第3話

 グラン氏から教えられたDランクダンジョン『疾風の洞窟』は、その名の通り、常に強い風が吹き抜ける特殊な環境のダンジョンだった。

 狭く、入り組んだ通路は、時折、刃物のような突風が吹き荒れるため、並の探索者では体勢を維持することすら難しい。


「ここが、『赤狼』のリナが現れる場所か……」


 俺は、ダンジョンの入り口で、びゅうと音を立てて吹き付けてくる風に身を竦ませながら呟いた。


「グラン氏の話では、彼女はこのダンジョンに生息する『ウィンド・リザード』というモンスターの素材を集めているらしい。その素材で作る、特殊な軽量の短剣を愛用しているとか」


 雫が、冷静に情報を補足する。

 獣人の少女、リナ。グラン氏が言うには、腕は立つが、極度の人間不信で、特に生産職を憎んでいるという。

 一体、彼女の過去に何があったのだろうか。


「とにかく、会ってみないことには始まらない。行こう、雫」


「ああ。だが、気をつけろ。グラン氏の口ぶりからして、ただ話しかけただけで、襲いかかってくる可能性も否定できない」


「……覚悟の上だ」


 俺たちは、互いに頷き合うと、風の吹き荒れる洞窟の中へと足を踏み入れた。


 ダンジョン内部は、予想以上に厄介な場所だった。

 視界の悪い暗闇の中、どこからともなく突風が吹き付けてくる。足場も悪く、油断すればバランスを崩してしまいそうだ。


「いたぞ、翔琉。ウィンド・リザードだ」


 雫が、前方の暗がりを指さす。

 そこには、風をまとったカメレオンのようなモンスターが、壁に張り付いていた。体長は1メートルほど。素早い動きと、風の刃を飛ばしてくる厄介な敵だ。


 俺たちが戦闘態勢に入るより、早く。

 一つの赤い影が、疾風のごとく、ウィンド・リザードに襲いかかった。


「シャアアアッ!」


 赤い影――それは、一人の少女だった。

 腰まで届くほどの、燃えるような赤い長髪をポニーテールに揺らし、頭からはピンと立った狼の耳、そして腰からはふさふさの尻尾が生えている。間違いない、獣人族だ。

 彼女こそが、俺たちが探している『赤狼』のリナなのだろう。


 彼女の動きは、人間離れしていた。

 吹き荒れる風をものともせず、まるで踊るように軽やかに、壁を蹴って跳躍する。その両手には、逆手に握られた二本の短剣が、きらりと光っていた。


 ウィンド・リザードが放った風の刃を、最小限の動きでひらりとかわすと、彼女は一瞬でその懐に潜り込む。


「――終わりッ!」


 短い気合と共に、目にも留まらぬ速さで、二本の短剣が閃いた。

 交差する斬撃が、ウィンド・リザードの鱗を切り裂き、その体を無慈悲に切り刻んでいく。

 モンスターは、悲鳴を上げる間もなく黒い粒子となって消滅し、後には小さな魔石と、薄い皮膜のような翼の素材だけが残された。


「……すごい」


 俺は、思わず感嘆の声を漏らした。

 雫の魔法が、静かで絶対的な『制圧』ならば、リナの戦闘は、荒々しくも美しい『舞』のようだ。

 その速さ、その手数。グラン氏の評価に、偽りはなかった。


 素材を回収したリナが、ふと、こちらに気づいた。

 狼のように鋭い、金色の瞳が、俺たちを射抜く。


「……あんたたち、誰?」


 その声は、見た目の可憐さに反して、ひどく低く、警戒心に満ちていた。


「俺たちは、探索者の神崎翔琉と、氷室雫だ。君が、『赤狼』のリナで間違いないか?」


 俺が代表して、穏便に話しかける。

 だが、リナの警戒心は、解けるどころか、さらに強まったようだった。特に、俺の姿を見た瞬間、その金色の瞳に、明らかな敵意の色が宿った。


「……その格好。あんた、生産職だね?」


「ああ、そうだ。俺は〈リマスター技師〉をやってる」


 俺がそう名乗った瞬間だった。

 リナの纏う空気が、爆発的に変わった。

 先ほどまでの警戒心は、殺意へと変貌していた。


「……生産職が、何の用? あたしは、あんたたちみたいな、汚い奴らと話すことなんて、何もないんだけど」


「汚い?」


「そうだよ。あんたたち生産職は、みんなそうだ。口ではうまいこと言って、仲間を騙し、裏切って……平気で仲間を見捨てる、クズばっかりだ!」


