カーマンライン
もーな
第一話 上手く飛べない
少年はひたすら、500mlのペットボトルを切った。
何のためか。当然、ロケットを作るためである。
高校のグラウンド、木陰で胡座を掻いて、猫背のまま黙々と作業をしていたのだ。
半袖と捲った長ズボンから見える色白の肌。
これは普段からの出不精が原因だった。
夏の木陰で、汗だくになりながらもえっさほいさとただ一人課題をこなしていた。
科学教諭から出された夏休みの課題。
【誰よりも遠くにペットボトルを飛ばし、記録せよ】
科学部部員である彼にとって負けられないものだった。
いいや──それだけではない。
「宇宙」と書いて「ソラ」と読む、彼の名に恥じぬためにも熱中症など度返しせざるを得なかったのだ。
現時点で最高記録は、500mlの平均の半分以下。
始めてから二日目でこの程度。この結果が、彼の疲労をさらに加速させていた。
「うわーまじめー」
ソラが汗をぬぐった直後、うんざりする声が彼の耳に届いた。
わざわざそれを言うために力を入れたような、けだるげな女子の声だった。
「なーんでこんな時間までやってんのさー」
声は彼の右耳から入ってきた。
彼は左に流そうとも考えたが、二言目が聞こえ、つい顔を上げてしまった。
髪を茶色に染めている、短いスカート丈の女子。
クールショートの髪を風に靡かせて、伸び切らない指で口元にメガホンを作って叫ぶ。
「誰だー! そんなこと言われる筋合いはない! 閉まるまでやるつもりだが!」
暑さで苛立っていたソラは言い返す。
ソラが目を開く。追い払われるはずの彼女は、土手を滑り降りていた。
西日の逆光が彼女の細身の体をくっきりと映した。
彼女はソラの下へ駆け寄る。
近づくほど、彼女の服装が今まで街で遊んでいたのを物語っていた。
「メグリだよ。同じクラスでしょ。ソラくん」
「人の努力を笑う女子など眼中にない」
どちらかと言えば、ソラはメグリを眼中に収められなかった。
何とも露出の多い服装か、夏で暑苦しいと言っても、ここまで脱いではほぼ水着も同然だろうという服装をメグリはしていたのだ。
「まだ七月終わってないけど、もうこの課題やってんの?」
それでもメグリはソラの視界に入ってくる。
「僕は科学部なんだ。クラスの──学年で誰よりも飛距離を伸ばしてやるんだ」
「必死じゃん」
グラウンドの土に尻を付けているソラに目線を合わせようと、しゃがみこむのだ。
ソラは、突然現れた露出魔に背中を向けることしかできない。
その背中に、うだつの上がらない声が鈍く響く。
「ちょっとー、参考にしたいからロケット見してよ。なんで隠すのさ」
「お前みたいなやつは見るだけで済むわけがない。そこの失敗作でも見てろよ」
「偏見ー」
そう言いつつも、メグリは木の根本にあったペットボトルの口を長い爪でつまんでいた。
ソラはそんなメグリの伏せがちな目を横目で覗いた。
ソラはメグリという名に聞き覚えはあった。
クラスの中でも男女共に交友関係の広い女子生徒。
学級委員もやらされていた気がする。
よく聞こえてくる声は「めんどくさー」、そういいながらも何かをさぼったとか、未提出だったとか、怠惰な話は聞かない。そんな子だった。
「あー、これ羽の形変えたらいいんじゃないの?」
そして、何より頭がいいらしい。
メグリは学年全体で一番とまではいかないまでも、好成績を常に連ねている。
「羽?」
ソラは言葉につられ彼女の方を向いてしまった。
「いぇーい。やっと目、合ったー」
顔の前でピースをする彼女の手には何もない。
ただ、目元の変わらない笑顔をソラに向けているだけだった。
「それっぽいこと言えばさー。こっち向くと思ってー。だまされてやんのー」
ソラは羞恥心が憤りに変わっていくのを体温上昇で感じていた。
拳を握りしめ、目を瞑っていると、メグリがソラのロケットを奪い取った。
「ほらーやっぱ羽じゃん」
ソラが付けていた四枚の羽根が切りそろえられていないと気が付いたらしい。
丁寧にテープを剥し、その辺に落ちていたカッターで切りそろえ始めた。
「おい、勝手にいじるなよ」
「ちょい、待ってよって。だまされたと思ってさ」
「もうだまされてるんだが」
「だったらそのまま騙されててって」
遊び半分なのか、真面目なのか分からないような声色に、彼は仕方なく任せた。
「じゃーん。これぞシゴデキ」
シゴデキとは、仕事が出来る女/男の事だろう。
呪文にしか聞こえないソラは、隣で、メーターとポンプの準備をしていた。
「へい。ソラくん。これ飛ばしてみーよ」
「僕のは、ここだった。僕より飛ばなかったら、もう邪魔するなよ」
「飛んだら?」
「……自販機、一本奢る」
「やりぃ」
ソラはメグリからロケットを受け取り、少量の水を入れた。
ロケットを発射台に設置し、ポンプから空気を入れ始めた。
「勝った気になるのは早いぞ」
ソラは必死に自転車の空気入れを動かす。
メグリはその横でしゃがんだまま、頬杖を突いて、彼の話を眠そうに聞いていた。
「こんな羽を切りそろえただけで何が変わる。どうせ誤差だろ誤差。何なら飛ばなくなる可能性だってあるんだ」
「じゃあやんなきゃいい」
「何言ってんだ。そんな卑怯なこと出来るか。科学部としてのプライドがな──」
ソラが、気を抜いて空気を入れ続けていると、右足に冷たい感覚がある。
「──ソラくんストップ。そんな入れたら爆発するよ」
メグリが、とっさに彼の足を掴んでいたのだ。
「うわあ!?」
「ちょ──なに!」
(S.57~)
ソラが驚いて、足を上げる。メグリも手を放す。
つい力が入ったままだったソラは足を着いた際に、ポンプのスイッチを踏む。
パシャ!
そんな音がして、二人は空中を見上げた。
校舎の二階を超えるほどの高さ。
一等星のような輝きが二人の目に写った。
西日でペットボトルロケットがきらめき、そのまままっすぐ真下に落ちてきた。
記録は15m。
崩壊したロケットを抱えてソラは嘆く。
しかし、それは記録に無い好成績だった。
「あららー。壊れちったか」
「お前のせいだぞ。急に触るから」
「まあ、羽ばたけば地面に落ちることだってあるだろさ」
(~S.69)
ソラは我が子を殺されたかのような目をしていた。
だが、どこか物憂げな彼女の様子に、彼は冷静さを取り戻した。
「その言葉、覚えておくからな。いつか最悪のタイミングで言い返してやる」
「あらら、恨まれちった。でも約束は約束。おごり」
スカートの裾をはらってメグリが立ち上がる。
ソラも壊れたロケットを地面に置き、自販機の方へと歩み出した。
彼らの夏休みが始まったのだった。
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