一章 平和な世界で見つけた夢

1 平和な街の爆発音

 ネオンの夜に、バイクのエネルギーシェルがジジジと放電するような音を残して溶けていく。

 ここはアーカライト都市、南区。


 バイクを運転する少女の鼻歌が聞こえる。

 その鼻歌は最近アーカライトで流行っている曲らしい。そこら辺の飲食店や街なかででもよく流れていてすっかり頭にこびりついてしまったようだ。


 ネオンの風が、街の色をかき混ぜる。

 ブロンドの短い髪が光をはじき、肩にかかるスリングベルトをかすめる。

 吊るされた銃は彼女の身体には少し大きく、それが逆に似合っていた。

 クリスは翡翠色の目を細め、夜を切り裂くように笑う。

 その笑みは、アーカライト都市の雑踏に紛れていった。


 アーカライトは夜になっても眠らない。人通りはまだ多く、賑やかさは静まらない。

 通りは下位区画だけあって見すぼらしい人間が多いが、本通りに出ればまだマシな格好も多い。治安も、ここでは良いほうだ。


『銃は飾るんじゃなくて使わないと意味がないんだぞ』

「いいんだよ、この世界は平和だし」

 ナイトホークはスラム街から銃撃戦の音が響いているのを聞き流しながら、平和とは何ぞや?と思考していた。

『そりゃお前がいた世界よりは平和なのかもしれないが。普通に死人がだな』

「路地裏に死体があるなんて普通なことじゃないか」


 本通りから一本裏の灯りのない道に曲がる。


「爆音もしないし、無人機が飛んでないし、四六時中警戒しなくて良いし、日銭も稼げるし。何より監視、管理されることもない!こんな平和な事中々にないよ!」

 路地に止めてあった車が爆発する、その後野太い怒鳴り声が響く。ギャングの抗争のようだ。

 車の破片が飛んでくる。

 クリスはバイクを傾ける。破片が背後をかすめていった。


『あっ……そう……まぁ、お前が平和だと言い張るならそれでいいんだがな』

「おっ、ほら見て見て、ナイトホーク。人型兵器がある、あんな巨体で避けれるのかな?いい的な気がするけど。俺の世界じゃあんなの棺桶だよ、マイクロマシンが隙間に入り込んであっという間に機能不全になるね」

 都市防衛部隊の人型兵器。性能はお世辞にも良くないが、下位区画じゃあれで十分なんだろう。脅し用のハリボテかもしれないが、下位区画の住人には十分脅威になる。


『お前の世界がとてつもなく技術が進んだ世界だってのはわかったからちゃんと前向いて運転しなさい』

「はーい」

 能天気に返事をした少女クリスは、そのままバイクを走らせていった。


 この先は道が細すぎる。バイクでは抜けられない。

 クリスはバイクを降り、徒歩に切り替えた。

 バイクを止めた瞬間、耳に届いていた街の音が一段静まり不穏さが増えていく。

 初めてこの機体に乗ったときは、その沈黙が怖かった。

 停止すると自動的にエンジンが停まるバイク。

 どうしても起動にラグがある安物バイクなのだ、停まっているときに襲われたらどうするのだと真剣に考えた時もあったな、と数カ月前のことだというのに懐かしく感じた。


 ネオンの看板が明滅する、アーカライト都市南区の裏通り。

 カフェなのか倉庫なのか分からない店の前まで徒歩で移動し、少女は周りを確認する。


『ここが受け渡し場所か? 随分と……治安のいい所に呼ばれたもんだな?』


 ナイトホークの声には、いつものように冷たい皮肉が滲んでいた。

 すでに受け渡し場所が近く、ナイトホークの話から監視している者がいると理解して脳内で返答した。

 決して表情や態度には出さない術は“クリス”が生きる上で身につけていた技能だ。

 しかしその技能も最近は衰え気味だ。


『いちいち突っかかるな……っ、ほら、依頼票の座標はここだし』

『……語尾、注意しろよ。何度も言ってるが――』

『はい、はい。女の子らしい口調、格好するだけで相手は油断する。でしょ?わかってるよ……』

『装備が整ってないうちは何でも利用するべきだ』


 唯一明かりが灯っている建物に向かう。

 自動扉が開き、カウンター越しに痩せた中年男が現れた。

「おぉ、ちゃんとドアが開いた!きちんと整備されてるんだなぁ」

『はぁ……』

 ふと、目が合った。

 目の下のクマが濃く、笑っているのか睨んでいるのか分からない表情。

 カウンターには、古い紙の伝票と小型の黒いケースが置かれている。

 クリスはわざとらしく咳払いして空気を変える事にした。


「受け取りに来た、ランナーのクリスだよ」

「……確認する」


 男は古い端末を取り出し、ケースの上に置く。

 指紋照合ではなく、魔力波認証。

 微弱な光が走り、端末がピピッと短く鳴った。


「確認取れた。……予定変更だ。届け先が変わった」

『は? おい、こいつ、怪しいぞ』

『まぁ、まぁ。たまにあることだし』

『その偶々に何度か大変な目にあった気がするが?』

『でも、まぁ。生きてるし、いけるいける』

 瞬時にこのやりとりを脳内で行ったが、ナイトホークのため息が頭に余韻として残った。


「変更って、どこに?」

「セクターF、地下区画。指定時間内に届ければ報酬は三倍」


 クリスの眉がぴくりと動く。

 セクターF――アーカライトでも最下層のスラム街。

“一方通行地区”として有名だった。


「えー、誰が好き好んでそんなとこまで……あそこ臭いんだよ」

「断るなら構わん。代わりはいくらでもいる」

「うーん……わかった、引き受けるよ」


 何度かセクターFには仕事で行っており、一方通行と言われる程の場所ではないと実体験として知っていた。

 男は淡々とした口調で言い、ケースを押し出す。

 ナイトホークがわずかに忠告するような口調で話し出す。


『ケースの中身、熱反応がある。生体反応……か?』

『やめてよ、生モノ入ってたら困るんだけど』

『いや、今は反応が消えた……冷却されたな。人工的な何かだ』


 クリスはため息をつき、ケースを両手で拾い上げた。

 ぱっと見はただのケースなのに、持ち上げた瞬間に手首がきしんだ。

 背負えば楽そうだが、背負うための備品が手元にはなく、一度宿泊所まで戻る必要があるだろう。


「……報酬、前金で」

「半分までなら」

「それで十分。このケース耐久性は?」

「一般的に出回ってる銃器なら大丈夫だ。普通の兵器でお前が爆散してもケースだけは無事だろうな。ただスカベンジャー共の使う一般的な武器ならまずいな」

「了解」


 男が端末を操作すると、クリスの通信端末に電子音が鳴った。

 データ通貨が振り込まれる。そこそこまとまった額に思わず頬が緩む。

 クリスはケースを抱え、よっこらよっこらとバイクへ運んだ。

 黒いケースをバイクのホルダーに固定する。


『やれやれ、今回は爆発物じゃないといいが』

「爆発しないといいね。前の仕事で、バイク一台パーにしたし」

『……笑えねぇ』

「まぁ、私みたいな場末のランナーに本命を渡すとも思えないし。気楽にいこう!」


 バイクのエネルギーシェルが再び唸る。

 少女は夜の街を滑るように走り去った。


 ――まだ、この荷物が「運ぶだけでは済まない」代物だと知らずに。

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