量子カエルと多次元スープ

御弟子美波留

第1話:宇宙はスプーンでできている

朝、目が覚めると、机の上でカエルがコーヒーを飲んでいた。

しかもマグカップの底には「NASA公認」と書かれている。


「おはよう、人類最後の大学生」

とカエルは言った。


「いや、僕はただの二年生だよ」

「ふむ、それは観測者の立場によるな」


カエルの声は、どこか重力波みたいにゆがんでいた。

彼の名前はクァンタム・リビット。

宇宙生まれ、量子跳躍専用両生類。

彼いわく、世界線がスープ化しているらしい。


「スープ?」

「そう、全次元が煮立っている。

 君たちの時間軸はすでに具材だ」


その日、僕は大学へ行く予定だった。

でも、教室のドアを開けたら、土星の環が広がっていた。

講義棟の代わりに、浮遊するたこ焼き型衛星がゆっくり回っている。


「こりゃ遅刻だな」と思った瞬間、

スマホが鳴った。


「おはようございます、こちら宇宙文部省・教育銀河局です。

   学生証の次元署名がずれています。時空の窓口へお越しください。」


……完全に意味がわからない。

でも、なぜか納得してしまった。


時空の窓口は、渋谷駅の地下にあった。

でも改札を抜けると、そこは金星の湿原だった。

エスカレーターの代わりに生きたヤドカリが客を運んでいる。


受付嬢(※半分クラゲ)は微笑んだ。

「ようこそ、南カルフォルニア大学・転送課の方ですね?」


「……え?僕、日本の大学生なんだけど」

「いいえ、すべての大学はひとつの多元学府に統合されました。

 宇宙文系と理系の境界は崩壊済みです」


その言葉に、クァンタム・リビットがうなずく。


「説明しよう。

 この世界では、“学問”そのものがビッグバンしている。

 倫理学と天文学が結婚し、

 体育と量子物理が子どもを産んだんだ」


僕は受付に渡された書類を見た。

タイトルにはこう書かれていた。


「次元的在籍証明書(仮・未定)」


そして備考欄には、こう一文が。


「※この書類を提出すると、あなたは同時に13通りの別の存在になります。」


その瞬間、視界がねじれた。

僕は13人になった。


一人目:まだ現実にいる僕。


二人目:アメーバになった僕。


三人目:宇宙エレベーターの広告塔になった僕。


四人目:なぜかコンビニのレジで働いている。


五人目:銀河の中心で「おでん」を販売中。


六人目:未来の自分に説教している。


七人目:高校時代の僕、でも背中にプロペラがある。


八人目:ただの影。


九人目:光速で逃げる夢を見ている。


十人目:論文を書きながら泣いている。


十一人目:魚。


十二人目:宇宙そのもの。


十三人目:すべてを見ている。


「これが、学費の支払い方法か……?」

「違う。これは存在税だ」


クァンタム・リビットが言った。

「生きることそのものに、観測コストがかかるんだ。

 君たちは自分を見続けることで、宇宙を消耗している」


空がパリンと割れた。

中から、巨大なスプーンが降ってきた。


「はじまるぞ、スープ化フェーズだ」


そう言うとカエルは飛び込んだ。

僕もつられて跳んだ。

スプーンの中で、宇宙が煮えている。


その中に、まだ見ぬ僕の未来が無数に泡立っていた。

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