空想シンドロームと、書くという生存手段
暇崎ルア
シン・空想シンドロームと、書くという生存手段
初めて小説(と呼んでいいものなのか?)を書いたのは、小学五年生の夏だ。苦手だった算数の勉強もそっちのけで、当時使っていた国語の教科書に載っていた物語文の模倣のようなものを書いた。生意気にも憧れの作家になった気分で、鉛筆で四百字詰め原稿用紙に文字を必死に埋めた。
犬の女の子が主人公の話も書いた覚えがある。今思えば、あれは思いっきり動物が主役のディズニー映画に寄せて書いたものだった。
ところでそれらの原稿用紙、どうなったんだっけ? 一作を書き終えた爽快感と共に親に見せて「ここ、同じ表現が重なってる」とかなんとか言われて悔しくなったことを最後に、そこから先は覚えていない。とっくに資源ごみの一部としてリサイクルされ、別の紙に生まれ変わったと思う。
昔自分が書いた作品なんて黒歴史だから残されてないほうがいいけれど、ちょっと惜しいことをしたかもしれない。今自分が書いてる小説と見比べて、成長したかどうかをはかるための資料になっただろうに。
閑話休題。
えー、今のあたしに質問です。最近、課題のレポートや仕事の議事録でない文章、いわゆる「小説」を書きましたか?
答えは「イエス」だ。ちょっとだけブランクはあったけど、十年以上経って大人になった今でも書いている。執筆道具を「原稿用紙と鉛筆」から文明の利器「パソコン」に変えて。
何年経っても続けてるってことは、楽しいからなんだろうな。子供の頃から、楽しくなきゃ続けられない人なので。
ごめんなさい、半分嘘です。楽しくないときもあります。
小説を書くって「頭の中にぼんやりとあるものをわかりやすく形にすること」だから、苦痛しかないことがほとんどなんだよな、ぶっちゃけ。
「書くより読みたいな」と逃避で読みかけの文庫本開いたりするし、ウォークマンで好きな音楽を聴き始めて熱唱し始めちゃったりする。いざ書き始めたとしても「楽しくないな」と手が止まることもしばしばある。
自分が思っていた以上に小説を書くという行為って頭と神経を使うし、文字だけで全てを表現するって難しくて、はてしない気分になる。
主人公はどんなやつ? どんなところに住んでる? どんな友達がいる? どこから来てどこに行く? これを全て、全部文字で書かないといけない。適当にだらだら書いたら説明文になってつまらないし、比喩表現ばっかりにしたら読みづらい。小説を書く指南書とかごまんとあるけど、最終的には自分で書いてみて書きやすい方法を見つけていくしかない。「そもそも書きやすい方法なんてあるの?」としか思えないけど。
こんなことをぐちぐち言えば「じゃあ、やめればいいじゃん」と絶対言われる。でも、そんなこと言われたら「絶対やだ!」と言うに違いない。
だって書けなくなったらあたしは壊れる。いや、冗談抜きで。
元々、現実ではない架空の世界を空想するのが好きだった。あたしの人生、いつでも頭の中で自分じゃない誰かが現実じゃない世界へ冒険に出て、戦い、時には苦しみ、必死になって生きてきている気がする。今にして思えば、小学五年生のあのひと夏は頭の中の世界を表現する一つの手段を初めて実戦したときであって、喜びを得ると同時に気づいた。「頭の中で生まれる世界を形にしないと、あたしは生きていけないぞ」と。
頭の中から物語と主人公たちの姿が湧き出てくるからだ。延々と澄んだ水を生み出す泉のように。
普通じゃないよな。さっさと忘れて仕事とか勉強に役立つことを考えた方がよっぽど有益だ。ゲームに勤しんだり、映画を見て心躍らせたりすることだっていいだろう。
でも、忘れられない。あたしの脳内から非現実の物語と主人公たちは消えてくれない。空想シンドロームとでも呼ぼうか。次々と生まれ来る空想をどこかで形にして吐き出さないと、脳内がパンクしておかしくなってしまうに違いない。もう半分おかしいようなものだけども、もっとやばいことになってしまうという確信がある。
だから、書くのだ。それしか道は残されていない。最早生存手段だ。No Writing No Life!
当然「物語」を表現する手段はこの世にひとつってわけじゃない。絵とか漫画だってあるし、音楽もある。でも結局あたしは、「文字で書く」ことしかしないし。というか、できない。
どうしてだろうね? ……うーん、「言葉」が大好きで憑りつかれているからかなあ。
「言葉」というものも本当に大好きで、ないと生きていけない。「心の栄養」という言葉がぴったりなぐらい、三度の食事と太陽光以外に「言葉」から栄養を摂らないとたちまち弱ってしまう。
そんな大切な存在「言葉」を意識したとき。やっぱり小学生のときだった。
星新一という作家はご存じだろうか?日本三大SFの巨匠のひとりであり、ショートショートの神様でもある偉大な作家である。
彼が書いた千を超える作品の中に「処刑」という一作がある。地球上で罪を犯し、水のない惑星送りという刑罰を受けた男の話。
物語中盤、男はその惑星で出会った先輩受刑者である老人から、本文ほぼ二ページ以上にわたって、人間の本質の一つである「エゴ」をつくような長い話を聞かされる(どんな話を語るのかはご自分で読んで確かめてもらいたい)。
この作品を初めて読んだとき、老人の最後のセリフが強く頭の中に残った。すごいなあ、こんな二言で終わるの? ……と思ったのが最後、「言葉」という魔力に憑りつかれたのだ。「記憶に強く焼き付けられる言葉を残せるって、かっこいいことなんじゃない?」って。
空想シンドロームとこの子にタッグを組まれた人間は、小説を書くしかなくなるのだ。
それから十数年。大人になった今でも、そのタッグは今でももちろん生きていて、日々あたしに物語を書かせ続ける。今だって小説じゃないけど、エッセイっていう「あたしが普段思っていること」を書かせているし。
あたしが現実の人生を生きていくことと一緒。苦しいこともあるけど、楽しいこともある。それでも息をするように書くしかないってわけ。困ったもんだ。
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