終末都市ライフは血が渇かない距離でお付き合いしましょう

星部かふぇ

第1話 大学が燃えた

「あーあ、ついに大学も狙われちゃったか。もうこの都市に教育機関無いんじゃない?」


 大学の建物がごうごうと燃えて崩れ落ちる様子を眺めながら、ネモは俺にそう問いかけた。

 誰が呼んだか終末都市、シナバー都に位置する唯一の大学が目の前で失われようとしている。


「サーペンティン大学はここで閉校、か。生徒が俺とネモしかいなくて、よくここまで持ったよな」

「特に護衛も置いていなかったし、周りから見ても立派な建物だから、いつかは破壊活動の餌食になると思っていたけれど……。こうやって実際に目にすると、結構悲しいものね」


 教授は一人。生徒はネモと俺、トリスト・ユーマのただ二人。

 そんな片手で数えられる人数で大学なんてものは運営できない。


 俺たちがやっていたのは、「かつて人類が繁栄していた時代の大学生」というシステムの模倣。


 受けたい授業を選択する(ひとつしかない)、授業がある日に大学へ通う(行きたいときに行く)、しっかりと勉強をしてテストに備える(過去一度もテストは開催されていない)。そして、単位を取得する(単位とは?)。


 この世界はヒトの総数が減少し、社会がきちんと回らなくなって徐々に停滞していった。大学という仕組みどころか、教育そのものが失われてしまったらしい。


 俺たちは変わり者の教授に声をかけられて、このサーペンティン大学という場所で「大学生」というものをやっていたが、それも今日で終わりだろう。


「私、こう見えて勉強っていうの、好きだったんだ」

「まぁ面白かったよな。終末都市での生き方とか実用的なことも教えてくれたし」

「それも確かに役立ったけど、私はテツガク? 心の在り方の授業のほうが楽しかった」

「あー……何だっけ? 教授の口癖」


 ネモは俺の前にやってきては、その紫色の髪の奥に見える白い瞳を輝かせる。



「『明日を生きたいならヒトの役に立て』! 『死にたくなったらトモに殺してもらえ』!」


「聞いたら思い出し――」



「『無気力はこの都市に蔓延する病、足を止めたらその足は腐るから歩き続けろ』!」


 ネモがそう言い切ったと同時に、建物の上の方から強烈な爆発音が聞こえてきた。

 その直後、ネモのアイデンティティである片目隠れが爆風により捲られ、淡い紫の瞳を捉える。


 やっぱりネモの目は綺麗だ。こんなときに見惚れるくらい美人で本当に――。



「わあああああああああああああああああああ!!!」



 いくら教授の元で学んだとはいえど、それ以上に俺達には知識、いや常識が欠けていた。

 火災現場の近くに行ってはいけない。火傷や爆発などに巻き込まれる危険性があるから。

 でも俺たちはかなり近距離で被害状況を確かめていた。そこに危機感がなかった。


 ――あまりにも当たり前すぎて、自分たちの手に負えるものだと勘違いしていたのだ。


「ぐわっ⁉」


 勝手知ったるなんとやら。

 爆風を間近で受けて真正面から衝突してきたネモに、そのまま俺は押し倒されるように倒れる。

 ネモを抱えるような形で受け止めて、それ以上俺の方から動こうとはしなかった。


「あちゃちゃ……そっか、爆発のこと考えてなかった……」

「ケ、ガ、ハ」

「へ⁉ 何⁉ もう一回大きな声で言って!」

「怪、我、は、ありませんか!!」

「怪我! ない! クッション役ありがとう! トリスト!」


 人をクッション役なんて呼びやがって調子の良い奴だぜ。


 だが、それはそれとして自分の体の上に女性の体が乗っているというのは、そもそもヒトがいない終末都市において中々ない経験で。ちょっとした思考の乱れだとか、今という状況の忘却に繋がる。


 ああ……やっぱヒトって温かいな。いっそこのままで――いや、違う、熱い。あ、そうだ火事現場。


「ネモ、できるだけ早くどいてくれ。そして建物からもっと距離を置こう。次また爆発でもされたら困る」

「あ、あた、確かに! おけおけ、すぐに移動するから」


 慌てたネモが俺の膝を蹴飛ばしながら立ち上がった。そしてすぐに手を差し出してきて、俺は優しさに甘えてその手を取る。ぐっと力を込めて立ち上がり、ちょっとよろけたネモを笑った。


「体幹は結構あるほうなんだけどなー」

「ふっ、あんま気にすんな。ていうか本当に怪我ないの? 火傷とか、どっか燃えてたりしない?」


 俺はふとネモの服を見やる。

 白を基調としたゆるめのパーカーに、灰色のシャツ。黒のショートパンツ、空色の厚底のスニーカー。空色の大きめのバッグ。全体がふんわりとしたシルエットをしている割には、どこも焦げていなさそうで俺はほっと胸を撫で下ろした。


