第7話-2. 御恩と奉公 野村(姉川)の戦い
戦勝で沸き返る織田・徳川の両陣営で、家康は自陣の幕内で戦後報告を受けていた。すると外から大声で話している織田家中将士の声が聞こえた。柴田勝家、丹羽長秀、木下藤吉郎――いずれも信長の側近である。
「いやあ、これで近江の南三郡は取れたかのう」
「信長様がどれほど与えてくださるか、楽しみじゃわい」
笑い声が、まだ血と煙の残る風に混じって流れていった。
家康はただ一言も発せず、その声の方へ目を向けた。
ほんのわずかに眉が動いた。そのとき、榊原康政が土煙を蹴って陣に入ってきた。
「殿、此度の拙者の働き、ご覧いただけましたか!やはり戦は三河武士にございますな。尾張勢など浅井勢に押され、
銭のついた旗印を投げ出して逃げて行きましたぞ。そこを拙者が突かねば、今ごろ――」
家康はゆっくりと顔を上げた。
「康政、その程度の手柄で戦自慢か?それで何が嬉しいのか? それからな、味方をそしってどうする。信長様やご家来衆の耳に入ったらどうするのか考えも至らぬのか?」
康政は家康に頭を下げて言った。
「ははーっ、まだ朝倉・浅井の息の根を止めてはおりませぬ。この口は、義景・久政・長政の首を見るその時まで閉ざすことに致します。」
外ではまだ、織田の笑い声が続いていた。やがて家康は立ち上がり、遠い目で日の沈む西の空を見やった。家康の家来の殆どが戦勝の酒盛りのために陣幕から出ており、家康の傍らには本多忠勝のみが控えていた。暫く黙っていた家康が口を開いた
「康政も、数正も正信もみんな酒盛りに行ったのに、其方は何故行かぬのだ?」
「それは殿がまだここに居られるのに、おいて行くわけに行きませぬ。」
「儂が何故ここに居るのか、分かっておるか?」
「はい、拙者もそこまで馬鹿ではございませぬ。康政殿への叱責の真意は恐らく理解しております。朝倉・浅井の息の根を止めなかった事も、味方誹りや叱責も些末な事でございますのう。むしろ本質は、我々徳川が何のために近江まで遠征してきているかという事、それを頼朝公の時代から連綿と続くご恩と奉公に照らし合わせてどう解釈するか辺りにあるようですな。本領安堵と言う意味ではその趣旨に沿っているとは思いますが、遠く近江まで出張って共通の敵を相手に一戦し領土を拡張するとなると、果たしてそれだけで良いものか。。。」
忠勝はそこまで言うと、家康が更に深刻そうな表情をしているのに気が付き言葉を止めた。そして
「あ。いや、なに。これはあくまでも拙者の独り言でござるがな。」
とだけ意味ありげに答えると、家康は言葉を続けた。
「ふーむ。その方が分かっていないようであれば、儂は御先祖様に顔向けが出来ないところであった。康政のような猪武者はいざ知らず、知恵袋と呼ばれる数正や正信も含めて儂の家来が全て戦馬鹿で大局が見えない様では徳川家の先行きも危ういと悲嘆にくれておったのだ。こんな事では、三河後に雌伏して長年、松平等と言う田舎小大名の姓を名乗り続けた後で、ようやく堂々と徳川(得川)として新田義貞公の嫡流の子孫である事を晴れて名乗れるようになったのにのう。我が先祖様と儂らの苦労も知らずに、世間の奴等は儂が名家の血筋で有る事に嫉妬して、松平を乞食坊主の子孫等とあらぬ誹謗中傷をしおってからに」
忠勝は家康の問いに答えるために、迂闊にも”源頼朝”と言う”キーワード”を出してしまったのを後悔した。そして、またいつもの源氏絡みの出鱈目で嘘八百の与太話を長々と聞かせられるのは真っ平御免と思い、家康の話を遮って言った。
「さあ、殿。御心配召されるな。拙者、忠勝は少なくとも殿の御心中を察しておりますぞ。彼等にも私の方からそれとなく諭しておきます。目出度い戦勝の宴の席に、“徳織”同盟の共同盟主の殿が居なければ、座が白けます故、直ぐに参りましょう。」
忠勝が徳織同盟と言ったのを聞いて、家康の顔が急に明るくなった。
「そうだな。主席に盟主が居なければ興覚めだ。早く行こう、さあ案内致せ。」
俺はこの家康と忠勝のやり取りの一部始終を陣幕の外で観ていて心の中で呟いた。(流石は家康。もう大分と自分が持ちかけて締結した織徳同盟がどんな意味合いを持つ事になるか分かり始めたようだな。)
