初めての外出
獅子皇国の夏は短く、秋もそこそこのときに、冬が足音を立ててやってくる。庭を散策していたアンジェリカも、日に日に部屋にいることが増えていった。
「寒い……」
「この辺りは白狼王国と変わりませんね。冬の長さはほとんど変わらないようですから」
「そうね……」
与えられた服も、だんだんと温かいドレスが増えていき、メイドは慌ただしくもあちこちに簡易ストーブと薪を設置して歩き回るのをよく見るようになった。
ユールは魔術を行使し、ストーブの熱をなるべく逃がさないように努めてくれているが、それでも隙間風が吹いたらもう体温を奪われるような日々がはじまった。
メイドが用意してくれたクラムチャウダーをすすり、かじかんだ手を温めている。
「唯一冬が到来してよかったことは、これでしばらくは休戦だということでしょうか」
「……そうね」
冬の厳しい獅子皇国も白狼王国も、どれだけ戦争の季節だとしても、冬期には決して戦争を行わなかった。それをしたらたちどころに人が死ぬからだ。戦争で死ぬのではなく、無理に雪の積もる中戦争をはじめたら、凍死者が後を絶たないからだ。
それにアンジェリカはほっとしつつも「ですが……」とユールが告げる。
「わたくしは雪解けの季節になったらなにか動きがあるかと思います」
「やっぱりそう思う?」
「残念ながら。陛下がなにをお考えなのかはわたくしも全部は謀りかねますが……獅子皇国に未だに世継ぎが生まれてない今が、またとないチャンスだと思っても仕方がありませんから」
カラスで、念のためアンジェリカとユリウスの関係は報告し続けているが、魔術師団からは相変わらず【殿下と仲睦まじくするように】という曖昧な内容のものしかやってこない。
(これだと本当にただの政略結婚なのに……本当にそれだけ?)
アンジェリカは数年単位で、アルファとして獅子皇国の後宮を乗っ取る、ただそのためだけに仕込まれてきたのだ。結果が惨敗だったが、それをそのまま放置している現状はおかしいのだ。
それにユリウスは、このカラスの内容を知らないはずにもかかわらず、未だにアンジェリカを孕ますことがない。避妊薬を飲まないように言えば、彼女は発情期のときに間違いなく子を成すが、そうする気配がない。
ユリウスと両親の確執や、かつて後宮で起こった悲劇を思えば、ユリウスがアンジェリカに対して手をこまねくのはわかるが。それでも彼は獅子皇国の皇太子であり、世継ぎをつくるのは責務なのに、それをおろそかにするんだろうか。アンジェリカはユリウスの責任感については薄々把握しつつあるからこそ、現状の彼の行動に納得していない。
アンジェリカが俯いている中、ユールは首を振った。
「こればかりは、春にならなければなにもわかりませんし、憶測で物事を悪く捉えても仕方ありません。とにかく、今晩も温かくして過ごしてくださいまし。ホットワインを用意しますか?」
「ええ、お願い」
「殿下と飲まれますか?」
「……そうね、あの人にユールはなにか仕込む?」
一応アンジェリカは尋ねるが、ユールは首を振った。
「媚薬を盛って姫様に無体を働かせる訳にはいきません。そもそもあの方、魔術は一切効きませんから、わざわざわたくしが喧嘩を売る必要はございません」
「そう、ありがとう」
「……正直申し上げますとね、姫様」
ユールはアンジェリカのほうを見て、複雑な顔をした。
「わたくしは魔術師団所属ではありますが、魔術師団や白狼王国の王族の方よりも、獅子皇国の殿下のほうが、よっぽど姫様を大切になさっていると思います。それが番だからなのか、姫様がいいからなのかは、さすがにわたくしもわかりませんが。本当に殿下のことを愛されるようでしたら、わたくしは祖国を裏切ってもようございますよ?」
「……ありがとう、ユール。でもあなたの立場がつらくなるのはいただけないわね?」
アンジェリカの言葉に、ユールは首を振った。
「わたくしは……今の姫様のほうが楽しそうだと思っただけです。わたくしのことは、どうぞお気になさらず」
「……そうね、考えさせて」
アンジェリカはそう言った。
****
その夜、アンジェリカの部屋を訪れたユリウスは、アンジェリカがユールに頼んで温めてもらったホットワインを飲みつつ、外を眺めていた。
