第5話

 リナが正式に仲間になってから、数日が経過した。

 俺たちの活動は、これまでとは比べ物にならないほど、効率的かつ安定したものになっていた。


「リナ、右翼から回り込め! 雫、正面の敵に集中砲火を!」

「おうさっ!」

「了解した」


 Dランクダンジョン『蟲毒の沼』。

 毒を持つモンスターや、視界の悪い沼地といった厄介な要素が多いこのダンジョンも、今の俺たちにとっては、もはや格好の狩場でしかなかった。


 リナの役割は、遊撃手スカウト兼アタッカー。

 獣人ならではの鋭い嗅覚と聴覚で、敵の奇襲を事前に察知し、その神速の動きで敵陣を攪乱する。彼女が敵の注意を引きつけている間に、雫が安全な後方から、強力な魔法で一体ずつ、確実に敵を殲滅していく。


 そして俺は、そんな二人の中間に位置取り、戦場全体を俯瞰して、最適な指示を出す司令塔に徹する。

 俺の『目』は、リナの索敵能力と合わさることで、さらにその精度を増していた。モンスターの気配だけでなく、リナが感じ取った匂いや音の情報を統合分析することで、敵の種類、数、配置まで、ほぼ完璧に予測することが可能になったのだ。


「シャアアアッ!」


 毒液を飛ばしてくる巨大なセンチピード(百足)に、リナが踊るように斬りかかる。【真・風牙】から放たれる翠色の斬撃が、センチピードの硬い甲殻をバターのように切り裂いていく。


「リナ、深追いするな! そいつは、死に際に自爆するぞ!」


 俺の分析が、センチピードの持つ危険な特性を看破する。


「おっと、危ねえ!」


 リナは、俺の警告に従い、深手を負わせたセンチピードから素早く距離を取る。

 直後、モンスターは体液を撒き散らしながら爆発四散したが、俺たちは全員、その被害範囲の外にいた。


「ふぅ、助かったぜ、翔琉! あんたの目、ほんとどうなってんだい?」


 リナが、快活な笑みを浮かべながら、俺の肩をぽんと叩く。

 仲間になった当初の、刺々しい雰囲気はすっかり消え、今では彼女本来の、明るく素直な性格が前面に出ていた。

 彼女は、俺のことを「翔琉」、雫のことを「雫姉しずねえ」と呼び、すっかり俺たちに懐いている。


「雫姉の魔法も、えげつないよなー。あんなデカいのが、一瞬で氷漬けだもんな!」


「リナの速さがあってこそだ。君が前線で的確に敵を削ってくれるから、私は大魔法の詠唱に集中できる」


 雫も、口数は少ないながら、リナの実力を高く評価していた。

 お互いの能力を認め、信頼し合う。理想的なパーティが、ここにあった。


 ダンジョン攻略を終え、換金のために探索者協会に立ち寄った時のことだ。

 俺たちの姿は、以前にも増して、周囲の注目を集めるようになっていた。


「おい、見ろよ。噂の『ライジング・スター』だ」

「Fランクから、一足飛びにDランクに昇格したっていう、あの二人組か!」

「最近、獣人の娘も仲間に加えたらしいな。『赤狼』のリナだろ? あの一匹狼が、まさかパーティを組むとは……」

「あのパーティ、バランスが良すぎる。司令塔の生産職、後衛の超火力魔法使い、前衛の高速アタッカー……穴がないじゃないか」


 聞こえてくるのは、驚きと、そして賞賛の声。

 かつて、ゴミだと蔑まれていた俺が、今や期待の新人ルーキーとして、一目置かれる存在になっている。

 くすぐったいような、それでいて、誇らしいような、複雑な気分だった。


 そんな、順風満帆な日々が続く、ある日のこと。

 俺は、雫とリナがダンジョンで実戦訓練をしている間に、一人で街の市場に、素材の買い出しに来ていた。

 新しい装備の開発には、ダンジョンで手に入る素材だけでは足りない。時には、市場で特殊な素材を買い付ける必要があったのだ。


「(うーん、やっぱり『竜鱗の粉末』は高いな……。でも、これを少し混ぜるだけで、武具の耐熱性は格段に上がるんだよな……)」


 露店に並べられた希少な素材を前に、俺が懐事情と睨めっこしていると。

 不意に、背後から、嫌な声がかけられた。


「……おい、見ろよ。あいつ、神崎翔琉じゃねえか?」

「ああ、間違いない。あのFランクのゴミが、なんでこんなところに……」


 その声を聞いた瞬間、俺の背筋が、凍りついた。

 忘れるはずもない。この、人を嘲るような、粘着質な声。


 俺がゆっくりと振り返ると、そこには、案の定、見知った顔が三つ、並んでいた。

 俺が所属していた元クラン、『グリフォンズ・ティア』のメンバーたちだった。

 リーダーの赤松龍司こそいないものの、いつも彼の周りで金魚のフンのようにくっついていた、取り巻きの連中だ。


「よぉ、翔琉。久しぶりじゃねえか。クランを追い出されて、ホームレスにでもなったかと思いきや、随分とマシな格好してるじゃねえか」


 リーダー格の男が、にやにやと下品な笑みを浮かべながら、俺に近づいてくる。

 俺は、面倒なことになった、と内心で舌打ちした。


「……何の用だ。俺は、もうお前たちとは、何の関係もないはずだが」


「つれねえこと言うなよ。元は同じ釜の飯を食った仲じゃねえか。……なあ、聞いたぜ? お前、最近、ちょっと羽振りがいいらしいな? 美人の魔法使いと、獣人のガキを誑かして、パーティ組んでるんだって?」


