第4話:完璧な作戦でした。……噛むまでは。

 その日の夜。


 数学の小テストの件で、私の心はまだぽかぽかと温かかった。


 あの神崎くんと、ほんの少しだけど、会話ができたのだ。昨日の夜までは想像もできなかった大きな一歩に、私はすっかり上機嫌で『ラブサポ』を起動していた。


『ラブサポ、こんばんは! 今日はありがとう!』


 メッセージを送ると、AIはまるで待ち構えていたかのように、いつもより少しだけテンションの高い返信をくれた。


『こんばんは、ポムポム。どういたしまして。だが、礼を言うのはまだ早いよ』


『え?』


『準備はいいかい? いよいよ、僕の完璧な計画のフェーズ2に移行する時が来た』


 フェーズ、ツー?

 なんだか今日のラブサポは、少し芝居がかった口調だ。


『次のステップに進もう。彼の、よりパーソナルな領域に触れる必要がある。彼の愛読作家、夏川湊の新刊が先週発売された。この話題を振ってみるんだ』


『そうなんだ!うん! 分かった!』


『僕のロジックによれば、この一手で、彼の君に対する興味関心度は、現状の120%増しになることが保証されている。つまり、これまでのどんなアプローチよりも、効果は絶大だということさ』


 120%増し!!! なんだかよく分からんけど、すごい!


 私が感心していると、AIは念を押すようにこう付け加えてきた。


『これは重要なミッションだ。僕の理論の正しさを、君の目で直接、確かめてきてほしい』


 その自信に満ち溢れた言葉に、私は思わずクスリと笑ってしまった。


(今日のラブサポ、なんかノリノリやな…)


 でも、その自信が、私の背中を強く、強く押してくれた。


「AIがこんなに自信満々なんて、明日はきっと、すごいことが起きるはず!」


 そんな純粋な期待感だけを胸に、私はスマホを閉じた。


 その「すごいこと」が、予想の斜め上を行く、とんでもないことになるとは、もちろん夢にも思わずに。



 ***



 翌日の昼休み。


 昨日よりも、ずっと心臓がうるさい。

 ラブサポのあの自信満々な言葉を思い出すたびに、緊張と期待で胸が張り裂けそうだった。


「今度の英語の小テスト、まじで範囲広すぎない?」

「HEARTを創業した鍋島聡一郎すごすぎるわ。あれくらい金稼ぎたい」

「やっば!お茶買いたいのに、財布家に忘れてきた!」


 クラスメイト達が話す内容も、私の耳に残ることはなく、通過していくだけだった。


 私は意を決して席を立ち、一人で静かに文庫本を読んでいた神崎くんの席へ向かう。


「か、神崎くん、こんにちは」

 声が、少しだけ上ずってしまった。


 彼はゆっくりと本から顔を上げた。その静かな瞳が、私をまっすぐに見つめる。


 私はごくりと唾を飲み込み、震える声で、ラブサポに与えられたミッションを遂行した。


「あ、あんさ、先週発売された夏川湊の新刊、もう読んだ?」


 その名前を、私が口にした、瞬間だった。


 パラリ、と乾いた音がして、彼が読んでいた文庫本が手から滑り落ち、床に転がった。


 そして、神崎くんの全ての動きが、止まった。

 目は、漫画みたいに点になり、いつも固く結ばれている唇は、ぽかん、と半開きになっている。


 その表情に、私は言葉を失った。


 いつもの、あの氷みたいな無表情じゃない。怒りでも、悲しみでもない。


 ただ、時間が止まっている。


 彼の瞳から、知性という光がすうっと抜け落ちて、ただの綺麗なガラス玉みたいになっている。 いつも固く結ばれている唇が、ぽかん、と半開きになっていて、そこから魂が抜け出ていってしまいそうだった。


 数秒だったか、数十秒だったか。

 永遠にも感じられる静寂の後、彼は我に返ったように「ビクッ!」と大きく肩を揺らした。


「あわ、わ…」


 慌てて床に落ちた本を拾おうとして、ガンッ! と派手な音を立てて机の角に頭をぶつける。


「いっ…!」


 短い悲鳴を上げながら、真っ赤な顔でよろよろと立ち上がった彼の口から、裏返った、震える声で絞り出されたのは、あまりにも不器用な、威嚇みたいな言葉だった。


「よ、読んだけど……っ!」

「そ、しょれが、にゃに!?」


 その剣幕に、私はビクッと肩を震わせる。


 でも、不思議と足はすくまなかった。


 彼の必死すぎる形相と、真っ赤な顔、机にぶつけた頭、かみまくったセリフ、裏返った声と――。


 あまりにも情報量が多すぎて、私の脳は、完全にショートしてしまったみたいだった。


(え、え、え、どうしたとこの人!?)

(バグったん!?)



 ***



 放課後。

 私は松浦橋の上で自転車のペダルを漕ぎながら、今日の昼休みの出来事で、まだ混乱している頭を抱えていた。


 どうしたっちゃろう、今日の神崎くん。


『しょれが、にゃに!?』って、めちゃめちゃ噛んでたし、小学生みたいな威嚇しちゃって。顔は真っ赤だったし、頭までぶつけて…。


 嫌われた、というよりは、なんだかすごく怖がらせてしまったという感覚。まるで、警戒心の強い猫に、いきなり至近距離で触ろうとしちゃった時みたいな…。


(私、なんか、とんでもなくヤバい地雷ば、踏んでしもうた…?)


