第3章 禁呪の洞窟2

 衝突の余波が、洞窟を軋ませた。

 黒い霧が爆ぜ、床の魔法陣が次々と崩れていく。

 ライルは何とか身をかわしながら、光剣を構え直した。


 「くっ……動きが速い!」

 巨獣ガルアークの咆哮が耳を裂く。

 黒い炎の息が地面を焼き、飛び散る石片が頬をかすめた。


 「ミナ! 後方から援護を!」

 「わかってる、でも……結界が持たないっ!」

 杖の先から放たれる光弾が、獣の腕をかすめて弾ける。

 しかし闇は再生する。傷口から黒い霧があふれ、すぐに元の形に戻った。


 「再生してる!? 何度斬っても意味がねぇ!」

 レオンが叫び、槍で距離を取る。

 その足元に魔法陣の破片が散らばり、淡く輝き始めていた。


 《危険だ、ライル。封印の陣が“逆流”している!》

 「どうすれば止められるんだ!?」

 《陣の中心を、光剣で断ち切れ! 禁呪が完全に目覚める前に!》


 ライルは息を整え、地面を蹴った。

 光の尾を引きながら、闇の中を駆け抜ける。

 獣の腕が振り下ろされ、風圧が背を裂くように通り過ぎた。


 ——届く。


 剣を振り上げたその瞬間、足元の魔法陣が爆ぜた。

 黒い鎖が地面から伸び、彼の身体を絡め取る。

 「なっ……!?」

 《まずい! 封印の残滓が、お前を“識別”した!》


 鎖が喉を締め、視界が暗転する。

 息ができない。

 光剣が手から滑り落ち、遠くでミナの悲鳴が聞こえた。


 「ライルっ!!」


 彼の中で、何かが“切れた”。

 心の奥底に沈んでいた記憶の欠片が、激しく脈動を始める。


 ——剣を取れ。

 ——恐れるな。

 ——封印の先に、真実がある。


 見たことのない景色が頭を満たした。

 戦場。血と灰。倒れた仲間たちの姿。

 その中央で、黄金の剣を掲げる男——勇者アルディスがいた。


 《……目を逸らすな、ライル。これが、私の記憶だ》


 (師匠……!?)


 《この洞窟は、かつて私が“禁呪”を封じた場所。

  私自身の魂を削って、魔王の心臓を封印した。

  だがその代償として、この封印は“生きた呪い”へと変わったのだ》


 光景が歪み、過去の戦場が現実の洞窟へと重なっていく。

 黒い霧の奥で、アルディスが誰かに剣を向けていた。


 《私はあの時、同胞を斬った。禁呪を止めるために。

  その記憶が、封印とともにこの地に残り続けている……》


 ライルは呻き声を漏らした。

 鎖がさらに強く締まり、意識が遠のく。


 (俺も……同じように、何かを……犠牲にしなきゃいけないのか……?)


 《違う。お前は“継ぐ者”だ。過去をなぞるな。新しい答えを見つけろ》


 その声とともに、胸のペンダントが眩い光を放った。

 鎖が砕け散り、ライルの体が自由になる。


 「はあっ——!」


 息を吸い込み、光剣を再び掴む。

 白い刃が闇を裂き、空気を震わせた。


 《行け、ライル! 封印の心臓を断ち切れ!》


 ライルは跳んだ。

 闇の中で、一筋の光となって。

 獣の咆哮が響く。黒い腕が彼を掴もうと伸びた。

 それをすり抜け、剣が水晶の柱に突き刺さる。


 ——閃光。


 耳をつんざく爆音。

 洞窟全体が震え、壁が崩れ落ちた。

 ミナが結界を張って叫ぶ。

 「ライル! だめ、封印が壊れるっ!」


 「まだだ!」


 ライルは剣をさらに押し込んだ。

 光が柱の中心へと流れ込み、黒い瘴気を押し返していく。

 だが、光が強くなりすぎている。

 まるで、何か“別の力”が混ざっているようだった。


 《……やめろ、ライル! その力はまだ——》


 アルディスの声が途切れた瞬間、剣が砕け散った。

 光が暴走し、洞窟全体を呑み込んでいく。


 「——っ!!」


 視界が白一色になった。

 耳鳴りと、誰かの声。

 ミナが倒れる姿が見えた。

 彼女を庇おうと手を伸ばしたが、間に合わなかった。


* * *


 静寂。

 気がつくと、ライルは地面に倒れていた。

 天井の岩が崩れ、薄明かりが差し込んでいる。

 身体が痛い。けれど、まだ生きていた。


 隣にはミナが横たわっていた。

 「ミナ! ……ミナ、起きてくれ!」

 彼女はうっすらと目を開けた。

 「……ライル……ここ、どこ?」

 「封印の……中心だ。何とか……生きてる」


 レオンも岩の下から這い出し、肩で息をしていた。

 「おい……二人とも、無事か……?」

 「なんとか。けど、あの獣は……?」

 周囲を見回すと、ガルアークの姿は消えていた。

 残っているのは、黒い灰とひび割れた水晶の欠片だけ。


 《……やはり、禁呪の力が流れ込んでしまったか》

 (師匠……! 無事なのか!?)

 《私はお前の中にいる限り、死なぬ。だが、お前の体は限界だ。

  今、封印の“残響”を吸い込んでしまった》

 (残響……?)

 《お前の中に、禁呪の一部が宿ったのだ》


 ライルは息を呑んだ。

 胸の奥で、黒い何かがゆらりと動く気配がある。

 それは先ほどまでの光とは違う、冷たい闇の感触だった。


 「……俺、どうなるんだ?」

 《まだわからぬ。だが、この力を制御できねば、いずれお前自身が呪いになる》


 アルディスの声はいつになく重かった。

 ミナがふらつきながら立ち上がる。

 「ねえ、今の光……何だったの? あなた、何をしたの?」

 「……俺にも、わからない。ただ、封印を止めたはずなんだ」

 「止めた……? でも、これって……」


 ミナの視線の先で、崩れた床の隙間から光が漏れていた。

 地下深く、まだ何かが蠢いている。

 それはまるで、心臓の鼓動のように脈動していた。


 《封印は“仮止め”にすぎない。真の核心はさらに奥だ。

  だが今行けば、お前たちは全員死ぬ》


 「……わかった。いったん引こう」

 ライルは立ち上がり、仲間たちを支えながら出口へ向かった。


* * *


 外の空気は冷たかった。

 夜が明け、朝日が洞窟の口を照らしている。

 ミナとレオンは倒れ込むように地面に座り込んだ。


 「……生きて出られるとは思わなかったな」

 レオンが乾いた笑いを漏らす。

 ミナは額の汗を拭いながら、ライルを見た。

 「あなた、本当は何者なの?」


 その問いに、ライルは答えられなかった。

 胸の奥で、黒と白の光がせめぎ合っている。

 それを見透かすように、アルディスの声が低く響いた。


 《隠せ。今はまだ言うな。お前が“勇者の継承者”であることを》


 (……わかってる)


 ライルは黙って空を見上げた。

 太陽が昇り始める。

 その光の中に、かすかに黒い影が混じっていた。


 ——禁呪の洞窟は沈黙を取り戻した。

 だが、その沈黙の下で、何かがゆっくりと目を覚まし始めていた。

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