 男の言葉には、嫉妬と侮蔑が、どす黒く渦巻いていた。

 彼らは、俺がクランにいた頃と何も変わらない。弱い者を見下し、自分たちの優位性を確認することでしか、自尊心を保てない、ちっぽけな人間たちだ。


「……それが、どうかしたか?」


「別に? ただ、不思議でな。お前みたいな、ゴミスキルしか持ってないFランクが、どうやってDランクに上がれたのかって、みんなで噂してるのさ。……なあ、本当のこと、言えよ。お前、あの女たちに、何か弱みでも握らせて、寄生してるんじゃねえのか?」


「……!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で、何かが、ぷつりと切れた。

 俺のことを、どう言われようと構わない。ゴミだと罵られようが、寄生虫と呼ばれようが、もう慣れた。


 だが、雫とリナを、俺の仲間を、侮辱することだけは、絶対に許せない。


 俺は、今まで浮かべていた無表情を消し、氷のように冷たい目で、目の前の男を睨みつけた。


「……取り消せ。今の言葉」


「あ?」


「俺の仲間を、侮辱するな、と言っているんだ」


 俺から放たれた、予想外の低い声と、鋭い眼光に、男は一瞬、たじろいだ。

 だが、すぐに虚勢を張るように、胸を反らした。


「はっ! なんだその目は! ゴミの分際で、俺たちに逆らう気か!? お前がクランで、誰のおかげで飯を食えていたのか、忘れたとは言わせねえぞ!」


 男が、俺の胸ぐらを掴もうと、手を伸ばしてくる。

 俺は、身動き一つしなかった。

 もう、昔の俺じゃない。無抵抗に、やられるだけの、弱いだけの俺じゃない。


 男の手が、俺に触れる、寸前。


「――その汚い手を、翔琉から離しな」


 凛とした、それでいて、絶対零度の怒りを込めた声が、市場の喧騒を切り裂いた。

 声のした方を見ると、そこには、いつの間にか、雫とリナが立っていた。

 訓練を終えて、俺を迎えに来てくれたのだろう。


 雫は、【星屑のサークレット】を輝かせ、その蒼い瞳で、男たちを睨みつけている。その周りには、明らかに魔力が渦巻いており、今にも極大魔法が放たれそうな気配だった。


 リナは、腰の【真・風牙】に手をかけ、獣のように低い唸り声を上げている。その金色の瞳は、完全に獲物を狩る時の、捕食者のそれに変わっていた。


「……な、なんだ、てめえら……!」


 突然現れた二人の、ただならぬ殺気に、男たちは完全に狼狽えている。


「翔琉の仲間だ。そして、お前たちのような、ゴミにすら劣る存在から、彼を守る者だ」


 雫が、静かに、だがはっきりと告げる。


「……翔琉に、何かしようってんなら、あたしたちが相手になる。……まあ、あんたたちじゃ、あたしの爪の垢を煎じて飲む価値もないだろうけどね」


 リナが、挑発するように、舌なめずりをした。


 俺の、最高のパートナーたち。

 彼女たちが、俺のために、本気で怒ってくれている。

 その事実が、俺の心を、どうしようもなく、震わせた。


「ひっ……! お、覚えてやがれ!」


『グリフォンズ・ティア』の男たちは、完全に戦意を喪失し、情けない捨て台詞を残して、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「……大丈夫か、翔琉」


 雫が、心配そうに俺の顔を覗き込む。


「翔琉、怪我はねえかい!?」


 リナが、俺の体をぺたぺたと触って、確認してくる。


「ああ、大丈夫だ。二人とも、ありがとう。助かった」


 俺がそう言って笑うと、二人は、心底ほっとしたように、安堵のため息をついた。


 だが、俺の心の中には、一つの、黒い染みのような感情が、生まれていた。

『グリフォンズ・ティア』。

 いつか、必ず、あいつらには、今日の、そしてこれまでの行いを、後悔させてやる。

 それは、ただの復讐心ではない。

 俺が、俺の仲間と共に、自分たちの力で成り上がり、俺たちのやり方が正しかったのだと、証明するための、静かな闘志だった。


 俺たちの戦いは、まだ、始まったばかりなのだ。

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