第四話 カナチア学園へ

 暖かい。


 茜は穏やかに波打つ湖の脇に、ぼんやりと座っている。

 隣で星来も同じようにしていることに気がつき、ハッとする。


「あれ……?星来……?」


 名前を呼んでも反応がないが、特に気にせず腕を掴む。


「見つかって良かった!!一緒に日本に帰ろう!」


 穏やかな風が吹く。

星来は嬉しそうな声を聞きながら、ゆっくりと茜の方を向いた。


「残念ですが、茜ちゃんとは帰れません」

「……えっ」


 気がつくと、星来の隣にアドリアン王子が立っている。


「ここは私にとって理想の世界なんです。アドリアンが必要としてくれているから……」


 男にもたれ掛かる親友を見ながら、茜は頭を押さえた。


「……さようなら」

「やだ!待ってよ星来!待って!!」


 身体中から獣の毛が生えてくる。毛に埋もれ、自分が自分で居られなくなる感覚が襲ってくる。





「――星来!星来!!」


 自分の叫び声で目が覚める。

カドウィック男爵邸の大きな窓から、気持ちのいい陽光が差し込んでいたが、茜の気分は最悪だった。

 増えたと錯覚した獣毛は昨夜と変わらない量で、そのことだけには安堵する。

 

「……そっか、ここ、星来がやってたゲームの世界なんだ……」


 昨夜からパニック続きだった茜は、やっと頭の整理がついたようにそう呟いた。


 冷静に考えたら、日本のことを考えただけで身体から動物の毛が生えるなんてあり得ないことだし、外国人と普通に言葉が通じているのも妙な話だった。


 ここが現実ではないと受け入れるのが怖くて、本当は分かっていたのに、頭の中で否定してしまっていたのかもしれない。


「星来……本当に聖女になっちゃったのかな。……時期はおかしいけど……」


 独り言を呟きながら、頭を抱えてベッドの上で丸まる。

解決策が分からない。帰り方も、自分が殺されないようにしながらも、聖女が本当に星来なのか調べる方法も。


「アカネちゃん。起きてる?」


 扉の向こうから声がして、驚きのあまりビクッと跳ねる。


「アンナさん……。おはようございます」

「もしよかったら朝食を食べない?」

「はい、頂くっす。はい」


 まだ気持ちの切り替えは出来ていないが、ここではアンナが親代わりだ。

本物の親なら『今は考え事で忙しいから』と断ったかもしれないが、まだこの女性にワガママは言えない。


 タンスから適当に服を取って、いかにもお嬢様が着そうなワンピースを身につけると、髪をブラシで整えてから扉の外に出る。

そこにはずっと待っていたらしいアンナが立っていた。


 共に食堂へと向かう。

既にケントが席についていて、二人の到着を待っていたようだ。


 出てきた朝食は、切ったフランスパンにバターを塗るというかなり簡素なものだったが、これが茜にとってはかなり食べやすい。


「少し困ったことがあってね」


 ケントは本当に困ったように眉を下げている。


「どうしたのあなた」

「実は、学園長も務めているカナチア公爵から連絡があったんだが、ルビアをそろそろ学園に戻さないかと連絡があってね」

「あなた、あの子が亡くなったことを話していないの!?」


 ルビア。

文脈的に昨日言っていた娘のことだろう。

亡くなったことを知り合いに伝えていないのは不思議だが。


「ああ、アカネちゃん。置いてけぼりにしてしまってごめんね」

「あ、いえ」


 ケントは頭を片手で軽く押さえた。


「実は、娘のルビアは結構な問題児でね……。学園に入ったその日に、聖女の頰を引っ叩いてしまったんだ」

「えっ……!?」

「その日の内に停学になってしまったの」


 二人はそう言って下を向いた。


「あの、その娘さんって……どうして亡くなったんすか……?いや、聞くのはさすがにノンデリでしたかね……?」


 ノンデリという言葉の意味がよく分からなかったようだが、何となく察したのか、ケントが口を開いた。


「あの子は他人の恨みを買っていたみたいだ。……滅多打ちにされたんだよ」

「えっ!?犯人は見つかってるんすか!」


 自分のことのようにショックを受ける茜を見て、彼は少し驚いたようだった。


「あ、いや……。多分学生だと思ってるんだ。私たちは」


 アンナもその答えに対して少しだけ頷く。


 話を聞いた茜は肩を震わせた。

 ルビアという少女は、気が強くて人に嫌われる傾向があったのだろう。

しかし、だからといって殺していい理由にはならない。


 茜は昨夜の、お風呂の前で見たアンナの涙を思い出していた。

二人にとって大切な娘を殺した犯人を見つける為に必要なのは――。


「あたし、カナチア学園に行くよ!あたしがルビアになる!」


 浅慮だろう。

それでも、二人の娘を殺した犯人を見つけつつ、聖女に会える可能性があるのは、この方法しかない。


「えっ……!それは……」

「危険は承知っす!でも、許せないじゃないっすか!二人にとって大事な娘さんが殺されたんでしょ!泣き寝入りとか絶対しちゃダメ!」


 立ち上がりながら食卓をバンと叩く茜を見て、二人はかなり驚き、目をぱちくりとさせている。


「二人は理由も無しに学園に行けないんでしょ!だからあたしがやる!怪しいと思う生徒は誰なんすか!」

「……それは……」

「聖女と、聖女の周りにいる男たちよ」