その頃甲斐では武田信玄が沈思黙考をしていた。彼は甲斐守護の名門武田家の嫡子と生まれ、若いころから近隣と戦を繰り広げていた。父信虎も追放し、今では本国甲斐に加え、信濃、駿河をほぼ併呑し、上野や遠江の一部にも勢力を拡げ、東国の大大名となっていた。しかし、信濃侵略で豪族たちの所領を奪った事に義憤を感じた上杉謙信の侵攻を受けることになった。また家康と図って駿河を併呑する時に、駿相甲の三国同盟を解消して北条氏康とも敵対する事になるなど背後に憂いを抱えていた。だが彼がもっと気にしていたのは、今や専ら畿内において勢力を伸長している織田信長であった。
「織田と手を結んだ徳川と手打ちをして、今川領を分割し今や我が領土も海につながる事ができた。しかしそこまでだった。後ろには上杉、北条が控えており勢力を伸ばすこともできぬ。遠江も徳川が蓋のように控えており迂闊に手も出せぬ。信長め、表向きでは嫡子信忠と儂の末娘松姫を婚約させることで盟約を結び、儂を下にも置かぬ素振りを見せながら、中央では将軍義昭公を意のままに操り天下人のような振舞いをしておる。それに我が宿敵の上杉謙信とも蔭でこそこそと手を結んでいるとも聞いている。この前は徳川も近江まで出張って朝倉・浅井を叩きのめした。このまま近江・越前も併呑されれば、やがて信長は今度は儂に上洛せよと言い出すかもしれん。そうなる前に何とかせねば。」
信玄の重臣、馬場信房はその問いかけに対してこう答えた。
「まだ当家と織田家は同盟関係にございますれば、今しばらく大人しくし、畿内での朝倉・浅井、本願寺、一向宗等の戦いぶりを見て機会を伺うのがよろしいでしょう。そのためにはまずは正式な同盟関係が無い徳川領を少しずつ侵略し、こちらも力を蓄えて機が熟した時に改めて織田と雌雄を決するかどうかを決めましょう。」
こうして信玄は静かに徳川領へ侵攻を始めた。姉川の戦勝から三河に帰国した徳川家康は、その地味な攻撃に悩まされることになり同盟者信長に窮状を訴えた。しかし信長は「家康殿、織田家は武田家と同盟関係にあり、信玄殿に対して軍事行動を起こすことはできぬ。なるべく武田と徳川の間で問題を平和裏に解決し、つとめて大きな争いに発展させないようにお願いする。」と言ってくるのみで、それ以上の事は何もしてくれないのである。
「あの勘定奉行殿は一体何をお考えなのだ。我らの防波堤が敗れれば、次には風林火山の濁流が織田に押し寄せるのだぞ。」
家康が癇癪を起していると、参謀本多正信は平伏した。
「織田が勘定奉行、徳川が防波堤、武田が濁流とは、なかなか旨い例えでござりますな。しかし勘定奉行殿が何を考えているのかは、この徳川の知恵袋と言われた正信にも分かりませぬ。」
「まさか、織田殿は儂らが負けたら、信玄に遠江と三河を渡して手打ちにするつもりではあるまいな。」
と言って、家康は爪を齧った。二人が堂々巡りの会話をしている最中に、信玄に攻められている高天神城から使者が来て「信玄入道の侵攻について大至急家康様と談合したき件が有り。」と告げた。
「さてさて、正信よ。織田殿の援軍は全く期待できず、信玄は名うての戦上手、この上何を談合すべき事が有るというのだ。」
「徳川の名参謀と言われている拙者にも此度は全く名案が浮かびませぬ。いっその事、織田が三河と遠江を武田に渡して手打ちをする前に、我らが信玄に遠江を割譲して赦して貰うしかないのでござるか?」
家康の愚痴に対して、正信は無責任な発言を続けた
しかし使者との談合が終わる頃には、二人はすっかりと生気を取り戻した顔つきになっていた。
「正信よ、この作戦で何とか徳川は生き残る事ができそうだ。」
「流石は家康様でござる。徳川の至宝と呼ばれる拙者も全く同じ気持ちでござる。」
正信が鸚鵡返しに答えると、家康は流石に聞き咎めた。
「先程から自分で至宝だの知恵袋だの言っておるが、そちから何の案も出てこなかったではないか。」
「はは、これは殿に一本取られましたな。仰せの通りでござった。恐縮でござる。」
正信は全く悪びれずにおどけて見せた。この本多正信と言う男、実は単なる幇間なのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます