理想の禁忌ー夢を齎す物
ギュラ(gula)
第一章 夜の動画
月の光が差し込む薄暗い部屋。おそらくテーブル上から撮られた、画質の悪い動画。
時折、窓から入る風がカーテンを揺らし、机の上に散らばった無数の紙片がめくれ上がる。部屋の隅には整然と並んだ大きな書棚。厚さも色合いも異なる書物が、乱雑に詰め込まれていた。
映像の真ん中には一人の男性が、背中を向けて立っていた。
青みを帯びたシャツと暗色のスラックス。その背中は丸められ、まるで生気を抜かれた姿。体が微妙に左右へ揺れているようにも見える。
音は何も聞こえない。動画特有のノイズすら無い。静止画と見間違う程、何も起こらない数秒間だった。
ライブ配信のアーカイブらしい。それにしては余りに陰湿。異常さが際立つ不気味さがあった。
突然、男性の奥に異変が起こる。そこは銀色の光が届かない物陰。最初からそこにいたのに見落としていたのか、あるいは瞬きの間に湧き出たのか。
輪郭すら曖昧に見える男の向こう側に、"影"が現れる。
それは背景の闇と比べ、わずかに濃い黒色の違いでしか捉えられない。まるで漆黒に開いた人形(ひとがた)の穴。その異様さは、画面越しに寒気をもたらしてくる。
男と影は、見つめ合うように無言で立ち尽くす。暗がりに広がった緊張感が伝わってくる。
「ここ、スき?」
凍てついた沈黙を破った声。優しげでありながら、響きには違和感を併せ持っていた。
子供のような無垢さも、老人の持つ説得力も感じさせる。男とも女とも判別できないが、男の声ではないと直感させる禍々しさがあった。
視聴者の身に湧き起こるのは、身の毛もよだつ不快感。ただの動画ではないと訴えてきている様だった。
生理的な嫌悪感が全身を包み、拒否反応が警鐘を鳴らす。しかし目線を外す事は許されず、瞳だけに金縛りを強要された。
そんな状況を逆撫でする様に、突然男性が地面へ崩れ落ちる。鈍い音が部屋全体に反響し、スピーカーから漏れ出た音は、動画を見る者の心臓を冷たく鷲掴みにしてくる。
人形(にんぎょう)が倒れる様に足元へ吸い寄せられ、力なく座り込んだ男。頭は背中で見えないほど項垂れ、体のどこからも力感がない。
異変の全てを確認したかのように、影はゆっくりと闇へと溶け込んでいく。錯覚だったと思ってしまうほど、いつの間にか跡形もなく消えてしまった。
正体の分からない不気味な影。説明の付かない声。崩れ落ちた男性の生死。
それらを世の中に投げかけた動画は、白い三角形のアイコンを残して停止した。
スマホ越しに映像を見ていた三人の青年は、合図とばかりに身を起こす。
場所はカフェ「パンドラ」。一番奥のテーブルを陣取り、食い入る様に見入っていた。
"夜の動画"と呼ばれたこの動画は、SNSや動画配信サイトを通じて世間へと拡散。たった数日で若年層の注目を攫い、オカルト界では話題の中心となっていた。
再生が途切れ、顔を上げた青年のうちの一人が、違和感を覚えつつ声を上げる。
「え……なにこれ?」
疑問を浮かべた表情で、背もたれに体を預けながら言葉を漏らした青年の名は、将(しょう)。深緑色の髪で端正な顔立ち。
将の呟きに口を開いたのは、彼の目の前でテーブルに身を乗り出した青年。
「ヤバくない?!」
嬉々とした顔を浮かべ、後ろで縛った長髪を揺らしながら興奮する青年の名は、宇宙(そら)。
「これはマジっぽいな」
宇宙に続いてそう呟いたのは、将の隣で腕を組み、冷静な顔を崩さない青年。俊樹(としき)。短髪の黒髪と大柄な体型から、兄貴感を漂わせていた。
「確かに気味悪いけど……そんなにか?」
冷たい視線を宇宙に向けながら、納得のいかない様子。
将の顔は、この動画が話題になる事を理解できない疑惑の表情。他にいくらでも怖いものはあるだろうと、彼を包む空気感が二人に訴えかける。
見るからに根っからのホラー好き。どんなに怖い動画を見ても、動揺しない余裕すらあった。
「いやいや、エグいだろ?!」
「本物って感じだよな」
将とは反対に恐怖を口にする二人。しかし笑顔が漏れている。言葉とは裏腹に、本気で怖がっていないのは明白だった。
楽しげな二人を他所に、将はスマホを取り出した。SNS画面を開いて検索をかけると、表示されたのは「#夜の動画」と添えられた投稿の波だった。
――
@yami_watcher: マジで鳥肌立った。深夜に見て後悔してる。あの影何?っていうか、あの声が怖すぎ。#夜の動画#ここすき#寝れない
@Gakuen_tantei: 声の周波数分析してみた。合成音声ではなく、物理的に発された声っぽい。ますます気持ち悪い。#夜の動画 #考察
@Osa_bakuhatu: 「ここ、すき?」ってコメントしてくる奴ばっかでウザい#夜の動画#フェイク#マジで迷惑
――
画面を見つめながら将が話を切り出す。
「これ、フェイクなん?」
「違うらしいよ。そもそもライブ配信だしな」
「……この男の人は?」
「生きては居るらしい。ヤバいらしいけど」
「ヤバいって?」
「……精神的に……とかだった気がする」
宇宙はスマホを体に寄せると、何かを調べ始める。俊樹は相変わらず背もたれに身を預け、一歩下がった所から俯瞰し続けていた。
将は自分のスマホ画面を切り替える。次に広げたのは、夜の動画に関するまとめサイトだった。
視界を邪魔してくる広告。その後ろには白い背景に色分けされた文字と、関連記事へのリンクが整理されている。概要や目次を飛ばしてスクロールを続けた将は、とある情報に目を止めた。
――
【男性情報】
・氏名:常盤倫也(ときわともや)
・年齢:44歳
・所属:圀光(くにみつ)記念大学
文学部 伝承史学科 元准教授
・口伝や伝承に関する民俗学の研究を専門にしており、動画の影との関連が考察されています。
【現場詳細】
・茨城県にある一軒家
――
市街地から離れた山林と思しき場所に建つ家。ストリートビューによって示された外観からは、普通の家としか思えない。地図アプリによって正確な場所も確認できた。
しかし動画の意図については不明。根拠のなさそうな考察ばかりが並んでいた。
――民俗学……都市伝説みたいなもんか?
