第22話 頭上の逃げ道と足元の道標(前)

 藤堂塗装工商店は、この新田代駅を越えたすぐ先。


「あそこの角の、曲がった先だよ」

「案外、遠かったな」

「あのさ、私、ちょっとトイレに行きたいんだよね」

「さっきコンビニあったよな、オレは先に行って様子見てくるよ」

「あんまり先走らないでね」


 岬 一燐 は曲がり角に立って左側を見た。湖凪 クレハ が向かったのは目と鼻の先にあるコンビニ。


 正面を向き直し、路地に入ると少し先に駐車場がある。その先に足を伸ばしても建設中のマンションに空いた土地、それに民家が数軒。


 こんな狭い区画なのに、それらしき建物は見当たらない。だが、どう見ても電信柱の住所表示は目的地を主張しているのだから、ここで間違いない。



 角の小さな空き土地の前に自動販売機だけが設置されている。


 その明かりの前で 湖凪 クレハを待つことにした。ぼんやり光ることで精一杯のは、釣り銭切れもアピールをしている。


 岬 一燐 も「使えないままか?」と自販機にぼやくと、何気に問い合わせ先の表示に目がいった。そこには『藤堂塗装工商店』の表記と、問い合わせの電話番号が記載されているのを目にする。


「えっ、これ、」岬 一燐 が声にした瞬間だった。


 サスッ バチンッ ヂヂヂヂッ ――――




「またこのガキか。 車に乗せろ。お前らは女が現れるまで張り込みを続けろ」


 男達は、岬 一燐 からテーザーガンの針を引き抜き、手足を結束バンドで縛る。顔には袋を被せると数名で土嚢袋でも引き摺る様に連れて行く。


 梅酒とコーラを持った 湖凪 クレハ が曲がり角の所までやって来ていた。


 複数人の気配を察したのか、こっそり覗く様に曲がり角の先を見ると、数名の者達が 岬 一燐 を車に押し込めている。


 寡黙になったままの自販機は、指示をしている男の顔をぼんやりと照らし出す。


 この角で見張るのは危険と感じた 湖凪 クレハは、通りの反対側、道路を挟んで少し離れた物陰から自販機の照らす先を睨み続けた。



 黒塗りのバンが一台、路地を抜け出て走り去る。



「おい! どうなってんだよ!」痺れが取れた 岬 一燐ががなり立てる。

「大人しくしてろ! 暴れるとスタンガンを使用する」



 〝頭に何かを被せられて目は見えない

  後ろ手に何かで縛られている……

  足も自由がきかない〟



 相手が誰だか、どれだけ時間が経ったのか、何がどうなったのかさえ、まるで分からない。暴行される恐怖が心拍数をレッドゾーンへと押し上げる。


 車が停車すると、押し出される様に降ろされて両脇を抱えられる。そして背中に突きつけた何かで小突いて歩かされる。足を止めさせられるとお次はエレベーターだ。


 少し歩けば扉が開いた音がする。椅子に座るように指図すると、肩を押さえつけられて見えもしない椅子の座り方を躾けられた。


 頭に被せられた袋を剥ぎ取られるとその眩しさに目が眩む。


 正面、少し離れた戸口には、スーツを着た男が二人立っている。



 真後ろから低く乾いた声がした。


「オレはお前みたいなガキが、犯罪に走るのを見ると胸が痛む」


 男が椅子を引き摺って正面へ回ってくると、向かい合う様に腰を下ろした。


岸田きしだ 嘉一かい …… 」

「ご名答だ。褒めといてやる。お前の名前は?」

「ユム、デミ、」

の他に、このカードケースにICタグが3枚入っている」


 ユム、デミル・コカのICタグをチラつかせている。


「たまに付け替えるんだ」

「吉田 隆史、岬 一燐、安田 浩二、お前の口から聞きたい」


「岬一燐だ」


「他の三人はどうした?」

「世田谷区の駅に向かう途中で絡んできたチンピラのだ」

「得意のバールを使って奪い取ったのか?」

「まぁな」


 岸田 嘉一 は「こいつ等を調べてこい」そう言って4つのICタグをカードケースに仕舞うと、後ろの二人に見えるよう顔の高さに持ち上げた。


 後ろに立つ一人が 岸田 嘉一からカードケースを受け取り部屋を出て行く。廊下で誰かに指示する声が聞こえると、その男は直ぐに戻ってきて、また所定の位置で立っている。


 威圧感を抑えきれない眼光、頬の深く刻みついた皺が歪む。


チャン ユエ はどこにいる?」

「誰? チャン・ユエ?」

「お前に何て名乗っているかは知らねぇが、女は今何処だ?」

「何処も何も、そんな女は知らない」

「ならお前はあそこで何をしていた?」



 湖凪 クレハ というのは偽名だったのか? その思いが込み上げて苦味さえ感じさせる。吸い込んだ息で胸に押し込めようとしても、炭酸飲料を飲んだ後のゲップを我慢した時と同じでスッキリとしない。


 ノックもせずに部屋に男女二人が入ってきた。


 男の方は、岸田 嘉一と同年代くらいに見える。背丈は 岬 一燐より少し高いくらいで坊主に近い短髪だ。ネクタイはヨレずにいて、首輪の紐にしては不自然なくらい未使用。だからコイツが偉そうだというのは堅い。


