第2章 落ちこぼれ弟子、王都へ1

 草の匂いがした。

 朝露に濡れた土の上で、ライルは目を覚ました。


 昨夜は焚き火もろくに起こせず、木の根を枕にして寝たせいで、体が痛む。

 見上げた空は、まだ薄い藍色。東の地平がわずかに朱に染まりはじめたころだった。


「……はは、これが“勇者の弟子”の寝起きってやつかよ」

 ひとりごとのように笑う。

 自嘲でもあった。

 師のアルディスが死に、彼が守った王国から“危険な存在”として追放された。

 もう三年が経つ。


 生き延びるだけで精一杯の旅だった。

 金も、仲間も、居場所もない。

 剣だけが取り柄で、魔法も中途半端。

 人々は彼を「落ちこぼれの弟子」と呼んだ。


 それでも、ライルはまだ歩いている。

 それが、アルディスの背中から学んだ唯一の生き方だった。


 風が吹く。

 風の中に、懐かしい声があった気がした。


 ――ライル。

 ――お前は、お前の戦いを見つけろ。


 「……師匠」

 思わず呟くと、胸の奥が痛んだ。

 アルディスの遺志を継ぐと誓ったあの日から、何も成し遂げていない。

 ただ生きるだけの日々。

 それでも、進まなければならない。


 行き先は――王都。


 魔王を討ったのち、勇者が築いた平和の象徴。

 だが、いまは腐敗と陰謀に満ちていると噂される場所だ。

 その地に、かつての仲間たちや、アルディスが遺した記録が眠っているという。


「……行って、確かめてやる」

 そう呟くと、ライルは背負い袋を担ぎ、草原を歩き出した。


 * * *


 王都リオ=グランは、遠くからでもその壮麗さがわかる。

 石造りの城壁は陽光を反射して白く輝き、

 天を突く塔は、まるで神の杖のように空を支えていた。


 しかし、門前に立つと、その印象は一変する。

 門の外には失業した労働者や流民が溢れ、兵士たちは冷たい視線で追い払っていた。

 それは、かつて“希望の都”と呼ばれた場所の、あまりに痛々しい現実だった。


「入城証は?」

 門番が無表情に問いかける。

 ライルは腰の袋を探るが、当然そんなものはない。


「……昔、勇者の弟子でした。アルディスの」


 一瞬、空気が張りつめた。

 兵士の目が鋭く光る。

 周囲の人々もざわめいた。


「勇者の……弟子?」

「まさか、あの反逆者の一味じゃ……」


 次の瞬間、槍が向けられた。

 反射的に剣の柄に手をかける。

 だが、戦っても意味はない。ここで暴れれば、本当に“罪人”になる。


「待て!」

 そのとき、門の陰から少女の声が響いた。

 兵士たちが振り向く。

 現れたのは、茶色の髪を三つ編みにした、小柄な少女だった。

 薄汚れた旅人の服に、古びた杖を抱えている。


「その人、うちの師匠なんです!」


「……は?」

 ライルも兵士も、同時に固まった。


 少女は慌てて近づくと、彼の腕をつかんで笑った。

「師匠! こんなところで何してるんですか! ほら、早く入りますよ!」


 兵士たちは顔を見合わせた。

 明らかに怪しい。しかし、少女の勢いに押されるように、結局そのまま通された。


 門を抜けたあと、ライルはため息をついた。

「……おい、今のはどういうつもりだ?」


「助けてあげたんです。命の恩人には感謝してもらわないと」

 少女は胸を張る。


 名前を尋ねると、ミナと名乗った。

 街外れの孤児院出身で、師アルディスの昔話を聞いて育ったという。

 彼女にとって勇者は“神話の人”ではなく、“優しい村のおじさん”だったらしい。


「あなたが、その弟子さんなんでしょう? 本物?」

「ああ……たぶんな」

「たぶんってなに!」

「三年も何もできてない弟子なんだ。落ちこぼれだよ」


 ミナはふふっと笑った。

「落ちこぼれでもいいじゃないですか。私も魔法の素質ゼロです」


 その言葉に、ライルは少しだけ救われた気がした。


 王都の街路には、かつての栄華が残っていた。

 だが、繁栄の裏には深い影があった。

 貴族は贅を極め、民は貧困にあえぐ。

 兵士たちは権力者の命令で動くだけ。

 勇者の理想など、誰も覚えていない。


 ――師匠が命を懸けて救った国が、これか。


 その現実に、拳が震えた。


「ねえ、師匠。これからどうするんですか?」

「アルディスの記録を探す。まだ、どこかにあるはずだ」

「記録?」

「師が死ぬ直前、俺に言ったんだ。“真実は王都の地下に眠る”って」


 ミナの表情が引き締まる。

「だったら、私も行きます」

「お前は関係ない」

「あります。だって、私だって勇者様に救われたんです!」


 その声は、小さな体に似合わず強かった。

 ライルは口を閉ざし、やがて微笑む。


「……好きにしろ」


 こうして、“落ちこぼれの弟子”と“落ちこぼれの少女”の旅が始まった。

 彼らはまだ知らない。

 この出会いが、後に王都の運命を変えることになることを。

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