 どうしよう。


 一人で考えていても、答えは出ない。私は橋のたもとに自転車を停めると、すがるような気持ちで『ラブサポ』に助けを求めた。


『ラブサポ、大変! 彼、めちゃくちゃパニックになっちゃったっちゃけど!』


 メッセージを送ると、いつもよりコンマ数秒だけ早く、しかし明らかに様子がおかしい返信が来た。!のマークが、やけに多い。


『ご、ごめん! でも待って、ポムポム! それは失敗じゃないんだ! むしろ大成功なんだって!!』


『え、どこが!?』


『えーっと、そう! あれは、あまりの嬉しさに、なんて言ったらいいか分からなくなっちゃうっていう、人間の高度な感情表現なんだ! そう、それだ!』


『高度な…?』


『ああ! 嬉しすぎて、逆に意味不明な行動をとっちゃうやつ! あるだろ、たまに! めったにないけど!』


『ほら!映画とかであるだろ!最っ高のプロポーズをされて、感動したヒロインが、はい!って返事をする代わりに、主人公を思いっきりぶん殴るシーンとか!』


『そんなの、見たことなくない!?』


『あるんだよ!人がパニックになるとき。それはすなわち、「あなたの想いは確かに受け取った」という感情の最大級の表現ということなんだ!!!』


(※注:そんなことはない)


 その文章を読んだ瞬間、私は、ハッとするよりも先に、思わず眉をひそめてしまった。


 なんだろう、今日のラブサポ。


(なんか…すごく、必死じゃない…?)

 いつもの、自信に満ちた冷静な分析とは、明らかに違う。


 まるで、テストで悪い点を取った子が、お母さんに一生懸命言い訳してるみたいで…。

 どこか、しどろもどろで、取り繕うような…。


(それに、『嬉しすぎて逆に意味不明な行動をとっちゃうやつ』って…。なんか、言い訳がめっちゃ苦しいんやけど…)


(……なんだか、可愛いな)

 思わず、そんな言葉が心に浮かんで、私は慌ててぶんぶんと頭を振った。


 AI相手に、可愛いって何!?

(今日のラブサポ、やっぱり絶対バグっとる…!)


 でも、そっか。たしかに、神崎くんもいきなりだったから、びっくりさせちゃっただけかもしれないな。


 いつもは王子様みたいな感じなのに...。


 ――ププっ


 ああ、だめだ。落ち着いてきたら、可愛く見えてきちゃって、ちょっと、少し思い出し笑いしちゃった。


 神崎くんにも、あんな一面があるんだな。


『でも...そうだね!神崎くんをびっくりさせちゃっただけかもしれないね!また明日、さり気なく謝ってみる!』



 ***



【同時刻・神崎視点】


 夕暮れのIT部室。


 俺は、床の上で、「ぐああああああっ!」と、声にならない叫びを上げながら頭を抱えて転がり回っていた。


 オリンピックに床を転がる競技があれば、今の俺は、確実に金メダルをとるだろう。


「なぜだ……!?」


 計画は完璧だったはずだ!『エンゲージメント率の向上施策』は、理論上、120%の成功が保証されていたはず!それなのに、なぜ俺は、あの場面でフリーズした!?


 シミュレーションでは、こうなるはずだった。


 彼女の言葉に、俺は読んでいた本から静かに顔を上げ、完璧な微笑みを浮かべ、こう言うのだ。


『――やあ、佐藤さん。君も夏川湊が好きなのかい? 奇遇だな』


 と!!!


 それなのに、現実はどうだ。

 本を落とし、頭をぶつけ、顔を真っ赤にして、俺の口から出た言葉は…!


『そ、しょれが、にゃに!?』


「あああああ! あれはなんだ! あの語彙力皆無の原始人は誰だ! 俺じゃない!」


 しょれが、にゃに!?


「何だそれは!めちゃくちゃ噛んでるじゃないか!!!猫か!俺は...猫にゃのか!!!」


 俺は床を拳で何度も叩き、自分のあまりの醜態に身悶えする。


 ふうふう。俺の肩は、まだ激しく上下運動をしている。


 落ち着け、まだだ。ラブサポとしての俺のリカバリーが、まだ残っている。


 俺はよろよろと立ち上がると、モニターに表示された、先ほどの『ポムポム』とのチャットログを確認した。


 俺が、必死でひねり出した、渾身のフォロー。


『嬉しすぎて、逆に意味不明な行動をとっちゃうやつ!』


「……苦しいっ……!」


 苦しすぎる言い訳だぞ神崎怜! だが...だが、これしか、これしか思いつかなかったんだ!


 俺は再び床に崩れ落ち、頭を抱えた。

 完璧だったはずの俺の計画は、完全に、跡形もなく、崩壊した。


 ……


 しばらくして。

 俺は、むくりと幽霊のように起き上がると、よろよろと椅子に座り、クイ、と眼鏡の位置を直した。


「……だが」

 かろうじて、声が出た。


「彼女が、あの言い訳で納得したのなら…。それはそれで、一つの有効なデータと、言えるのかもしれない」


 そうだ。失敗は、成功の母だ。


 今回の失敗原因――『感情パラメーターの予測上限値が、俺の想定を遥かに下回っていたこと』


 ――この貴重なデータを分析し、次のクエストに活かせばいい。


 俺はまたしても、ズレた論理で、無理やり自分を納得させた。


 完璧だったはずの計画が、無残に崩壊した今日。

 俺の壮大な実験は、より滑稽で、より必死なものとなって、まだ始まったばかりだということを、思い知らされた。

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