第2話 最初のクエスト

[はい]



 選んだ瞬間、視界が一秒だけ真っ白になった。


 まぶたを閉じたわけでもないのに、全部の色が消えて、真っ白なノイズだけが頭の中を埋め尽くす。


 心電図の音も、空調の低い唸りも、全部遠ざかる。やがて、白の中に、黒い文字が浮かび上がった。



【エントリー完了】



 あなたは、人生救済システムに参加しました。


 続けて、いくつもの文字列が、スライドショーみたいに流れていく。



【初期診断】



 氏名:落合昂おちあいのぼる

 年齢:42歳

 職業:無職(リストラ済み)

 資金:貯金100万(早期退職金300万)

 交友:両親なし、妻子なし、友人なし

 住居:家なし(社宅退去命令)

 精神状態:自殺未遂するほど追い込まれ中(臨死体験済み)



 ……これが今の俺のステータスってことか? ウィンドウには、無慈悲なまでに淡々と現状が綴られている。



【評価】



 才能:なし

 資格:普通運転免許

 外見:整形済み、痩せ型(事故で顔面崩壊、一ヶ月の入院で体重激減)

 人間関係:皆無

 社会的信用:0%

 生命力:ギリギリ



 評価はどれもこれも最悪だな。



 ギリギリってなんだ。実際ギリギリだったのは認めるけどさ。


 ため息をついたところで、別のウィンドウが重なるように出てきた。



【初期付与資産】



 資産:100,000,000,000,000円(※使用制限あり)



「……は?」



 桁が、頭に入ってこない。


 ひとつ、ふたつ、みっつ……数えてみる。



 ……百兆円? あまりにも現実感のない数字に、逆に冷静になった。


 宝くじどころの騒ぎじゃない。国家予算を超えてんじゃないか? あまりにも意味がわからない。




【注意】



 この資産は、「自分を磨く」ためにのみ使用できます。


 浪費、依存、逃避、娯楽には使うことはできません。



 全ては、自己研鑽とあなたの人生を救済するために使うものです。


 そのため、救済とは関係ないと判断した場合には自動的に却下されて使うことが禁止されます。


 己を磨くため、もしくはあなたが自己を救済する際に必要であれば、資金使用は許可されます。



 すぐ下に、小さな例が表示される。




〈使用可能な例〉



 ・健康改善のための医療、美容、トレーニング

 ・勉強・資格取得・スキル習得

 ・清潔感・身だしなみ・体型改善

 ・社会復帰のための投資(起業、再就職支援など)

 ・他者の成長を促す支援(条件付き)



〈使用不可の例〉



 ・ギャンブル(カジノ、パチンコ、競馬、投資)

 ・アルコール・違法ドラッグ・嗜好品(タバコなど)

 ・見栄だけの高級品購入(自分を磨けないブランド品)

 ・相手のためにならないばらまき(自己に関係なく、救済にも関係ない、意味のないお金は使用不可です)



「投資もダメなのか……?」



 どこまで俺の人生を監査されているんだ、これは。


 さらに、項目が追加される。



【自分を磨くとは?】



 以下の四分野を指します。



 1.才能を磨く

 2.見た目を磨く

 3.知識を磨く

 4.人間関係(特に女性からの好感度)を磨く



【解説】



 1.才能を磨く


・仕事

・趣味

・創作活動


「できること」を増やす行為



 2.見た目を磨く


  

・健康

・清潔感

・肉体強化

・ファッション

・姿勢改善



 他者からの視線が自分を磨くことになるので、見た目を改善しましょう。



 3.知識を磨く


 

・読書

・勉強

・資格取得

・研究会や講習会



「判断の精度」を高める行為。


 幅広い知識は教養を得ることができて、あなたを磨くことになるでしょう。



 4.人間関係を磨く



・好感度

・会話力

・コミュニケーション能力

・名誉

・名声



「他者からの評価」を改善する行為


 自己を磨くとは、他者からの評価を高めることも意味しています。


 現在、0ですが、あくまであなたのこれまでの評価です。

 