「あはは、大丈夫だって。そっちこそどうよ? ズボンのお尻のあたりに穴とか空いてない?」


 そう言われるとドキッとして、自分のお尻のあたりを触って確認するが、多少土がついていた程度で心配したようなことは起きていなかった。


「空いてねぇよ。はぁ」


 少し離れたところまで移動して、徐々に火の手が収まっていく様子を眺めていた。

 黒く焦げた壁、周りが崩れて骨組みだけになった屋根部分、空に残った黒煙のもや。


 居場所が消えた、と同時に教授も消えた。多分、死んだわけじゃない。きっとどこかで生きている。何か不都合があって俺たちの前に現れないだけで。


 ネモは無言で炎を見つめていた。


 炎が激しさを失えば失うほど、俺たちの中に不安が増えていく。気づいていく。忘れないように刻まれていく。

 先に口を開いたのはネモだった。


「これってさ、足を止めてることになるのかな」

「まぁ、そりゃ、止まってる……」


 と言った後でネモの言わんとしていることに気づいた。

 教授の言葉である『無気力はこの都市に蔓延する病、足を止めたらその足は腐るから歩き続けろ』になぞらえていると。


「いや、これからじゃないか?」

「これから? それは……」


「今の俺たちは別に、無気力で足を止めてるわけじゃないだろ。結構ショックなことが起きて、混乱してるだけで。ほら、教授だって休息も時には必要とか言ってなかったか?」


「確かに、言ってた気もする……」


「これから、そう、明日とか。このつらいことを乗り越えて、明日誰かの役に立てたら、俺たちは無気力の病にかかってない証になる。……多分、教授はそういうことを俺たちに伝えたかったんじゃない? 少なくとも俺はそう、信じる」


 ぼんやりとしたままだった、名前のない気持ちが少しずつ形になっていく。

 口から勝手に出た言葉に嘘はない。どちらかというと本心だろう。


「明日かぁ……。仕事とかしたら、それは役に立ったってことになるかな」

「そうだろ。ネモは十分人の役に立てる仕事ずっとやってるじゃん。シナバー都全体を爆速で駆け抜ける運び屋ネモ! インフラがボロボロの街で最速ってカッコイイよな」

「あははぁ、そうかな」


 はにかむネモに胸の奥が少しばかりドキっとする。

 可愛い系にも綺麗系にもなれる美人なんだよな、ネモ。


「そういうトリストは明日どうするの? 大学無くなっちゃったし、どっか移動したりする?」

「俺には琥珀アパートがあるからな……多分。どこかに行ったりはしないさ」


 俺の生活は大学と家を行き来するだけの日々だった。

 家は親の遺産であるボロアパート。家賃収入を得ていてもそれだけでは生活できないのが現状。


 大学という居場所を失った今、俺の手元にあるのは琥珀アパートという居場所だけ。


 ネモはもちろん大事な友人だが、運び屋というあちこちを巡る仕事がある以上、一つの場所には留まらない。そんなネモに居場所という役割を押し付けるのは違う。


「そっか。私は相棒のシティサイクルさえあれば十分だなって思えるけど、トリストの大事なものはアパートか。あれでしょ? ご両親の遺産……だったら余計に離れられないね。大学でさえ……ううん、忘れて」


 ネモの言う通りだった。


 モノはモノである限りいつか終わりが来る。俺たちの大学のように悪意によってぶち壊されるかもしれないし、経年劣化でボロボロと崩れていくかもしれない。そんな未来を想像するだけで心をズタズタにされるような気分になる。


 それは嫌だ。


 俺の中にあるのは「これ以上失ってたまるか」という怒りと、「どんな手を使ってでも琥珀アパートだけは保ち続けなければいけない」という覚悟だけだった。


「いいや、大丈夫だ。むしろ決意できたよ。琥珀アパートを守る、直し続けて維持をするってね」

「トリストはそうこなくっちゃね! 私も通りかかったらお邪魔しちゃおっかな、いつもみたいに!」


 何より、琥珀アパートは俺とネモの交流地点でもある。唯一の繋がりを絶たれてたまるか。


「いつでも来いよ。つっても、水くらいしか出せねぇけど」

「水も最近貴重だからね~、有難く頂きます! あ、そうだ。せっかくだしこれあげるよ」


 ネモに手渡されたのは、手のひらと同じくらいの大きさの黒い機械だった。黒い棒のようなものが上方向に延びていて、その横にはボタンが一つ。数字が表示された小さな画面や、上矢印や下矢印がプリントされたボタンもある。


「なにこれ」

「骨董品。トランシーバーってやつ。このボタンを押せば、遠くにいても話せるらしいよ。限度があるっぽいけど」


 繋がりが増えた。大変うれしいことに違いはないが、覚悟を決めた後だと少しダサさが残る。


「へぇ、そりゃいいな」

「だから匿ってほしいときとか、ピンチなときに使うね」

「何でだよ。何でよりによってどっちもやばい状況なんだよ。普通に『明日そっちに遊びに行くね~』で使えよ」

「あはは、やっぱりその使い方が一番だよね!」


 まだ大学は燃えていた。しかし、最初ほど火の手の勢いはなく、中規模の火の塊があちこちにあるくらいだった。


 冷静になった今だからこそ気づくことがある。消火する道具とかあったら便利だろ、と。文明が失われていく一方でしかない都市で、そう都合よく消火する道具が見つかるとは思えないが、探してみる価値はある。


 気づけば辺りは暗くなっていた。見つめ続けた炎の明るさに目がチカチカする。


「もう暗くなってきた。最近早いな。送ってこうか?」

「遠慮しとく。帰りに仕事ないか探すつもりだからさ」

「気をつけろよ。ここら辺も危険だからな。……じゃあ、またな」

「うん! バイバイ!」


 そうして俺はネモと別れて帰路につく。


 沈みかけた夕日がわずかに照らす道を駆け出して、風に掻き消してもらうつもりの独り言を呟いた。


「絶対に、俺の生活を維持してみせる。俺の居場所も、ネモも、琥珀アパートも」



 世界の終わりでも暮らしは続けられる。――それを信じる男が、終末を少しだけ延命させる。

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