第3話 黒い女の与太話

■黒い女の与太話(1)

「私の名前はヘルベチカと言います。『経部』が家族名で、『千佳』が名前ね」

「私は魔法を使えます。私は魔法使いです」

「私は二千年ほど生きています……ほんとはもっと生きてるはずなんだけど、自我が芽生えたのが二千年ちょっと……エジプトにいたころだから」


 ――ええっと。この人大丈夫?

 ものには限度というものがある。いきなり千年だの二千年だの、ここまで与太話だとは想像の外だった。こんな話をするチカの真意が知れない。


 早々にリトリィは口をはさみそうになったがぐっとこらえた。自分を助けてくれた恩人の話だ……まずは最後まで聞こう。

 チカは話を続ける。


「私は長く生きていて、オリジナルの魔法を開発したりなんかして、最近の趣味は異世界……ええっと、知らない遠くの国を探しだして、そこを旅行することなのね」


 知らない土地を千里眼で見通すみたいに探すの、とチカは補足した。


「そしてこのたび私はこの世界……この国を見つけて旅することにしたのです」


 ――とてもではないが話に付いていけない。

 ばかばかしすぎる。元ネタは何かの空想本だろうか。こいつまさか、こんな話を自分で信じてるなんて……そんなことないわよね?

 命の恩人だとかなんだとか、もはやすっ飛んでしまって、リトリィは真顔で話すチカが怖くなってきた。

 チカは話を続ける。


「私はこの国に降りて、とある森に降り立ちました」

「そこは広い森で、見渡すかぎり森ばかりで、私は人の住むところを探して歩き始めました」


 もちろん本気を出したら人の住む街なんてすぐに見つけるし、飛んでいくこともできるよ。でもそれじゃつまんないでしょう? 旅のわくわく感が台無しでしょう? とチカは先回りして言い訳したが。徹頭徹尾のバカ話なのでわりとどうでもよかった。


「そして森の中を歩いていた私は、助けを求める声を聞いたのです――」


 なるほど、そこから今の状況に繋がるのね……

 やっと話が現実に着地して、リトリィはほっとした。


■黒い女の与太話(2)

 チカは話を続ける。


「その助けを求める声はか細くて……声ですらありませんでした」

「それは思念というか、心から心に伝わる音にならない言葉のようなものでした」

「声を出せないほど弱った誰かが、近くで助けを求めているのだと分かりました。私は思念のほうへ急ぎました」

「そしてそれはすぐに見つかりました」

「マントと外套は長年の風雨にさらされてぼろぼろでした。肉は腐って虫に食われてとっくに無くなってしまって――


 ――それは、白骨になった女性の死体でした」


 ……………………――


「私生きてるんですけどぉおおおおっ!?」


 思わずリトリィは叫んだ。そしてチカは端的に応えた。


「うん生き返らせたから」


 ……………………ええっと。


「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってっ!」


 頭がおかしくなりそうだ。

 チカは「落ち着いて」と、リトリィに両手を広げてみせた。


「今のあなたは安全です。私はあなたに何もしないって約束する。お願いだから最後まで話を聞いて?」


 チカは話を再開した。


「彼女は既に数年前に死んでいました」

「そして私を呼んでいたのは、死体にとどまっていた彼女の亡霊だったのです」

「亡霊は自分が死んだことが分からなくて、助けてくれと苦しんでいました」

「私はその亡霊がかわいそうになって、助けてあげることにしたのです」

「私は死体の頭蓋骨から髪の毛を抜きました」


 髪の毛でその人の生前の姿が分かるの、とチカは補足した。


「そして私はそこらで獣を狩ってきて、それらの肉と髪の毛を混ぜあわせて、一体のフレッシュゴーレム(肉で出来た自律人形)を作りました」

「そして泣いている亡霊を、そのゴーレムに押しこんだのです――」


 ――テントの中を沈黙が支配している。

 リトリィは必死に考えていて、チカは静かにリトリィを待っている――


■リトリィの思考過程

 一体どこから何を考えればいいのだろう。


 まず……最悪の事態とは何だろうか?

 それはもちろん、リトリィが死んでしまうことだろう。だからそこは絶対に見失わないようにして……


 あのとき、リトリィは崖から落ちて死にかけていた。もしチカが現れなければ、リトリィはあのまま確実に死んでいただろう。だからこの話にチカは絶対に必要だ。

 それでは条件分けして……


◆まず、チカが真実を語っている場合

死にかけていたリトリィは死んでしまって → チカが現れて生き返らせて → リトリィは今、少女の姿で生きているという結果になる。


◆では逆に、チカが妄言を吐いている場合はどうか?

死にかけていたリトリィは死んではいなかったが → チカが現れて何かして(?) → リトリィは今、少女の姿で生きているという結果になる――


(――あら。こいつが正気だろうとイカレていようと、結果は変わらないのね)


 なるほどいずれの場合でも、最悪の事態――リトリィが死んでしまうという結果は回避されているではないか。

 つまりこいつの頭はどうでもよくて、私を助けてくれたことに、ただただ感謝すればいいのね。なんだ単純な話よね――


「なわけあるかぁああああっ!」


 自分の命の恩人が正気かどうかは大問題だろう。だってだって……ああそうか。

 リトリィが懸念していたのは、単純に今の自分の安全保障なのだ。

 今やリトリィは何を質問すればいいかを理解した。

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