第24話 婚約者としての初仕事

 ​あの夢のような夜から一夜明け、私はまだ自分の頬をつねるべきか本気で悩んでいた。


 カイ様の婚約者?

 この、わたくしが?

 きっと、嬉しさのあまり見た、壮大な夢に違いないわ。


 ​そう思いながら食堂へ向かうと、いつも通り、給仕のためにカイ様の後ろに立とうとした。その瞬間、カイ様が私の手を取り、ぐいっと自分の隣の席へと導いた。そこは、本来なら当主の隣、奥方様が座るべき場所だ。


​「か、カイ様!?滅相もございません!わたくしは侍女ですので、そのような席……!」

「アリシア」


 ​カイ様は、私の言葉を遮ると食堂にいる全ての使用人たちに聞こえるように、はっきりと宣言した。


​「君はもう、ただの侍女ではない。昨日、私と生涯契約を結んだ、私の婚約者だ」


 ​その言葉に、食堂は一瞬、水を打ったように静まり返った。


 次の瞬間、老執事のバルトロさんが、わなわなと震える手で目元を押さえた。


​「オオ…!カイ様、アリシア様……!このバルトロ、感無量にございます……!」


 ​バルトロさんの涙腺崩壊を皮切りに、メイドたちや料理長までが、


「おめでとうございます!」

「聖女様が奥方様に…!」


 と、次々に祝福の言葉をくれる。

 

 屋敷中が温かい喜びに包まれていた。

 どうやら本当に夢ではなかったらしい。


 ​朝食後、カイ様は少し照れくさそうに、しかし真剣な顔で私に言った。


​「さて、アリシア。君に婚約者としての初仕事を頼みたい」

「は、初仕事…!はいっ、なんでしょうか!」


 ​緊張で背筋が伸びる私に、カイ様は優しく微笑む。


「まずは、この領地の未来について、二人で話をしたい。君の意見が聞きたいんだ」


 ​領地の未来。なんと壮大で責任の重いお仕事だろう。領主のパートナーとしての第一歩。

 私の頭は、その重大な任務を、私なりに最大限に解釈した。


​(領地の未来……!それはつまり、この領地の当主であるカイ様ご自身が、未来永劫、健やかで輝き続けられるように、環境を整えるということ!そして、その第一歩は、最もカイ様に近い場所から始めるべきだわ!)


​「承知いたしました、カイ様!お任せください!」


 ​私は力強く頷くと、カイ様に深々と一礼し、ある場所へと急いだ。



 ​数時間後。

 私が婚約者としての初仕事に熱中していると、カイ様が様子を見に来てくれた。


​「アリシア、何を……?」

「カイ様!婚約者としての初仕事にございます!」


 ​私がいたのは、カイ様の広大なウォークインクローゼット。その床で私は一枚の豪華な礼服と格闘していた。


​「カイ様の未来を輝かせるため、まずは過去の汚れから清算いたします!ご覧ください、このジャケットに付着した10年物のワインのシミを!これを完璧に落とすことこそ、婚約者としての私の使命ですわ!」


 ​私が目を輝かせながら熱弁すると、カイ様は一瞬、宇宙を背負ったような顔をした後、こらえきれないといったように、ふっと笑い出した。

 そして、そんな私の隣に優しくしゃがみ込むと、愛おしそうに私の頭を撫でてくれた。


◆◇


 ​その日の午後、カイ様と私の婚約は領内全土に正式に布告された。


 領民たちは、


「我らが聖女様が奥方様に!」

「こんなに嬉しいことはない!」


 と、まるで自分たちのことのように喜び、街はお祭り騒ぎになった。

 ​幸せな時間が流れる中、カイ様は一人、執務室で地図を眺めていた。そこへ、バルトロさんが静かに入室する。


​「王都へは、正式に婚約のご報告を?」

「ああ。だが、ただの報告では済むまい」


 ​カイ様は窓の外で領民たちに祝福されている私の姿を優しい目で見つめながら呟いた。


​「アリシアを王都のハイエナ共に披露することは、諸刃の剣だ。……だが、彼女はもう、私だけの聖女ではないのだからな」


 ​その言葉に宿る、今後の波乱の予感。

 もちろん、そんなこととは露知らず、私はといえば。


​「見てください、カイ様!ついに10年物のシミが……落ちましたわ!これでわたくし、最高の花嫁に一歩近づきました!」


 ​世紀の大発見でもしたかのように、ピカピカになった礼服を掲げて、私は満面の笑みを浮かべていたのだった。 

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