 女の方は黒い髪を後ろに一括りにし、パンツスーツ姿。恐らく30半ばから後半、清楚で穏やかな雰囲気。


 ここで明らかに場違いな格好をしているのは 岬 一燐、ただ一人。



 女性が優しい声で話しかけてきた。


「一燐くん。あなたは何故、拘束されているのか理解できていない、そうよね?」

「へっ…(ふぅ) 皆んな、同じスーツで、どっかの広告か何かで見たような」

「誤解はある様だけど、理解は出来そうだから安心した」


 視線を外さずにその様子を見ていた 岸田 嘉一が口を開いた。


「お前、俺たちが警官だって分かってないだろ」

「あんたが人身売買やってる悪党だってことくらいしか知らない」


 周りの者達が一斉に失笑した。


「俺たちが泳がせていた張と伊坂を誰かが殺害した」岬 一燐 を指を差す。

「一燐くん、チャン・ユエは、偽造ICタグに纏わる犯罪組織の一員なの」


「女の居所を俺たちは知りたい」そう言ってポケットからタバコを取り出した。

「岸田さん、ここ禁煙です。吸うなら外でどうぞ」

「仕方ねぇなぁ」



 女性に窘められて 岸田 嘉一が出て行くと、この女性と一緒に入ってきた丸刈りの中年男が口を開いた。


「君は重大な犯罪に加担している。知らなかったとしてもだッ」

「知らないのに犯罪なのかよ?」


 女性は目線の高さを 岬 一燐に合わせて顔を近づけた。

「一燐くん、あなたが利用されているなら、私達も助けたいと思っているの」


 目の前で話されている事が、どこか上の空で身体の内側のどこにも噛み合わない。まるで異物の様に感じ、吐き出してしまいたい。


 しかし、明らかに目の前にいるスーツを着た者達の髪型やベルト、それに革靴は上場会社に勤務するサラリーマンのそれでしかない。


 まるで 湖凪 クレハが、組織の末端の口封じをして回っているかのように錯覚する。それじゃ、町山 キミコは? それにスラブ系のあの男は何者なんだ!



 もし、あの黒髪の女性もこいつ等に泳がされている者の一人だったとしたら、途中で姿を消したのは 湖凪 クレハが始末した可能性だってあると言うことになる。


 もしそうならスラブ系の男と同じ組織の者なのだろうか?


 ならば、ロシアンマフィアが口封じをして回っていると考えるのが順当ということになる。



 〝妄想だ! 分からない、いや分かっても……、未だ真実じゃない〟



 だが、目の前のスーツ達は、岬 一燐 の知りたいことには答えない。ただ情報を吸い上げようとするだけで、ギブ&テイクなどはない。


 ただ一方的に吸い尽くしたら、ガラは務所だ。



「一燐くん、チャン・ユエの潜伏先を教えて欲しいの」

「知っていることを話すから、一つ教えて欲しいことがあって」

「話せるならね」


「二日ほど前、ギギラミーの近くで女の子が刺された」


 女性は小さく頷いた。


「黒髪をツインテールにした、右上唇に2つホクロがある子のこと?」

「そう、その子が突然、スラブ系の男に刺された」

「その子は、山岸 みゆき。搬送先の病院で死亡が確認されているわ」

「なぜ刺されたの? 何をしたの? それを教えて欲しいんだ」


「それは捜査に纏わるから教えられないの」


 女性は、丸刈りの中年男の顔を見た。


「岬君、我々の質問は女の潜伏先と連絡方法だ!」男は少し声を大きくした。


「……、刺された理由くらい教えてくれてもいいだろ!」

「君は被疑者という立場で、ゲストではない! 君はチャン・ユエに、スケープゴートにされていると理解しているのか?」



「一燐くん。これ以上、罪を重ねないためにも、ね」



 もう大丈夫だよと寄り添う様に手を広げ、ウサギが巣穴から顔を出すの窺っている。



 〝罪ってなんだよ、もう安心だよとでも言いたいのか?

  そんなことよりコイツらを追い払ってくれよ!〟



 岬 一燐 は、待ち合わせ場所として、スラブ系の男が居たアパートを教えた。丸刈りの中年男と、優しかった女性が部屋を出て行く。



 警察官達が待機している小部屋で丸刈りの中年男は、岸田 嘉一 と女性に作戦の指示をする。


「岸田は見張らせている部下を拾って潜伏先のアパートで合流」

「ああ分かった」

「藤崎、君はここに残って被疑者の監視と他の情報を取れ」

「分かりました」


「あのガキは父子家庭だそうだ。母親の愛情に飢えている」


 岸田 嘉一 はそう言って、部下から受け取った 岬 一燐のICタグを女性に手渡した。


「あんな大きな子がいる歳ではありませんけど」

「我々がやるより、君の方が話せることもあるだろう」

「分かりました。出来るだけ吐かせるようにします」



 戸口に二人を残したまま、部屋の外では数名の足音が慌ただしく響く。車が2台、砂利道を走る音を立てて、あのアパートへ向かったのだと教えてくれる。



 ここが何処かも分からない。パーティションを畳んだ大会議室? それともイベント会場の一角なのだろうか? 出て行った車の音の聞こえ方から、ここが4~5階くらいなのだろうと感じ取れた。


 それに、ガラスを割って連行された警察署内とも雰囲気が異なる。



 岬 一燐 の考えが及ぶのはそこまで。だから決して『湖凪 クレハ』という名前は出すべきではない。


 あなぐらの外へ引き摺り出されたとしても ――――




つづく

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