断章 教育方針
漆黒の怪鳥ノクスは、日に日に賢く、強く育っていた。
コルヴァンはそれを喜び、魔力の扱い方の初歩をまるで人間の父親が息子に物を教えるかのように、楽しげに教えているようだった。
サクはその光景を微笑ましく思いながらも、ノクスの中にコルヴァンと同じ冷たい捕食者の性質が育っていくのを、どこか不安に感じていた。
ある日の午後、事件は起きた。
ノクスが森から一羽の美しい小鳥を捕らえて帰ってきた。
しかし、殺してはいない。翼を巧みに折り、飛べなくしただけの、まだ息のある生きた小鳥だった。
ノクスは、その怯える小鳥を床に置くと、まるで猫が鼠を弄ぶように、ついと突き逃げ惑う様子を明らかに面白がって眺めていた。
それはコルヴァンがサクに“躾”をする時の、嗜虐的な愉悦とよく似ていた。
「ノクス!」
それを目にしたサクは思わず叫んだ。
彼女は、傷ついた小鳥の元へ駆け寄ると、震えるその小さな白い身体を、そっと両手で包み込んだ。
そして、今まで見せたこともない、厳しく悲しい目でノクスを睨みつけた。
「どうして、こんな酷いことをするの」
傍らでその光景を見ていたコルヴァンは、喉を鳴らして笑った。
「主よ。あの子はただ、強者の権利を学んでいるだけです。弱者を支配し、弄ぶ…自然の摂理であり、わたくしたちの世界の理(ルール)です。良い学びの機会では」
「黙ってください!」
サクの声が、サロンに響き渡った。コルヴァンの言葉が、動きがぴたりと止まる。彼は、まさにきょとんとサクを見つめていた。
彼女は今、初めて、敬語を使わずに、明確に命令したのだ。コルヴァンに対して。それは本当に初めてのことだった。
「…サク」
コルヴァンの唇から、低い地を這うような声が漏れた。家臣の慇懃な態度と声は掻き消えていた。
「…今。わたくしに、何と言った?」
彼の金色の瞳が、怒りか驚きかあるいは別の何かか。複雑な光で揺らめいている。それが何か、判断はつかない。何にせよ、恐ろしいことに変わりはない。
しかしサクは、怯みながらも引かなかった。彼女は傷ついた小鳥を胸に抱いたまま、コルヴァンをまっすぐに見据える。
「あっ、あなたが、ノクスに、残酷なことを教えたのでしょう!い、いつもわたしにしている、い、意地悪だとか、そういうのを…!そんなこと、許しませんから…!」
「許さない?…サク。お前は…」
サクは、息を呑んだ。守るように小鳥を抱きしめ、コルヴァンを見上げる。
「わたくしを、叱りつけているのか?」
コルヴァンは相変わらず、表情の読めない瞳でサクをじっと見つめる。
「そ、そう、です…!いけないことは、い、いけません…!」
サクはあまりの恐怖に震える脚で…崩れ落ちないよう必死だった。それでも、やはりここは譲れないという思いだった。ノクスと触れ合うことによって、母親のような立場を無意識にとっているのかもしれなかった。
コルヴァンはふっと歪んだ笑みを浮かべた。
「ほう」
彼は、サクにゆっくりと近づく。
「…良いでしょう。その小鳥は、あなたの好きにすると良い」
「え…」
コルヴァンは小鳥を包んでいるサクの手を、さらに上から大きな手で包み込み、そっとカウチの上のクッションに置かせた。小鳥はぷるぷると震えているが、息はある。サクは心配そうにそれを覗き込んだ。
「…その代わり」
コルヴァンは、そのサクの顎に手をかけ、自分を見上げさせた。
「わたくしがあなたに、“日頃からしている意地悪”とやらが具体的に何なのか──教えてはいただけませんかな?」
「え?あ、」
サクは冷や汗をかく。
「それは、その。ええと」
すっかり嗜虐的な笑みを浮かべているコルヴァンから視線を逸らして、サクは青ざめる。
しまった。言いすぎた。つい、勢いに乗ってしまって…と、そんな気持ちで。
コルヴァンは逃げようと後ずさるサクを素早く抱き上げると、「まさか」とその耳に唇を寄せて囁いた。
「わたくしの日頃のお世話が?もしくは、至らぬ主人を躾ける、この家臣の献身が?或いは…何でしょう?一体どこが、あなたに“意地悪”などと思われているのか」
「……いえ、その。ちょっと、言いすぎました…いつも、お世話をしてもらってるのに、そんな。意地悪なんて、そんな…」
サクは必死にコルヴァンから目を逸らした。
具体的に意地悪なのは基本的に全てです、とは口が裂けても言えない。そんなことを言えば、この家臣はそれを口実に一体どんな“躾”を始めるか。
「おや、そうですか…それは、安心致しました。わたくしの日頃の献身が正しく受け取られているようで」
コルヴァンはにっこりと微笑んだ。
「主よ。わたくしがもし“残酷なこと”、“意地悪”などをしていたら…どうぞ、ノクスへやったように…このわたくしのことも、お叱りくださいませ?」
笑ってはいるが、その瞳が完全に獲物を待つ捕食者のそれだった。サクは頬を引き攣らせながら、(早く下ろしてくれないかなぁ)と床へ視線を落とした。塔のように高い彼に抱かれていると、床は果てしなく遠く見えた。
コルヴァンは暫くサクをおろしてやらず、怯えるサクの表情をたっぷり楽しんでいた。
それをノクスは静かに眺めており、またひとつ父から“意地悪”を学んでしまったようだった。
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