるぞ〟



 死ぬのも殺されるのも御免だ。だから殺さなければ。それなら一体、誰を? 今、必要なのは逃げることだろう。


 それが最善なのは分かっている。でもそれが出来ない、行くあても先立つものも、何もない。


 まるであの二人のようだ。


 ザーーーッ ザーーーッ アスファルトに溜まった雨水がホイールハウスに当たる。そのノイズが湿った音のまま耳の奥にまで入り込んでくる。



 〝殺してやるッ、テメーッ! 助けてッ、やめろーッ、〟



「……、やめてくれ」



 〝死にたくない〟



「ん? 今何か言ったか? 雨の音うるせェよな」ワンジェンが返した。

「あぁ、いや、腹が減ったなぁって」深呼吸をして前を見る。

「ここんところ、おにぎりとパンばっかりだしな」



 二人は直接、事務所へは向かわず、近くの中華料理店の前で降ろして貰うことにした。雨はしとしとと、大人しくなってきている。食べている間にやむのかも知れない。


「なに食うかなぁ」とワンジェンがメニューを見ている一方で、岬 一燐 は、ラーメンに餃子、チャーハンだと決めていた。



 狭い車で三日も過ごせば、ストレスと披露で幻聴が聞こえても不思議ではない。一時的なものだと考えるように意識したが、は倫理的ジレンマからきた症状などではない。


 如何なる理由があったとしても 岬 一燐に情状酌量の余地はない。ギャングに加担する者は社会の敵に他ならないからだ。非合法というのはそういうものでしかない。


 結局、警察組織とマフィア組織に追われる身となっている。警察組織に捕まれば命は助かるだろうが、仮釈放無しの終身刑が言い渡される。抗争で死を選ぶより終身刑の方が幾分もましだろう。



 〝くたばるまで、50年とか60年だぞ!

  ゴミ生活より長くなってんのは前借りして革靴買ったからかよ?〟



 長生きしないなら娑婆しゃばで死ぬべきだ。長生きするのならさっさと娑婆で死んでおくべきだ。


 もう答えは出ている、いい死に方はしないと。




「久しぶりの飯だったから、美味かったなぁ」

「食った食った、行くか、一燐」


 ワンジェンが会計をする間、ガラスのドアの向こう側では、雨粒がアスファルトの窪みで起こす波紋が伸びやかな輪になりはじめている。


「おし、行くぞ」

「ワンジェン、オレ、ちょっと便所行ってくる」

「何だクソか?」

「あぁ、クソだよ」岬 一燐 は笑って便所に向かった。


「先にいってんぞーッ」

「わかったッ」少しだけ振り返って右手を上げた。



 雨はもう上がっていると言っていい。少し明るめの曇り空が数時間後の雲行きを暗示している。



 ダンダンッ  ダンッ ――――



「悪いがこっちもビッグ流してる最中なんだよっ」



 〝クソしてる最中にクソかよ、クソがッ〟



「ふーッ、食い過ぎたかな」用を足した 岬 一燐は店を出た。


 路地裏から抜けて向かう先の歩道では晴れ間が見えている。来た道とは見た目に分かる明暗。反対側はあと少し雨が続くだろう、けど何れは晴れる。



 相変わらず街は五月蠅い。どうせ雨音くらいじゃ掻き消せないのは何時ものこと。もう雨が降らないのは分かっていても足を急がせるのは、ワンジェンに追いつくためだ。



 〝そこのアパートの駐車場から抜けてショートカットだ〟



「きゃーッ」

「うぁわ、救急車だッ! 誰かー!」

「危ねぇッ! ここから逃げようッ」

「ひぃぃーーッ」



「なんだ!?」岬 一燐 は足を止めて曲がり角から通りの先を覗き込んだ。



「ワンジェンッ!」




つづく

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