第2話 再開と穏やかな時間
翌日の昼休み、健人は高谷課長に連れられ、薄暗い備品庫に入った。奥には、埃をかぶった年季の入った将棋盤と駒箱が一つ置かれていた。
「これだよ。誰か昔の社員が使っていたんだろう。まさかまた使う日が来るとは思わなかった」
高谷課長は楽しそうに笑い、健人と一緒に盤を拭き、駒を並べた。駒を握る感触。微かに香る古い木の匂い。二十年ぶりに囲む将棋盤は、健人の心を不思議なほど静かにさせた。
「では、お手合わせ願います」
二人は一礼し、対局が始まった。
健人の将棋は、治さんから教わった通り、攻め急がない。ゆっくりと、自分の玉を堅く、堅く囲うことに集中した。ブランクがあるため、どの手が正解なのかはわからないが、その一手を指すたびに、忘れていた感覚が指先に蘇ってくる。
対する高谷課長は、攻守のバランスが絶妙で、健人ののんびりとした駒組みを、的確な一手でじわじわと攻め立てた。
健人は終始劣勢だった。二十年のブランクはあまりにも大きく、課長の手の速さと、無駄のない駒運びについていけない。中盤、一瞬の隙を突かれ、課長から鋭い攻めが入ると、健人の玉はあっという間に崩されていった。
「参りました」
健人は深く頭を下げた。あっけない敗北だった。
「いやあ、佐藤くん。ありがとうございました」高谷課長は優しい笑顔で、崩れた盤面を見つめた。「手は錆び付いているが、君の将棋はとても心が落ち着くよ」
「落ち着く、ですか」
「うん。なんというか、とても丁寧で、一つ一つの駒を大切に扱っている。特に玉を囲う手は堅実で、基礎がしっかりしている証拠だ」と課長は言った。「ただ、ブランクのせいで、肝心なところで一歩踏み込む勇気が足りていないかな。守りに入りすぎている」
「やはり……」
健人は、自分の人生と同じだと思った。守りに入りすぎ、挑戦する勇気を失っている。
高谷課長は駒を片付けながら言った。
「一つ提案があるんだが、佐藤くん。どうだろう、明日からも、また昼休みに指してみないか? 君の将棋は、とても伸びしろがあると思う。私も、君のその**『堅実な土台』**を見て、自分の将棋をもう一度見直したいんだ」
それは、健人を**「指導してやる」という上から目線ではなく、「一緒に成長したい」**という、温かく対等な誘いだった。健人は、二十年前に治さんと将棋を指していた時と同じような、心の静けさと充足感を覚えていた。
「はい、喜んで。ぜひ、お願いします」
備品庫の薄暗い空気の中で、健人の心には、静かな熱が戻ってきていた。
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