#3テントウムシ

 

「LADYBAG24」(ladybagu=テントウムシ)


 ウィンストンは浮かない顔で言った。ようやく謎が解けたというのにぱっとしない答えだ。ジュリアは言う。


「テントウムシ? なぜテントウムシなのでしょう」


 ジュリアはウィンストンに答えを求めるが、


「さあ、さっぱり分からない。だがこの“24”はおそらく時間だと思う」

 

 ウィンストンは時刻を確認する。二十三時三〇分。二四時まであと三〇分しかない。それなのに暗号の答えの意味することが分からず、無意味な焦燥感にかられる。


「テントウムシとはなんだ」


二人はしばらく考え込んだが、テントウムシから先へは進めず、謎解きは停滞していた。これ以上ジュリアを付き合わせるのも悪い気がして、ウィンストンは電話をとった。戸惑いの目を向けてくるジュリアにウィンストンは言う。


「この手紙を送ってきた本人に答えを聞くよ」


 と言って電話をかけたものの、レイヴンは一向に電話に出ない。コール音が虚しく鳴り響く。それが行き場のない焦りに拍車をかけて、ウィンストンを不安にさせた。

ウィンストンは付き合ってくれたジュリアに礼を言って、暇を告げた。

二四時前だというのに事務所には仕事をしている人たちがちらほらいる。


 窓の外は当たり前に真っ暗で、聞こえてくる車の走行音も幾分遠のいたように感じる。エレベータの前には見覚えのある背中があった。ひょろりとした細い長い身体に、骨ばって不健康に見える肩。まるで背広がハンガーにかけられて自立しているように見えた。ウィンストンはそっと彼の横に並び、エレベータが来るのを待つ。


「リック、今日も残業か」


 扉の上に表示された数字が点灯しては消え、エレベータが少しずつ上昇してくるのが分かる。


「ああ、ここしばらく色々と立て込んでいてな。そっちも大変なのかウィンストン」


 ウィンストンは適当に「まあな」とだけ返事をすると、ちょうど到着したエレベータに乗り込んだ。扉が閉まり、またゆっくりと下降していく。この時間帯だからか他の階で止まることなくスムーズに動く。いいぞ、その調子だ。

一五階を過ぎた時、ウィンストンはあることを思い出してリックに声をかける。


「そういえば君はタトゥーをしていたね」


 リックは、おや? おやおや? といった感じで視線だけをこちらに向けると、小さく顎を引いた。


「それは確か、君の腕にあったはずだ。なんのタトゥーだったか教えてくれるかい」


 少しの間、沈黙があった。言葉の真意を探ろうとしている時間だ。けれどウィンストンの言葉に真意なんてものはない。彼はおもむろに口を開く。


「テントウムシだ」


 ビンゴ、その通り。君は肩の少し下のあたりにテントウムシのタトゥーをいれてある。数か月前に嬉しそうに教えてくれたのを覚えている。じゃあ、


「そのタトゥーを少しばかり見せてもらえないかな」


 ウィンストンはわざわざ体の向きを変えて言った。真剣味を込め

て。


「嫌だね、そのタトゥーは肩に入れているんだ。そのためにわざわざ服を脱げっていうのかい」


「そうだ、頼む」


「嫌だ、面倒くさい」


 ウィンストンは目の前のこのひょろがりの服を、無理やり剥ぎ取ってやりたい衝動に駆られた。けれど当然そんなことはしない。ウィンストンはいつだって冷静沈着。立派なジェントルマンなのだから。ウィンストンは内ポケットから財布を取り出し、一〇セント硬貨を三枚ほど抜き取った。リックに見せつけるようにゆっくりと。そしてそいつをリックに握らせると、ウィンストンはこう言う。


「頼む、脱いでくれ」


 切実な願いだ。ウィンストンの誠実さが伝わったのか、リックはようやく服を脱いでタトゥーを見せてくれた。その時、エレベータ到着のチャイムが耳に響いた。


 リックの肩には確かにテントウムシのタトゥーが彫ってあった。リックは落ち着かない様子でソワソワしているがそれも仕方のないことだ。夜中とはいえ、ここはニューヨークなのだから。可哀そうに、ウィンストンはまるで他人事のようにそう思った。


「ウィンストン、君が何をそんなに俺のタトゥーを気にしているのかは知らないが、さっさと済ませてくれ」


「オーケー、じゃあさっさと君も答えてくれよ。君は何でテントウムシのタトゥーを彫ったんだ? そこに何か意味はあるのかな」


 リックは溜息をついた。


「数か月前にこいつを彫ったとき君に話したと思うが、どうやらすっかり忘れているらしいな。別に深い意味なんてない。ただテントウムシは幸運の象徴だから彫ったんだ。こいつを纏っていると病気や事故なんかの不幸から守ってくれる」


「そんなのを信じているのかリック」


「信じる信じないは特に重要ではない。恰好がつくかどうかが重要なだけだ」

 

 テントウムシの下には見覚えのない、新しく彫ったのだろう“橋”のタトゥーがあった。橋脚は石造りで、橋の中央は吊り橋構造。そこから延びるケーブルが橋桁を支えている。


「これはブルックリンブリッジだな」


「ここらの橋と言えばそりゃあブルックリンブリッジだろう」

 

 ウィンストンは嫌な予感がした。この橋はレイヴンとウィンストンにとって思い出深い場所なのだ。それに、彼女はあの橋が好きだった。ゴシック風アーチの建造物が。テントウムシがリックの体にあって、その下に真新しいブルックリンの橋があった。これは偶然ではない。


「リック、この橋はいつ彫ったんだ」

 

 自然と語気が強くなり、リックが緊張するのを感じた。


「数日前だよ」


「それをレイヴンに伝えたか? 玩具を自慢するガキみたいに彼女にそれを知らせたのかリック」


 もしリックがその彫り物の存在をレイヴンに知らせていたのなら、これは完璧に繋がっているのだ。この幸運のシンボルであるテントウムシと。


「言ったよ、彼女とは仲が良かったからね。彫った後、直ぐに自慢してやったよ。彼女はあの橋が好きだったから。当然僕も好きだ。何も他意はない。でも、ただそれだけだ。それの何がいけないって言うんだ」

 

リックは言い訳をするように早口でそう言った。なるほど、繋がったぞ。


「リック今何時だ」


「二十四時一五分前」


 

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