第7章 闇の王、復活1

 封印の森を抜けて三日後、彼らは北の荒野に辿り着いていた。

 空には重い灰雲が垂れ込め、昼だというのに光が弱い。

 岩肌がむき出しの大地の下には、かつて“黒き大陸”と呼ばれた地下遺跡が眠っているという。


 そこに、勇者アルディスが最後に足を踏み入れたという記録が残っていた。

 彼が遺した言葉は一つ――「神の下には、もう一つの王がいる」


 ライルは風に翻る外套の裾を押さえ、前を見つめる。

 ミナとカインが後に続く。

 「ここが……“断罪の地”ですか」

 「地図ではそうなってるが……空気が違うな」

 カインは周囲を見回しながら、剣の柄に手をかけた。

 「感じるか? この魔力……まるで大地そのものが息をしてるようだ」


 ミナは小さく頷く。

 「古代の封印術が、まだ生きてる。神殿の封印とは系統が違う……もっと、原始的な“誓約”の魔法」

 「師はここで何を見たんだ……」

 ライルは呟き、足元の岩をどかした。

 すると、地下へ続く階段が露わになった。

 黒く、滑らかな石でできた階段。

 まるで時の流れを拒むように、光を吸い込んでいる。


 「行こう」

 彼らは松明を灯し、暗闇の中へ降りていった。


 下へ下へ。

 風も音もない世界。

 松明の火が、わずかに石壁を照らす。

 壁には古い碑文が刻まれていた。

 ミナが指でなぞり、解読していく。

 「《ここに眠るは、神に抗いし影の王。彼の名を呼ぶ者、永遠に沈む》」

 「影の王……?」

 「神に“敵”とされた存在かもしれません」


 さらに進むと、大空洞に出た。

 そこには、巨大な石棺が一つ。

 封印の鎖が何重にも巻きつけられ、中央に“神殿の印章”が押されている。


 「これは……神殿の封印式そのものだ」

 カインの声が震える。

 「つまり神は……この“闇の王”を恐れた?」

 「恐れたんじゃない。隠したんだ」

 ライルはそう呟き、水晶片を取り出した。

 森で倒れた観測者が遺した記録装置だ。


 それを封印の紋章にかざすと、水晶が淡く光り出した。

 空中に映像が浮かび上がる。


 《記録再生:紀元前二千四百年——神殿第一時代》


 光の中に映ったのは、巨大な戦場だった。

 天空に光の神々、地上に黒き影の軍勢。

 その中央に、ひとりの人影が立っていた。


 黒衣を纏い、銀色の髪を風に散らす青年。

 その瞳は深紅に輝き、口元には静かな微笑が浮かんでいる。


 《名:ゼルヴァ=ノワール。称号:闇の王。

  神の支配に異を唱えた勇者。》


 ライルは息を呑んだ。

 「勇者……?」

 ミナが低く呟く。

 「神に背いた勇者……。アルディスが探していた“もう一人の勇者”」


 映像が続く。

 《ゼルヴァは神々に告げた。“光は独裁だ。影こそが、命の自由だ”》

 《神殿は彼を討ち、存在そのものを封印した》


 カインが唇を噛む。

 「つまり神殿は、かつて“正義を問う勇者”を抹消した……」

 「アルディス師はそれを知っていた。だから神に挑んだんだ」


 ライルが封印の鎖に手を置く。

 「……俺も、同じ場所に立ったのかもしれない」


 ミナが不安げに見上げる。

 「ライル、まさか……この封印を解く気ですか?」

 「神が恐れたものを、この目で見たい。真実を隠したままじゃ、俺は勇者を名乗れない」


 鎖が淡く光り出す。

 ライルのリゲインを突き立て、魔力を流し込む。

 光が逆流し、封印陣が音を立てて崩れ始めた。


 カインが叫ぶ。

 「待て! 何か来る!」


 地面が震え、空洞の奥から黒い霧があふれ出す。

 それは炎でも風でもない、“意志を持つ闇”だった。

 冷たく、しかし確かな鼓動をもって周囲を包み込む。


 石棺の蓋が、ゆっくりと動く。

 ミナの手が震えた。

 「……目を覚ます……!」


 静寂。

 そして、低い声が響いた。


 「——誰が、私を呼んだ?」


 黒い靄の中から現れたのは、映像で見た青年そのものだった。

 白い肌、紅い瞳、そして纏う黒の魔力。

 彼が一歩踏み出すたびに、闇が波のように広がっていく。


 ライルは息を呑む。

 「あなたが……闇の王、ゼルヴァ・ノワールか」

 ゼルヴァは微笑んだ。

 「そう呼ばれていた頃もあった。だが、私が願ったのは“闇”ではない。

  ——神の下に縛られぬ、人の自由だ」


 ミナが震える声で問う。

 「では、なぜ神殿はあなたを封じたのですか?」

 「光の秩序を脅かすものは、常に“罪”と呼ばれるからだ」

 ゼルヴァは静かに言った。

 「勇者アルディスは私の末裔だ。彼は私の遺志を継ぎ、神の真実を暴こうとした。

  だが、果たせなかった。……今、その血が再び封印を解いたか」


 ライルは答えられなかった。

 ゼルヴァの瞳が、まるで心の奥を覗くように光る。

 「お前の中に、二つの力があるな。神の光と、我が闇の欠片。どちらを選ぶ?」

 「……選ぶ?」

 「光に従えば、秩序の勇者として世界を守るだろう。

  だが闇を受け入れれば、神々の支配を打ち砕く者となる」


 ゼルヴァが手を差し出した。

 その掌に、夜のような黒の炎が揺れる。

 「選べ、ライル。神の剣か、人の自由か」


 ライルの心が揺れた。

 ミナの叫びが響く。

 「ダメ! その力は呪いよ!」

 カインが剣を構える。

 「ライル、惑わされるな!」


 だが、そのとき天井が震え、神殿の紋章が光を放った。

 上空から、白い光の柱が降り注ぐ。

 神殿軍の転移陣だ。


 「神殿が来た……!」

 ミナが叫ぶ。


 ゼルヴァはゆっくりと振り返った。

 「愚かな光よ、再びこの世界を焼くつもりか……」

 その瞳が紅く輝く。

 「ならば、今度こそ抗おう。——人のために」


 闇が、爆ぜた。

 遺跡全体が光と影に引き裂かれ、空間が震える。

 ライルはその中心で、ただ剣を握りしめた。


 世界が、再び動き出す音がした。

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