 今後のあなたの行いでいくらでも改善はできるでしょう。



【特記】



・異性からの好感度の上昇は、総合成長に大きな補正を与えます。


 表面的なご機嫌取りや、偽りのキャラクターで得た好感度は、すべて無効化されます。己を磨き、心から相手があなたを評価して好感度を上げた際に、反映されます。



 百兆円とか、システムは現実味感がない。まるでゲームのようだ。


 それなのに……特記だけは、妙にリアルだな。


 でも、「偽りのキャラクター」とか、「表面的なご機嫌取り」とか、その言い回しがやけに胸に刺さる。



 思い返せば、会社でもそうだった。



 上司に逆らえない。

 取引先には頭を下げる。

 若手には嫌われたくなくて、薄い冗談を言ってはスベっていた。



 どれもこれも、「嫌われないように」取り繕っていただけで、誰かから「好かれて」いたわけじゃない。


 そんな俺の人生を、システムにあっさりと言語化されている。



【前提条件】



 あなたのこれまでの人生は、「ほぼ失敗」です。しかし、それゆえに伸びしろが多く残されています。



 前向きなのか、ディスってるのか、どっちかにしてくれ。


 文句を言ったところで、ウィンドウは微動だにしない。


 代わりに、新しい表示が現れた。



【最初のクエスト】



 タイトル:立ち上がれ、お荷物おじさん



 内容:



  現在、あなたの身体能力は大きく低下しています。

  まずは「自分の身体を自分で支える」ことから始めましょう。



 目標:


  

 ・自力でベッドから起き上がる

 ・自力でトイレまで歩く



 報酬:


  

 ・努力ポイント +10

 ・傷の回復を早めます。

 ・「見た目を磨く」の基礎メニューが解放されます



【禁止事項】



 ・看護師の手助けを期待して呼ぶ

 ・諦めてナースコールを押す

 ・「もう無理だ」と口にする



 タイトルのセンス、どうにかならないのか……? お荷物おじさん、をわざわざクエスト名にする必要あるか!


 でも、たしかに今の俺は、ベッドから起き上がることすらまともにできそうにない。身体中が重くて、骨の節々に錆がこびりついているみたいだ。


 静かに息を吐いた。



「……やってやろうじゃないか」



 誰も見ていない病室で、そう呟く。


 別に、格好つけたわけじゃない。どうせ一度、死のうとした命だ。


 ここでベッドの上から動かずに、また腐っていくのか。


 それとも、百兆円とやらを、少しでも有意義に燃やしてやるのか。


 選べと言われたら、後者を選ぶ程度のプライドは、まだ残っている。



 布団を、両手でつかむ。



 腕に力を込める。肘が、悲鳴のように震える。



 ……っ、くそ……痛い! 腹筋に力を入れようとして、筋肉痛みたいな鈍い痛みが走る。全身が自分の重さに文句を言っている。


 それでも、歯を食いしばって、上半身を起こす。


 視界の端で、ウィンドウの数字が、ぴくりと動いた。



【行動を検知】


 

 ・自力で起き上がろうとした → 努力ポイント+1(仮)



 仮ってなんだよ……。



 ベッドの背にもたれかかる。心臓がやけにうるさい。たったこれだけで、息が上がっている自分が情けない。でも、動けた。もう終わりだ。


 ダメだと、決めつけていた身体が、まだ少しは言うことを聞いた。それだけで、ほんの少しだけ、胸の奥の空洞に何かがこぼれ落ちてくる感覚があった。



 ……よし。次は、トイレまでいく。



 ベッドの脇に置かれたスリッパに足を滑り込ませる。


 床にかかとが触れた瞬間、膝が折れそうになる。点滴スタンドにしがみついて、どうにか立ち上がる。



【行動を検知】



・自力で立ち上がろうとした → 努力ポイント+1(仮)



「チビチビだな、おい」



 文句を言いながらも、足を前に出す。



 一歩。ぎこちない。

 二歩。膝がガクガクと震える。



 カーテンの向こう、廊下の気配が微かに伝わってくる。看護師の足音、遠くの誰かの笑い声。


 世界は、何事もなかったかのように、今日も回っている。


 俺だけが、取り残されている。だからこそ……。



「……せめて、いると困る人のまま終わるのだけは、いやだ」



 自分でも驚くくらい、小さな声が出た。


 誰に聞かせるわけでもない、独り言。けれど、ウィンドウがふっと明るくなった気がした。



【精神状態を検知】



「自分の状態を正しく認識し、それでも変わりたいと願った」→ ボーナス:努力ポイント+3(確定)



「確定って、そこは太っ腹なんだな……」



 どうにかトイレのドアに手を伸ばす。


 その瞬間、ウィンドウの中央に、大きく文字が踊った。



【クエスト進行中】



 人生のリストラは完了しました。ここから先は、「自分で自分を採用する」かどうかの勝負です。


 思わず、笑ってしまった。



 プッ、と漏れた情けない笑い声。



「……そうかよ。じゃあ、お荷物おじさん、試用期間からやり直しってことか?」



 トイレのドアノブを握りしめる。


 ぎし、と、金属が鳴った。


 その音が、俺の新しい人生の、最初の一歩の合図みたいに聞こえた。

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