 その言葉には、憎悪と、そして深い悲しみが込められているように聞こえた。

 彼女の過去に、生産職が関わる、何かがあったのだ。


「待ってくれ、俺は――」


 俺が何かを言いかけるより早く、リナは地を蹴っていた。

 先ほどモンスターを屠った時と同じ、疾風の速さ。

 だが、その切っ先は、今度は真っ直ぐに、俺の喉元へと向けられていた。


「翔琉!」


 雫が、咄嗟に俺の前に立ち、氷の壁を生成しようとする。

 だが、リナの速さは、それよりもコンマ数秒、速かった。

 雫の詠唱が間に合わない。


 まずい、やられる――!


 俺が死を覚悟した、その瞬間。

 キィン!という甲高い金属音が、至近距離で鳴り響いた。


 リナの短剣は、俺の喉を切り裂く寸前で、何かに弾かれていた。

 俺の胸元で、淡い光が明滅している。

 それは、雫がくれた【星屑のサークレット】の、自動魔力障壁アクティブ・プロテクションだった。


「なっ……!?」


 自分の攻撃が防がれたことに、リナが驚きで一瞬動きを止める。

 その隙を、雫は見逃さなかった。


「《アイス・バインド》!」


 雫が放った氷の魔法が、リナの足元に絡みつき、その動きを完全に拘束する。


「くっ……! 離せ!」


 リナは暴れるが、雫の魔力で生成された氷の枷は、びくともしない。


「……話を聞いてほしい。私たちは、君と戦いに来たんじゃない」


 俺は、まだどきどきと鳴る心臓を抑えながら、リナに語りかけた。

 彼女は、俺を殺そうとした。だが、その金色の瞳の奥に、憎しみ以外の感情――どうしようもない絶望と、誰にも信じてもらえない孤独が渦巻いているのが、俺には分かった。


「君が、生産職を憎む理由は分からない。きっと、何か、酷い目に遭ったんだろう。……でも、俺は、君が思っているような奴じゃない」


「……黙れ! あんたたちに、あたしの何が分かる!」


「分からないさ。だから、知りたいんだ。君のことを」


 俺は、一歩、彼女に近づいた。

 雫が制止するかのように俺の肩に手を置いたが、俺はそれを軽く手で押しのけ、リナの目の前まで進む。


 そして、俺は、ある一点に気づいた。

 彼女が握りしめている、二本の短剣。

 その片方の、刀身の根元近くに、素人目には分からないほどの、ごく微細な亀裂が入っているのを。


「……その短剣。ずいぶん、無理な使い方をしているな」


 俺がそう指摘すると、リナは、はっとしたように自分の武器に視線を落とした。


「グランさんから聞いた。君は、ウィンド・リザードの素材でできた、特殊な短剣を愛用している、と。その素材は、軽くて鋭いが、耐久性に難がある。特に、君のような戦い方では、すぐに刃こぼれや亀裂が入ってしまうはずだ」


「……それが、どうしたって言うんだい」


「グランさんは、名工だ。彼なら、その亀裂を修理することもできるだろう。でも、君は、それを頼んでいない。なぜなら、グランさんの修理では、その短剣の『本当の性能』を、完全には取り戻せないからだ。違うか?」


 俺の言葉に、リナの瞳が、大きく揺れた。

 図星だったのだ。


「その短剣は……君にとって、ただの武器じゃない。きっと、誰か、大切な人が作った……形見か、何か、なんだろう?」


「……!」


 リナは、言葉を失い、ただ唇を噛み締めていた。

 その様子を見て、俺はすべてを確信した。

 彼女を縛り付けている、過去の呪縛。その正体を。


「俺に、その短剣を、直させてくれないか」


 俺は、彼女に手を差し伸べた。


「俺のスキルなら、ただ修理するだけじゃない。その短剣が元々持っていた性能……いや、それ以上の輝きを、取り戻させてみせる。だから……俺を、信じてみてくれないか?」


 俺のまっすぐな視線を受けて、リナの金色の瞳から、一筋の涙が、静かにこぼれ落ちた。

 それは、彼女を縛り付けていた固い氷が、ほんの少しだけ、溶け始めた瞬間だったのかもしれない。

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