第16話 聖女の庇護者

​「…チリ一つ、ございませんでしょう?」


 ​私の渾身の問いかけに、その場は氷点下まで冷え込んだ。エドワード王子は、あんぐりと口を開けたまま固まり、その隣のリリア嬢は、扇の陰で顔をわなわなと震わせている。


​「…あなた、誰に向かって口をきいているか、分かっているの?」


 ​先に我に返ったのはリリア嬢だった。扇をパチリと閉じ、私を上から下まで値踏みするように見ながら侮蔑のこもった声を出す。


​「まぁ、追放されたと思ったら、こんな辺境でお掃除婦に成り下がっていたのね。あなたにはお似合いの職場ですこと、オホホホ…!」


 ​甲高い笑い声が響く。普通なら、心が折れてしまうような意地の悪い言葉。

 けれど、私の心には、その言葉が意外なほどポジティブに届いた。


​(お掃除婦…ですって?なんて素敵な響き!婦人とつくからには、その道を極めたプロフェッショナルという意味に違いないわ!)


​「お褒めいただき、光栄ですわ、リリア様!わたくし、このお屋敷のお掃除婦を拝命しておりますの!」


 ​私が満面の笑みで胸を張ると、リリア嬢の笑いがピタリと止まった。


​「なっ…!き、貴様っ!」


 ​今度はエドワード王子が屈辱に顔を真っ赤にして叫ぼうとする。追放した女に、こんなにも堂々とされては、彼のプライドが許さないのだろう。

 ​その王子が何か言う前に、すっと一人の影が私の前に立った。大きく、頼もしい背中。カイ様だった。


​「私の客人に、非礼は許さん」


 ​カイ様の低く冷たい声が、場に響き渡る。その声には、絶対零度の圧がこもっていた。


​「彼女は『お掃除婦』などではない。この死にかけた土地を蘇らせた『聖女』であり、私の……大切な人間だ。王子殿下であろうと、彼女を侮辱することは、この私が許さない」


 ​その言葉は、私を庇うためのものだと分かっている。けれど、それ以上に、私という存在をカイ様のものだと、強く主張しているかのようだった。


 エドワード王子が、ギリッと奥歯を噛み締めるのが分かった。


​(か、カイ様…!)


 ​私はカイ様の広い背中を見上げ、胸が熱くなるのを感じた。


​(お客様の前で、わたくしのような一介の侍女が恥をかかないよう、庇ってくださっているのね!なんて素晴らしい上司なのでしょう!)


 ​場の空気が一触即発になっていることなど全く気づかず、私は感動に打ち震えていた。


​「さささ!皆様、お立ち話もなんですし、どうぞ中へお入りくださいませ!」


 ​私はカイ様の背中の陰からひょこっと顔を出すと、完璧な笑顔で一行を促した。このピリピリした空気を浄化できるのは、私のお掃除しかない。


​「わたくしの磨き上げた廊下と、手すりの隅々までピカピカな階段も、ぜひご覧になってくださいませ!」


 ​私の能天気な案内に、エドワード王子もリリア嬢も毒気を抜かれたように押し黙る。彼らは、カイ様の氷の視線に射抜かれながら、屋敷の中へと足を踏み入れるしかなかった。


 ​そして、彼らは再び絶句することになる。

 外観以上に、完璧に磨き上げられた屋敷の内部。チリ一つなく、清浄な空気に満たされた空間。それは、彼らの住む王城さえも超越した、神聖さすら感じさせる美しさだった。


​「では、皆様!これより、わたくしアリシアがご案内する『辺境伯邸お掃除ポイント解説ツアー』の始まりです!まずはこちらの玄関ホール、天井のシャンデリアからご覧ください!」


 ​私は指示棒代わりに愛用のハタキ『ピヨちゃん』をビシッと掲げ、嬉々として解説を始めた。


 こうして、元婚約者とその一行を迎えた、前代未聞の視察が波乱含みで幕を開けたのだった。

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