追放勇者の弟子 ― 灰の勇者が遺した風 ―

aiko3

第1章 勇者の遺志1

 ——千年前。

 その戦いは、あまりにも唐突に、そしてあまりにも鮮烈に終わりを迎えた。


 大地は裂け、空は燃え、海は煮え立っていた。

 魔王アスモデウスが解き放った黒き奔流は、世界を呑み込もうとしていた。

 勇者アルディスは仲間たちを庇いながら、ただ一人でその中心へと歩み出た。


 「……この光が、誰かの未来を照らすのなら」


 剣に宿る聖なる加護が、彼の生命を削り取っていく。

 仲間たちの叫びも、彼の耳にはもう届かなかった。

 ただ、眼前に広がる暗黒だけが、彼の使命を確かに思い出させる。


 アルディスは最後の一振りを放った。

 空間を裂くほどの光が、黒の奔流を貫く。

 世界は、音もなく静寂に包まれた。


 そして——勇者は、消えた。


 その身体は光の粒となり、空へと溶けていった。

 だが、彼の魂は散りきらず、ひとつの約束を残していた。


 《いつかまた、この世界が闇に呑まれようとするとき。

  我が遺志を継ぐ者が現れるだろう——》


* * *


 朝靄の中、村の鐘が鳴っていた。

 少年ライルは、その音で目を覚ました。

 夢を見ていた。光と闇の中で、誰かが剣を振るう夢。

 いつも同じ夢だった。


 彼は寝台から体を起こし、額の汗を拭う。

 「……またか。」


 寝ぐせだらけの髪を手でかき上げながら、窓を開けた。

 冷たい風が吹き込み、木々の間から朝日が差し込んでくる。

 村の空は穏やかで、どこにでもある平和な朝だ。


 ライルは鍛冶屋の息子だった。

 だが、父親のように鉄を打つことが得意ではない。

 むしろ不器用で、剣を持たせても、まともに振れた試しがなかった。


 「おい、ライル! また寝坊か!」

 階下から父親の声が響く。


 「い、いま行く!」

 慌てて服を着替え、階段を駆け下りた。

 煙のにおいが鼻をつく。炉の火は赤々と燃え、鉄の棒が熱せられていた。


 「まったく、剣の一本もまともに研げんとはな。お前、本当に鍛冶屋の息子か?」

 「……俺、剣より本のほうが好きなんだよ」

 「はっ、そんなもの腹の足しにもならん!」


 父親の怒鳴り声を背に、ライルは苦笑するしかなかった。


 村の子どもたちは冒険者を夢見て剣を振る。

 彼らの中には、王都の“勇者学院”に進む者もいる。

 だがライルは、そんな道には縁がなかった。

 腕力も魔力もない。あるのは、誰よりもしつこい“夢”だけ。


 それは、あの光の中で戦う男——勇者アルディスの夢。

 彼の声が時折、現実のように耳に残ることさえあった。


 《恐れるな。光を選べ》


 ——まるで、魂の底から響いてくるような言葉。


* * *


 その日の夕方、村に一人の旅の神官が訪れた。

 白い法衣をまとい、杖をついた老人だった。

 村人たちは珍しい客に興味津々で集まったが、老人は静かに口を開いた。


 「この村の北、古い神殿跡に近づいてはならぬ。

  封印が弱まりつつある。もし“光の欠片”を見つけたら、決して触れてはならん」


 その言葉に、ライルの心が妙にざわついた。

 ——光の欠片?


 夜。村が眠りについたころ、彼はこっそりと家を出た。

 月が雲間から覗く。風は冷たく、草の香りが強い。

 北の丘を越え、森を抜けると、そこにあった。


 崩れた石の柱と、苔むした祭壇。

 その中央に、淡い光を放つ“石”があった。

 青白く、呼吸するように脈動している。


 ライルの胸が高鳴る。

 ——これが、あの“欠片”?


 そっと手を伸ばした瞬間、光が弾けた。

 風が逆巻き、世界が反転する。

 視界が白に塗りつぶされ、次の瞬間——


 “誰か”の記憶が、彼の中に流れ込んだ。


 ——剣を振るう感覚。

 ——仲間たちの笑い声。

 ——最後の瞬間、光の中で交わされた誓い。


 《いつか、未来に託す。私の力を、心を、願いを——》


 ライルは叫んだ。

 「やめろっ……! なんだこれ!」


 光が収まり、膝をつく。息が荒い。

 だが、その手の中には、ひとつのペンダントが握られていた。


 中央に白い宝石がはめ込まれたそれは、どこか懐かしい温もりを帯びていた。

 そして、どこからともなく声が聞こえる。


 《聞こえるか、我が弟子よ》


 ライルの時間が止まった。

 「……弟子? だ、誰だよ……?」

 《私はアルディス。かつてこの世界を救った勇者だ》


 ライルは息を呑んだ。

 《お前の魂は、私の力に呼応した。選ばれし“継承者”——》

 「ちょ、ちょっと待て! 俺、ただの村の鍛冶屋の息子で……!」

 《ならば、これから学べばいい。勇者の弟子として——》


 ライルの足元に、白い光の輪が広がった。

 ペンダントが強く輝き、空気が震える。

 彼の背中に、微かに“紋章”のようなものが浮かび上がった。


 その瞬間、遠く離れた王都の空に、古代の塔が反応する。

 封印された魔の力が、目を覚まそうとしていた。


 世界が、再び動き出す。


* * *


 ライルは夜明け前に家へ戻った。

 胸のペンダントはまだ微かに光を放っている。

 眠ることはできなかった。

 夢ではない。確かに“誰かの声”が、自分の中に宿っている。


 《ライル——お前の旅はここから始まる。》


 その声は、静かに、しかし確かに、彼の心に刻まれた。


 そして少年はまだ知らない。

 この瞬間から、“千年前の勇者”と“今の弟子”の物語が始まったことを——。

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