本当とも嘘とも取れる情報に、将の興味は惹かれていく。
「男の人、記憶喪失らしい」
将からの質問の答えを導き出した宇宙の言葉に、思わず俊樹が冷静さを欠きながら反応した。
「は?マジで言ってんの?」
「マジ。意味分かんないけど」
「これは本当にやべえかもな」
まとめサイトの中を歩き回る将を他所に、宇宙と俊樹は笑いながら話す。将と同じくオカルト好きの二人にとっては、絶好のネタでしかなかった。
将の調べる手も止まる。大した事ないと思う反面、"何かがある"と彼の本能が叫ぶ。そんな彼を口走らせたのは、今のところは前者だった。
「でも噂だろ?良くある感しに思うけどな」
「そうか?面白いじゃんか!」
「噂だとしてもな」
その後も三者三様の意見がテーブル上を飛び交った。真剣な顔をしたかと思えば、冗談を言って笑い合う。オカルト好きならではの考察合戦が続けられた。
脱線を繰り返した会話は、いつの間にか夜の動画から離れる。そして話題は、過去に聞いた怪談話や体験談に変わっていた。
「てかさ、あの時の方がヤバかったよな?」
話の流れから将は、俊樹に顔を向けながら思い出話を始める。三人の雰囲気は、休み時間の高校生の様に明るいものだった。
「俊樹とかと一緒に行った廃墟の中に人が居た時。あれはマジでビビった。絶対生きてる人間じゃなかったもんな?」
楽しそうに話す将だが、俊樹は途端に眉を顰める。宇宙の顔にも疑問の色が浮かび上がった。
「心スポ?……三人で行ったとこか?」
「違くて。学校の近くの心スポだよ。皆んなで行ったじゃん」
「……学校?そんなとこ行ったか?」
俊樹の表情に浮かぶ疑念が強まっていく。それを見た将は、体を向き直して語尾を強める。笑顔から純粋さが消えかかっていた。
「いやいや、行ったじゃんか。お前が行きたいって言ったんじゃん。放課後に皆んなでさ」
言葉に熱がこもる。同意を強要するような口調。それを皮切りに二人の間には火花が散り始める。
「いや…てか、あり得ねえだろ?」
「は?あんなに怖がって騒いだ癖に忘れたのか?!」
「ちげえよ…俺らが知り合ったの高校出た後だろ?だから行ってねえって話」
「…お前それ、本気で言ってる?冗談でも笑えねえぞ?」
「あ゙?お前が意味分からん事言い出したんだろ?」
遂に言葉から怒りが漏れ始める。笑顔が完全に消えた二人の目線に敵意すら宿り出した、その時。
「はいはい!終わりー!」
明るい声で宇宙が制止した。手に持っていたスマホはテーブルに置かれ、顔の前で手を叩いている。
宇宙の声と乾いた音に、将と俊樹の会話が一瞬で止まった。
「動画の人が記憶喪失って話してて、目の前で記憶の食い違いとか洒落になってないから」
そう言って笑った宇宙。しかし強張りも見て取れた。話を続けた先への危機感だろう。
納得のいかない様子を見せつつ、将と俊樹は落ち着きを取り戻す。二人とも大きく息を吐くと、少しだけ腰を浮かせて座り直した。
「どーせ変な動画を見すぎたんだろ?似たような話は腐るほどあるしな!」
笑顔を見せて空気を和ませる宇宙。俊樹も先ほどの雰囲気を取り戻し、笑って同意する。しかし将は少しだけ違っていた。
頭の中に鮮明に残る俊樹との記憶。自分が間違っていることなど信じられない。考え込むように下を向き、脳裏では思い出のワンシーンが何度も再生されていた。
靴底から伝わる瓦礫の感触。土と錆が混ざった様な匂い。そして肌に感じた言いようのない怖さ。
思い出す事に納得できない気持ちが湧き上がる。しかし同時に彼を蝕んだのは、記憶への懐疑心という悪寒。そして手元のスマホ画面の表示が、今の彼に追い打ちをかけていた。
――常盤倫也氏は発見された時、既に記憶喪失でした。
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