カーテンコールで「ただいま」を

梵 ぼくた

すべてのはじまり

初めて彼を見たのは、忘れもしないあの日。

好きなアニメ作品の舞台に幼なじみが出演していると聞いて、応援のつもりで足を運んだ東京公演。

正直、舞台そのものに大きな期待はしていなかった。そりゃもちろん俳優に対してリスペクトは持っている。しかし、アニメの中で何度も聞いた台詞が、何度も見た表情が。生身の身体でどう響くのか、想像がつかなかったからだ。


けれど、ライトが消えた瞬間。

あっという間に、世界は手のひらを返した。

光が落ち、音が裂け、空気が押し寄せる。その渦の中心で、彼が立っていた。


幼なじみである織笠雫おりがさ しずくの隣に立つ、推しを演じるあの俳優。 名前は、九重千隼ここのえ ちはや

舞台の灯りの中で、彼の一挙手一投足が空気を変えていた。


鼓動が伝わるほど近くで、指先の震えや髪を払う仕草の一つ一つが、胸の奥の何かを削ぎ落としていく。

観客の歓声が遠のき、彼の存在だけが世界の輪郭を決めてしまう――そんな瞬間だった。


そこにいたのは、スクリーンの住人じゃない。

生きて、息をして、舞台の上で確かに光っている“彼”だった。


どうしてだろう。初めて見るはずなのに、どこか懐かしい。

目が離せないのに、胸の奥がざわざわする。


会いたいと願っても、舞台の外で会える保証なんてどこにもない。

だから彼は、私の中で遠くて尊い、触れられない光。




――のはずだった。


触れられない存在だった。なのに、そんなはずなのに、今――

目の前にいるのは、どうしてなんですか?

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