 アンナがはっきりとそう言った。

それは茜に全てを託したいという気持ちの表れでもあった。


「聖女……」


 その名を聞き、もしかしたら『星来がルビアを殺したのかもしれない』という事実にショックを受ける。


 少しの間打ちのめされそうになったが、それでも自分で決めたことをやり遂げようと奮い立つ。

 これこそが茜の強さ。


「あたしに任せてくださいっす」


 そうはっきり言う少女を、アンナもケントも心配そうな表情で見たが、説得するのは無理だと思ったのか、とうとう送り出す決意を固めたらしい。


「……ルビアは一日しか学園に居なかったけれど、話し方が特徴的で、高圧的なお嬢様みたいだったから、今のままだと、他人だと気づかれてしまうわ」

「本気で潜入するなら話口調には気をつけて。気づかれそうになったら逃げるんだよ」





 そこからはトントン拍子に話が進んだ。

ケントはすぐに学園長に手紙を出し、二日後にはもう、ルビアを学園に戻すという話がまとまっていた。


 腕や脚は治療中ということにして、包帯を巻き、獣毛を隠す。


 犯人からすれば殺した相手が普通に生きていて、しかも学園に戻ってくるわけだから、相手から動き、探りを入れてくるだろう。



 茜はルビアの話し方を偽物の両親から聞いて、何とか必死に真似をして、学園に行くまでの時間を過ごした。


 そうして五日間が経ち、結海茜は、ルビア・カドウィック男爵令嬢として学園へと舞い戻る馬車に乗っている。


ルビアは交友関係がほとんどなかったが、聖女の頰を引っ叩いたという事実は、学園内で相当な問題になっただろうから、覚えている者たちも多そうだ。


「あたし……、あたくしはルビア。ルビア・カドウィック」


 練習した口調を小声で練習する。

 そうこうするうちに森を過ぎ、街を越え、少女を乗せた馬車は巨大な城のような建物へと辿り着く。


 馬車の扉が開き、学園の教師らしき男がエスコートをしようと手を伸ばしてきた。


 お嬢様はこういう時に相手の手を握って馬車を降りるらしいが、茜はこの五日間を経て、きっと高飛車なルビアはそうしないだろうと思い、その手を払いのけて地面へと華麗に降り立った。


 彼女は頭は良くなかったが、運動神経は良く、体幹もしっかりしている為、ふらつきもしない。


 校舎に向けてヒールを鳴らしながら歩いていくのを、教師は真顔のままついてきた。


「えっと、あ、あたくしはこの後どうすればいいですの?」


 慣れないお嬢様言葉を駆使しながら、後ろにいる教師に一瞥もくれず、彼女はそう尋ねる。


「あなたは停学になった際、聖女様に謝罪していないですよね」

「……それはそうですわ。聖女と言っても貴族ではないのですから、生意気な態度を取ったことは許せませんでしてよ」


 教師はやれやれといった様子で、溜息を零す。


「聖女様は、選ばれた時点でお妃候補となるのです。あなたの行動は、反逆行為と取られかねないほどの問題だったのですよ。聖女様がお優しい方だったから難を逃れただけです」

「すんません」

「今なんと?」

「あ、いや、申し訳ございません、でしてよ!」


 教師は生徒の不自然な話し方に眉を顰めたが、何も言わず教室へと向かっていく。


 本物のルビアが一度しか足を踏み入れられなかった教室に到着した。


 教師が扉を開き、教卓で二言三言話した後、ルビアの名前が呼ばれる。


 少女は勇気を振り絞って前へと一歩踏み出す。

 茜を突き刺す視線は、凍りつくほど冷ややかで、鋭利なものだった。


「お久しぶりですわね!あたくしが帰ってき、ましてよ!」


 そんな元気のいい挨拶に対して、一人だけクスッと笑った生徒が居た。

 真っ直ぐ顎のラインで切り揃えられた黒い髪に、少しだけ茶色がかった瞳。


 何故か教師が顔面蒼白のまま頭を下げる。


「セーラ様!申し訳ございません!やはりカドウィックの令嬢など……」

「あ!いいえ!もう気にしていません!」


 茜はそんな風に話す聖女――、セーラの顔をただぼんやりと眺めていた。

やっぱりそうだった!星来は生きてた!ここに居たんだ!


 日焼けを知らない白い肌。真面目そうで、でも少しオロオロとしているような表情。

 それは悲しくも星来らしい特徴だった。


「星来……!」


 聖女に自分が魔獣だとバレたら殺されると分かっているつもりだった。


 それでも、茜は自分がルビア・カドウィックのふりをしているということすら忘れて、彼女に抱きつこうと駆け寄る。


「……触らないでくれるかな」


 横からすごい勢いで男に押され、茜は壁に向かって倒れた。


「図々しいんだよ。ルビア・カドウィック」


 そう言いながら不気味なほどの笑顔で、床に尻もちをついている茜を見下ろしてきたのは、自分をこの世界へと強制的に連れてきたアドリアン・シュテルンバーク王子だった。


 その男を睨みつける。

ここに来る前に見た彼は、アプリのホーム画面に立っているだけのキャラクターに過ぎなかったかもしれない。

この、目の前のアドリアンが茜のことを覚えているかどうかも分からない。


 ただひとつ分かっているのは、あの時も今も、この男は絶対に味方じゃないということだ。

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