窓の向こう。分厚いカーテンで覆った先は、だんだんと冬の季節を思わせる空の色だった。雲は分厚く、もうすぐ雪が降り積もるだろう。
「だんだん冬が近付いてきて、体の具合は大事ないか?」
「ご心配には及びません。祖国と冬の感覚は同じですから」
「そうか……そろそろ、オーロラの季節だが」
「そうですね」
秋から冬に切り替わる頃、獅子皇国と白狼王国の空には、オーロラがかかる。あまりに寒い冬なのだから、せめて夜の美しさくらいは楽しみにしたいところだが。そんな不器用な話をしはじめたユリウスに、アンジェリカは困惑をした。
「それが……なにか?」
「父上たちから許可を取った。外にオーロラを見に行かないか? この辺りではなかなかオーロラをゆっくり見られる場所もないから」
「それは、まあ……私は構わないのですが、よろしいんですか? 後宮に入れた妃は、そう好き勝手に外に出ないものでは……」
後宮の存在しない白狼王国の出身ではあるが、後宮の存在自体はアンジェリカも把握している。子を産み育むための場所であり、皇帝が世継ぎをつくる職務を全うする場所。そしてそこに呼ばれた妃たちはよほどのことがない限り、外に出る自由は存在しえない。
そもそもアンジェリカは政略結婚をした身だというのに、そんなに自由に外に連れ回していいものなのか。アンジェリカは困惑して尋ねると、ユリウスは頷いた。
「だから許可取りに奔走したのだ」
「……どうして私を外に出そうと思ったのですか?」
「この時期になれば、妃の死因第一位にかかるものが多いからだ。後宮を任された者は、大概それに苦慮する。俺の代で後宮を解体するにしろ、まだ俺は即位ができる立場でもないからな」
「妃の死因第一位って……」
「憂鬱病だな。日の日差しを浴びることができず、屋敷内に篭もりっきりになった妃たちは、ほぼこぞって憂鬱病を発症して亡くなっている。俺の母上はどうだったかはわからないが……軽い憂鬱病になっていたのかもわからない」
「……なるほど。それは理解できます」
憂鬱病は雪国にとってもっとも治療困難な病であり、それにかかるとほぼ全員臥せってしまうため、その都度予防する方向で動くしかあるまい。
温かくし、よく寝て、物事を悩まない。いきなりの突飛過ぎる誘いにも理屈が通っていたのには、少しだけアンジェリカもほっとした。
「どうなさるおつもりですか?」
「ソリを使ってオーロラを見に行く。今の時期ならば、そこまで雪も深くないから、いい場所で見られるだろう」
「贅沢な話ですね。でも、こんなことで皇族を動かしてよろしかったんですか?」
アンジェリカは話を伝えつつも、困惑気味に尋ねた。自分は人質のはずなのに。ユリウスがなにを考えているのか、彼女は今でも掴みかねている。
ユリウスは薄く笑って、アンジェリカの髪をひと房手に取って唇を堕とす。
「かまわん。憂鬱病になられるよりはよっぽど。なによりも」
「はい?」
「貴様がどうしたら笑うのかが、俺にはよくわからない。せめて自分がいいと思ったものを見せたいと、そう思ったまでだ」
「……ときどき、殿下は子供じみた物言いをなさいますね?」
「駄目か?」
「いいえ」
アンジェリカは番になってから数ヶ月、彼に惹かれている自覚はあれども、彼の言葉をそのまま受け取っていいのか悩んでいた。そしてユリウスに指摘された通り、彼の前ではアンジェリカはペタンと仮面が貼り付いたかのように、表情が変わらない。
今までこうあるべきだと教育を受けてきたのに、そうなれない自分。アルファとして同じアルファを屈服させることができなかった自分。そしてそのアルファの保護なしで今は生きることさえ困難で、発情期のときはどれだけ抑制剤でフェロモンを抑え込んでも、彼女は気が高ぶってなにも考えられなくなる恐怖。
本当に憎くて憎くて、殺してやりたいと思ったし、実際に何度も憎悪も嫌悪も向けたのに。それをいともたやすく受け入れられて、彼女は途方に暮れている。
(私、あまりにもチョロ過ぎて。そんな簡単に気持ちを捧げていいものなのかしら)
それだとユリウスが注いでくれるものと釣り合わないほどに薄っぺらく思え、結局はアンジェリカは彼に対してなにも言うことができずにいた。
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