第1話 コトリバコ ―― 祟りの箱
【2025年2月17日 午後10時41分 北海道・札幌市・霜ノ原区 旧社保管倉庫跡】
吹雪が止んだ夜。雪は凍り、音を吸い込む。
解体作業員が一人、床下で腕を伸ばした。
腐った梁を押しのけた奥に、掌ほどの木箱があった。
古びた和紙が貼られ、墨は滲んで読めない。
でも、確かに“何か”が――呼吸していた。
――コトリ。
空気が一瞬止まる。
男が動きを止めたまま、目だけを向ける。
次の瞬間、箱の隙間から“赤黒い液体”が滲んだ。
それは血ではなく、もっと濃い――腐敗した油のような粘りをもって流れ出す。
指にかかった。
「なん……?」
皮膚が泡立った。
指先の肉が音もなく溶け、骨が出る。
痛みが来る前に、感覚が消えた。
男の口から声ではない何かが漏れた。
「ぁ……ぁ、ぁ……」
その瞬間、箱が開いた。
中には“詰められていた”。
掌ほどの骨、臍の緒のようなもの、そして――動いている何か。
骨の間から小さな歯が並び、笑っていた。
「……で、た……」
影が吹き上がる。
骨が砕け、音が弾け、白い壁に赤が散った。
男は、自分が叫んだかどうかもわからなかった。
【翌日 午後1時12分 札幌市・霜ノ原区 社第四支部】
「……これが現場映像?」
咲の声が硬い。
黒髪ショートの彼女は、白いカーディガンの袖を軽く押さえながら、スマホの画面を覗き込んでいた。
画面には、工事現場の記録映像。照明の中で箱を開けた瞬間、カメラが血に染まる。
その後に写るのは、壁を這う何かの影。関節が足りない。
葛野が静かに書類を置く。
細面で糸のような目、濃紺のスーツにネクタイ。生活感の欠片もなかった。
「十年前の保管品。管理ナンバーは消失。呪具扱いです」
「つまり、放置されてたんですね」
「ええ。社の恒例行事です」
咲はこめかみを押さえた。
「……また後始末」
【2025年2月17日 午後10時03分 北海道・札幌市・霜ノ原区 旧社保管倉庫跡】
倉庫の中は、温度が下がりすぎて霜が床に広がっていた。
咲の指先から花びらのような光が流れ、結界を描く。
「……封印が剥がれてます。中の音、聞こえますか?」
耳を澄ますと、確かに小さな音。
――コトリ。
――コトリ。
乾いた拍音が、一定の間隔で続いている。
「子どもの心音です。怨念型ですね」
「怨念型ね。なんか厨二臭くないか?」
背後から、妙にのんきな声。
不二美がスコップを担いで入ってきた。
分厚い体躯に、くたびれた作業着。
熊のような肩幅。刈り上げの頭に無精ひげ、目つきは優しいが顔は岩のように無骨だった。
咲が振り返った時には、もう遅かった。
ドン、と床を叩く音。
安全長靴の爪先で、木箱が転がった。
「不二美さん、それ触らないでください!!」
「悪い悪い、倒しちまった。へー、思ったより軽いな」
「触らないでって言いました!」
「だって邪魔だろ、通路塞いでるし」
箱の蓋が、カタリと開いた。
空気が揺れる。
温度が一気に十数度下がった。
黒いものが這い出す。
床を這い、壁を伝い、影が影を食う。
その奥から、誰かの声。
――おかえり。
天井から垂れ下がるように、赤黒い縄のような臍の緒が降りてきた。
先端に、小さな手。
骨の指先が、不二美の肩を掴む。
「おー、ただいま?」
彼は動揺を一切見せず、箱を観察した。そして這い出るものを止めようと、そっと蓋を閉める。落ち着いて動くさま熟練の職人のよう。決して「やべぇ、咲に怒られるじゃねぇか」などとは思っていない。その証拠に
バキリ。
箱が砕けた。
ごめん、嘘ついたw
その瞬間、声が爆ぜる。
『あそんでよぉぉぉおおお!!』
倉庫の壁に無数の小さな手形。
血と肉の色が、壁一面に浮かび上がった。
赤黒い胎児の形をした影が、天井を這い、咲の頭上を通る。
光が乱れ、結界が裂ける。
「下がってください!!」
咲が叫ぶ。
だが不二美は後ずさりもせず、静かに息を吐いた。これが男のケジメの付け方だ。
「てめぇ、少し黙っとけ。咲に怒られるだろうが!?」
掘削スコップで床を割り、砕けた箱ごと押し込み、その上に立つ。
ドンッ。
二度と箱が見つからないように踏みつける。
床が揺れた。
黒い影が震え、空気が弾けた。気配が――変わった。
もう一度踏みつける。
――ドンッ。
風が爆ぜ、黒煙が霧散する。
影が泣き声をあげながら消えていった。
咲の花弁の光が舞い上がる。
あらゆる音が止まる。
不二美は静かに汗を拭った。
「……ふぅー、証拠隠滅成功」
「何してるんですか!」
「どうした? 片づけは終わったぞ」
「……はぁ!? 爽やかに嘘つくな!」
咲の怒鳴り声が反響した。
倉庫の奥で、雪がひとひら落ちる。
――コトリ。
最後の音だけが残った。
【解説】
踏みつけて邪気を祓う――これは古くから日本に伝わる習わしだ。
相撲の四股も、力を鍛えるだけでなく、地の穢れを踏み清める儀式でもある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます